すべての群れの客である

大地から5センチくらい浮きながら文章を書くよ!

エヴァンゲリオンが終わった世界にやってきてしまったのでもうこれからは

永久に延期を願っていたエヴァンゲリオンがどうやら今度は本当に公開するらしいということに私が気がついたのは、初日のチケットが発売されたときだった。つまり三日前だか、四日前だか、そう、もうなにも覚えていないが。

これは前々から分かっていたことでもともと2020年が終わればもう私には希望がないのであった。一生エヴァの新作を待ち続ける身でいたかったが、それも叶わぬ夢だったのだ。一体これから夜寝る前に「このまま寝ている間に死ぬのかもしれない」という恐怖に襲われたとき、どうやって時間をしのげばいいのだろう。そういうときはいつも「エヴァの最後を見るまでは死なないはず」という謎のまじないで乗り切っていた。

最近家に赤子がいる。

姉の子供なので私にとっての姪だ。それだけが私に分かる唯一のことで、それ以上は如何ともしがたく理解が追いつかない。姉はなにやら優しい声音や明るい声音で赤子に話しかけており、娘をとても可愛がっており、私にも優しく、幸せそうであるのでよかったと思う。母は生まれるまでは面倒だなんだと言っていたが、毎日赤ちゃん言葉で赤子に話しかけ、産褥期の人間には水を触らせてはならぬという言い伝えなのか科学的根拠のあるものなのか分からない規則を守るために、姉が水仕事をしないように常に監視し、赤子を毎日風呂にいれてやっている。

赤子は眠る前にかならず泣く。持ち上げると泣きやむ。

ところで私は割と内外にエヴァンゲリオン好きとして知られており、内外といってもこの内と外は私とその仕事場の人たちを指し、それで小さい世間という名の球体を作っているのだが、昨日暗い気持ちで仕事場に行ったら「あれ、先生、今日公開日じゃ……?」と言われ暗澹たる気持ちに拍車がかかったのだった。

私には数字を見極める能力がないので、公開日に合わせて休みを取るなどという曲芸が出来るはずはなく、普通にバイトが入っており、普通にバイト終わりにはエヴァが見られないので、つまりどういうことかと言うと、こんなにずっとエヴァエヴァ言っているのに公開日にエヴァが見られないのであった。緊急事態宣言ゆるすまじエターナリーと自分勝手に思った。なぜ私が先生と呼ばれているのかは皆目見当がつかない。

赤子は眠っていたり起きていたりして、起きると泣くのだった。

母親である姉はそれを俊敏に察知して、持ち上げたりおしめを替えたり乳をやったりしてやっている。おむチェンという言葉がおむつチェンジの略だということに、私は三回目になってやっと気がついたのであった。

心象風景的には私は五十年前からエヴァの劇場版のムビチケを持っており、今日の二日前、何日か分からないがつまり今日の二日前にそれで席を取っていたのだった。席を取って、そうか、エヴァが公開するのか、と思ったが色々見直すというようなことはせず、百年前から予約していた漫画の完全版も届いた状態のまま部屋の隅においてあった。

つまり未来を忌避するというのが私の基本的な性能であって、これは性格とか習慣とかではなく性能なのでもう直しようがない。そういう風に設計されて生まれたのだ。劇場版のエヴァを見るためにTVシリーズから見直すとかいう作業は未来への迎合であって、漫画の完全版の封をあけたらもう封をあけていない完全版には二度と合えない。

なぜか時間は進み、今日の前日、つまり昨日、私は万全の体調でエヴァを見に行くために適度な筋トレをし、九時半に入眠しようと試みた。なるべく気圧の影響を受けないように耳をぐりぐりと回し、ツイッターをしないようにアイコンを遠くに飛ばして忌避し、そもそもブルーライトは体に悪いので、うんぬんかんぬん、というようなことをやっていたので全然眠れず、眠っても頭の中でずっとエヴァのことを考えているので体が全然休まらず、早く横になったために朝の四時半に目がさめ、それからなんとも言えない時間を過ごしたのだった。

万全な状態で見たかったので昼の13:00の回にしていた。それは朝眠いのが嫌で、夕方は脳が汚れているので昼がいいはず、という判断だったが、朝の四時半に起きた人間にとって13:00は割と夕方なのだった。

家人が昼にモスバーガーが食べたいというので、モスバーガー屋さんにモスバーガーを買いに出掛け、家で食べた。赤子が泣くので姉は膝に赤子を乗せたままモスバーガーを食べていた。赤子は目を見開き、しばらくしてから目を閉じた。最近は音を目で追うような気配がある。

劇場に行くと、緊急事態宣言化の田舎町としては異例の盛り上がりをみせており、色んな種類の人間たちがグッズを見ていた。そうか、この人たちもエヴァを見に来たのか、と私はまず感動した。私はいつでも世界を「私は」というフィルターを通して見ているので、そういう当たり前のことにときどき心臓がずれるほど感銘を受けるのだった。

エヴァンゲリオン世代というのが正確に何歳から何歳までを指すのか、そもそもそんな世代があるのかまったく分からないが、私はエヴァ放送当時に14歳に近い年齢であり、どどどどど直撃世代であるという強い自負がある。エヴァを見る前と見た後では人間が少し違っていて、それは端に私は思春期を迎えたから、ということもあるのだが、少なくとも思春期まっさかりを迎えるあたりでエヴァンゲリオンに出会った、というのは私の人生にとっては実に重大なことなのだった。

それまでジブリ以外のアニメをちゃんと見たことがなかったこともあり、エヴァンゲリオンの出現は本当に事件だった。どうもそのころより私は理由というものを忌み嫌っていて、とにかくただ何の理由もなく本当にすごくエヴァが好きだったのだ。どういう話か分かっているのかとか、もっと面白いものがあるだろうとか架空の敵やら現実の敵に言われたことがあるが、まじでしゃらくさいので黙っていて欲しかった。

当時たぶん小学五年か六年かだったと思うけれど、少し成長するとやはり最終回は手抜きうんぬん、ヲタクがかんぬん、旧劇の終わりマジ気持ち悪いうんかん、というような耳が入るようになり、その度私は心の底から「まじセンスねーな!」と思っていたのである。

エヴァンゲリオンは理由なく面白いものであり、理由を考えるのも一興だし、考察うんちゃらは私も大好きなので嬉しいし、頭の偉い人ありがとう、という感じだけど、やはり私はエヴァと共に人生をこじらせている方の人間なので、倫理もへったくれもなくエヴァを面白くないと言っている(特にQをつまらんと言っている)やつらはセンスがなさすぎなので心の底から軽蔑しているし、近寄ってくんなと思っているが、そういうことを言っては人間性を疑われるので、言わないようにどうにかそういう人類たちを現実でもミュートブロックして生きているわけである。センスのない人間と接していると私のセンスが汚れるので出来れば近寄らないでほしい。そういうことを言ってはいけない

というわけで、劇場入りした。グッズはなんかかわいい似号機?のクマを買った。あとでツイッターで自慢しようと思う。

着席して、いよいよ始まるのか、と思うと急に体が異様な緊張をしはじめ、映画泥棒がパルクールするあたりで明らかなパニック発作を起こし、え、マジでやばいかもどうしよう、となって安定剤を口に含んだ。心拍数に殺されるかと思った。でも、全然どきどきが収まらなかった。

数字が数えられないが人生の大半以上をエヴァンゲリオンを共に生きているので、終わるのか、という気持ちに体が耐えきれなかった。でも公開前に公開していた花の都大パニック物語のあたりで、やっと落ち着きを取り戻し始めた。

エヴァンゲリオンは終わってしまった。

内容について今はまだうんぬんかんぬんしない。というより出来れば私はずっと永久にうんぬんかんぬんはしたくないのだ。うんぬんかんぬんした時点で、失われるものがあるのである。

ただひとつ言えることがあるとすれば、みんな大人になってしまった、ということだ。私の思春期は終わってしまった。

こんなにもはっきりとした引導を渡されると思っていなかったので、正直、まじでどうしよう、以外の感慨がない。映画についてはよすぎてよすぎてバターになっちゃう!と思うほどよかった。一秒たりともよくない場所がなく、知っている人が画面にでて話しているだけで、涙がぼろぼろ溢れた。

それとは別に、大人になってしまった、ということのショックがでかい。

私はミサトさんと生まれ年が同じなので、2015年にはミサトさんと同じ年齢になるのか、というようなことを思ってぼんやりと暮らしていたのだが、肝心の2015年に使徒が現れることはなく、というより私が14歳のときにすでに私をシェルターに匿ってくれる父親はいなかったし、どういうことかというと、私の人生には何ひとつエヴァ的な事象は起こらず、それなのにただずっとチルドレンであり続けたわけだけれども、そのたびにエヴァが公開されたりなんだりして、何も起こっていない人生を慰めて生きてきたのである。

それが今日、まだチルドレンな私をおいて、みんなすっかり大人になってしまったのだった。

どうすればいいんだ、という気持ちのまま、そのまま家に帰ることが出来ず、私はチャリを飛ばして近くの梅林に向かった。そこに理由はなく、ともかく私はこのまま家に帰るわけにはいかなかったし、近くに梅林があるし、自転車で映画館に行ったのでそこへ向かったのだ。

普段通らない道には、新しい家が何件も経っていて、そもそもめちゃくちゃ大きな道路が草っぱらをなきものにしていて、面影が欠片しかなかった。新しくない家に木蓮があり、ものすごく美しく白い花を咲かせているのが見えた。私はその木蓮を見て、みんなが大人になってしまったことに対して、自分がショックを受けているのか何なのか、見定めようとしたが、その隣の隣の家にも同じような木蓮がうわっていて、五件先の庭にもうわっていて、この木蓮は、もしかして兄弟か何かなのか?という事に意識がいってしまい、うまく考えることができなかった。

むかし駄菓子屋だった家が駄菓子屋ではなくなっていて、私は中学三年生だか高校二年生だかの時に、近所の二個下の師匠と水風船を買い、その近所の公園でしこたま水風船を作り、かといってどうすることも出来ないので、ロバの遊具にひたすら当てるということを繰り返していたことを思い出した。

その道はれんげ畑が近く、当然それも今はないが、二個下の師匠とその舎弟と一緒にれんげを摘みに行ったことを思い出した。舎弟は師匠とは同い年だったが明らかに舎弟であり、舎弟ではあったが二個上の私のことは若干なめており、よく馬鹿にされていたことを思い出した。

そうやって梅林に行くべき道を進んでいた時、私はふと道行きにある梅の花がすべて枯れていることに気がついた。そうして今がもう三月だということも思い出して、花が咲いていないのに梅林にいくのもどうなのだろう、と思って引き返した。急に引き返したので外で話していた主婦たちにじろじろと見られた。

行く道と帰る道を別にしないと心的痙攣が起きる人体を有しているので、一本ずれた道を走った。やはりそこらにも立派な木蓮が咲いており、しかし私はもうその木蓮に対してもう何も思うことがなかった。昔、おそらく小学校の低学年のとき、さほど仲の良くない友達と遊んだ大きな神社の前を通った。小さい頃には、どうして遊んだのか分からない人間と遊んだ記憶がいくつかあって、その中には本当に名前もしらない人間もいるのだが、当時はそういう出会いが当たり前だったな、というようなことを思った。その前ですれ違った少年がなぜか私に対して頭を下げたので、三メートルくらい離れてしまってから私も頭を下げた。彼に伝わったかどうかは分からない。

しばらくして、私のシマだった公園を通りかかった。そこは昔から弱小の公園で遊具が三つしかなくそのうちのひとつが鉄棒というどうしようもない場所だったが、そして大変に狭かったのだが、何が起きたのか今ではもっと狭くなっており、メイン遊具だったなんか船の形をしたでかいブランコもなくなっており、今や鉄棒とすべり台しか存在していないのだったが、それでも遊んでいる子供が二人いた。

いよいよ家に近づいており、腐れ縁のおじいちゃんの家を通り過ぎた。よく肩車をしてこの家の枇杷を取って食べた。家でジャニーズカウントダウンが見れなかった年、私はなぜかこの家でジャニーズカウントダウンを見せてもらった。腐れ縁とは今は親交がない。

いよいよ家の自転車を置くゾーンにたどり着き、私は結局なんの感情の整理もつかないまま、家に返った。向かいの猫がじっとこちらを見ていたので手を振ったが、猫はじっとしていた。

家に帰ると、赤子が眠っていた。赤子はいつも寝ているか起きているかなので、これは当たり前だが、まだ大人に慣れていない私にはなんだかすごく、とてつもない事実としてそのことが目に写った。

そうして混乱した気持ちのまま、今これを書き始めて、終わろうとしている。なんの情報も入れずに書きたかったけれど劇場を出た瞬間にちょっとだけツイッターを開いてしまい、でもみんなふせったーでエヴァのことを呟いていて、なるほど、配慮、というようなことを思った。

人々の感想を浴びて、きっとこの初期衝動は消えるのだろう。

私はアスカが好きで、アスカのことをママだと思ってつらい時にはアスカに助けてー!って言いながら生きてきたけど、これからもアスカは私のことを助けてくれるのだろうか。この記事はネタバレをせずに書こうと決めたので書かないけれど、いろんなことが、いろんなこととして体の中にある。

理由をこねくりまわすつもりはないけれど、色んな感想を呟いたり、つぶやかなかったりするんだろうな。私は当たり前のことを言っておりますが。エヴァンゲリオンのように同じ時代を生きることで得る感慨というのは、人生をやりなおさない限りエヴァンゲリオン以外ないので、私はこれからもエヴァンゲリオンを見て、いろんな感慨をもって生きていくのだろうと思う。けれど、まぁ、そういうことにどうあれ決着がついてしまったということは、やはり寂しい。終わったのだ、と思う。

それで、これからどうやって生きていこう。まだ私には思春期が残っている。大人にならないで生きていくには、あまりにも辛い世の中だ。それでも私はやはり、まだ大人にはなりたくないと思っている。

エヴァンゲリオンが終わった世界にやってきてしまったのでもうこれからは、と記事にタイトルをつけたけれど、これから、なんていうものは今はなく、ただエヴァンゲリオンは終わってしまった世界に私は生きている。

赤子が階下で泣いているので、この記事はこれで終わる。また、あらゆるところで会いましょう。さようなら。