すべての群れの客である

大地から5センチくらい浮きながら文章を書くよ!

アイスクリームフィーバーをみたよ!

アクセサリーをつけたいな、ほしいな、と思っている。

ここ最近、もうずっとそう思っているのだけれど、私はアクセサリーをあまりもってないし、アクセサリーをつける文化も上手に獲得できなかったので、どんなものをつけたいいのか全然わからない。買いに行っても、なにが似合うのか、なにが好きなのかもぜんぜんわからない。

自分に似合うアクセサリーがわかればいいのになと思う。でも、そういうのはきっと、自分で試して、これが似合うとか、似合わないけど好きだとか、やってみて見つけていくものなのだろう。そう思うと、なんだかとても遠いものに思う。私にはまだ早いのかも、と思う。

ものすごく大人になってしまった。でも、ときどき、かっこいいアクセサリーをつけている人をみていると、というより、アクセサリーが似合っている人を見ると、いいなー、アクセサリーをつけたいな、と思う。

そんな映画だった。

職場の素敵なお友達が、私のことを思って、こういう映画が好きなんじゃないでしょうか、と教えてくれたのがアイスクリームフィーバーだった。一緒に見に行こうとしたのだけど、公開日と休みが合わなくていけなくて、ああ、終わっちゃったな、残念だな、と思ったのだけど、近所の単館系のおしゃれ映画館でやると知って、やることが五億個くらいあったんだけど、全部捨てて、見に行った。

吉岡里帆氏が好きで、できれば付き合いたくて、付き合えなくてもぜんぜん、ワンナイトの遊びとかでもいいから、なんか、お近づきになりたいのですが!? という感情を常に抱いていて、だからこの映画は夢のようだった。

ん? ちがうちがう。もっとこう、ちゃんとした、エモっぽい感想がいいたいのだわたしは。だってともかくすごくいい映画だったから。映画をみたあとにこの映画を見られたことが嬉しくて、歩き回りたくて映画館のまわりのあたりをずんずんと歩き回った。喉が乾いて、水を飲んで、風が湿ってぬるぬるしていて、まだまだ歩き回りたい気分だった。

松本まりかちゃんの声とか雰囲気とかなんていうか全部が好きで、一緒に暮らしたいと思った。一緒に暮らして、嵐の日に夜中目が冷めちゃったね、とかいってホットミルクを作ったり、作ってくれたりして、まりかちゃんはたぶんジェラピケ?とかなんかわかんないけど、可愛いパジャマの上にかわいい上着をかけていて、明日しごとやだなーとかいって、休んで一緒に映画見ちゃう? とかいって、でも明日ちゃんと仕事にいくことはわかってて、でもでも「そうしよー」とかってどちらともなくいったりなんかして、えっ!!なんだこれは、百合夢小説? あぶないあぶない。

本当に違うんです。そういう煩悩がわきたてられていい映画だと言っているのではなく、ちがうんだ、煩悩がわきたてられる映画もこれまたすんばらしい映画ということはおいておいて、事実その側面も大変にあるんだけど、だって私の好きな女の人しかでてこないし! だからね、もっとちゃんとした感想を私はいいたいのだけれど、いい映画の感想なんてそんなすぐにでてこないから。まだ体の中にじんわりいて、血になってめぐってて、一年後くらいにちょっとずつ言語化できるから! じゃあなんで今note書いたんですか? たしかに。

前情報をまったく仕入れずに、ともかくフライヤーからして可愛いし、ちょっとだけみた予告も、かわいくて、でもなんの話かわからなくて、どきどきしながた見た。

もう一回みたいな、もう一回みてまたちゃんと感想を述べたいな。

アイスクリーム屋さんの吉岡里帆、という時点でもうそれは満点といって差し支えないのだけれど、そこの一緒のバイトちゃんが水曜日のカンパネラの詩羽ちゃんで、本当にこれがよかった。お声がすごくよい。生っぽくて歌みたいで喋ってるだけで詩みたい! だからお名前が詩羽ちゃんなんだろうか。しかもしかも、そこの店長がMEGUMIなんだ! さすがに声がでそうだった。私の好きな、女しか、でてこないのか??? と混乱した。

お話としては、アイスクリーム屋さんのお客さんに恋、というか一目惚れというか、びびっときた吉岡里帆のターンと、突然おうちに姪が来訪してお父さんを探すから夏休みの間しばらく泊めてといわれる松本まりかのターンがあって、これが本当に絶妙で、どっちも、関係性が、もう、大好きな関係性の連続で、もう、関係性が、もう。

ネタバレを普通にちょっとだけしますけれども、全然わたしは、このお話を仕掛けのあるものだと思っていなくて、冒頭に出てきた男はなんかただおしゃれのためだけに出てきたのかな、っていうか好きな女の子が出てきすぎて完全に存在を忘れていたな、って感じなんですが、この部屋と、それぞれの関係性の移り変わりが絶妙で、時が過ぎて人と人との関係性と場所が変わるってことが、こんなにおしゃれで、素敵な感じに表せられるのかー! と感動しました。

ひと夏の出会いとその終わりって、引っ越しと似てるのかもしれない。自分で選んだ調度品、柔軟剤とか生活の匂いがあって、いつも座る場所とか、カーペットの端の触り心地、真昼に寝ちゃったこととか、起きたら夕立だったとか、そういう部屋の記憶って、引っ越しちゃえばそこには何もなくて、自分さえそこにはいないけれど、たぶんずっと長い間、すぐそこにあるみたいに思い出せるものなのかもなって。でも、別の暮らしが始まったら、だんだんその部屋の生活の記憶は薄れてしまって、でも、ちょっとしたもの、その部屋で使ってたマグカップとか、読んでた本とか、そういうものを見ると、ぱっと思い出して、変な気持ちになったりとかするのかも、というようなことを、思ったりした。

誰かのことを好きだった、嫌いだった、許せなかった、どうすることもできなかった。そういう気持ちって、成就しないと長続きする。でも薄れる。薄れるのが本当はいいことなのかもしれないけど、薄れさせたくないみたいな気持ちがある。

時間軸の妙もすごくよかったし、情報の開示の仕方がすっごくかっこよかった。めちゃくちゃかっこよかった。ここは普通にネタバレしますので見る方はとばしてほしいのですが、松本まりかちゃんのお姉さんが実は死んでいた、というところ、すっごく絶妙です。そこでそのセリフなんだ! っていう。めちゃくちゃよかった。もう一回みたい!私は聡いほうではないので、えっ! そうなの、きゃー!!! ってなった。関係性だわ。

姪、というもうそれだけで好き関係性なのですけれど、この松本まりかちゃんと姪の関係、もうこれでご飯たくさん食べられます。食べたいです。後半に双方のお話にすごい盛り上がりがあって、もうなにがなんだかわかんないけどもうよすぎて泣いちゃう、みたいな瞬間があって、でもまだ映画が続いていて、うそ、あんなに盛り上がったのに終わりじゃないの? と思ったけれど、盛り上がったあとがまたすごかった。よかった。

モトーラさんの声も目もよかったな。都会のひとって感じで、すごく好きになる気持ちがわかる。好きというか、なんていうんだろう。何もない人が惹かれるタイプの人間。なにかがありそう、って、でもずっとそう思われてきた側の人間なんだろうなって思って、でも、なにかがありそうって、結局は人とは違うってことだし、なにより、なにかがありそう、っていうその期待に答えないとあとがない感じ、そういう背景とモトーラさんの身体がすごくあっていた。

ていうか本当に全員よかったんだ。姪ちゃんもすごくよかった。片桐はいり氏はいうまでもなく。すきすきすき。

百万年、君を愛す。かっこいいなー。すきすき。
だんだん雑になってきてしまった。もっとちゃんとした感想を書きたかったけど、ともかく私のような関係性大好き人間には最高のものだった。生っぽい撮り方なので途中すごく酔って大変でしたが、色彩も素敵だし、途中でながれるラジオがラジオでよかったし、音楽がね、なんといっても、最高だったです。サントラかっちゃったもんね!

そんなかんじで、全然いい感想になってなかったけど、せっかくだからあげておこう。またDVDとか出たら買ってみよー!できれば映画館でもういっかいみたいなー。

そんじゃまたねー!

畑日記2023 summer mountainの陣

やっほー!みんな元気!?
私はびっくりしてる。! ほら、びっくりしてるからビックリマークの前に句読点つけちゃったもんね。相当な慌てぶりですよ。だって今日は7時には起きていたのに21時に近い今、なにごともなしていないなんてね。

夏が終わるのか?そんなはずねえよな!なあみんな!!!

砂漠なのか?

だって私の部屋は39度だし、夏が終わっているはずないんだ。だってまだ何もしていないし。8月末の締め切りのレポートが実は8/30の締切で出せなかったし、でも8/30の時点で1文字も書けてなかったので締め切り間違ってなかったとしても無理だったとはいわせない!!!いわせねえよ!

並行世界には無限の可能性があるんだ!

8月31日の1日でレポートは終わったはずだし、新しい公募の準備だって終わってただろうし、床にあるこの、なんですかこれは? なんでこのように床に中原淳一マリー・ローランサンと赤いマニキュアが転がっているんですか? 逆におしゃれだわ。問題なかった。

だからいこうぜ! 8月のその先へ! つまり今日は8/33日ってわけ! ね、そうでしょみんな!

これは私が昨日8/31って書こうとして書けなかった注文書

でさ、まぁ畑にいかなきゃって感じだったわけ。
毎年こう、なんか夏のあたりに畑日記を上げているので、ぜひみんな読んでくれよな! って感じなんだけども。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887686937/episodes/1177354054889131121

https://note.com/eleinutiger/n/ne5724c82c36f

https://note.com/eleinutiger/n/n4720d0dc2eb6

冬にもいってたわ。
朝、今日は図書館に行ってレポートがさすがに終わるんだ!と思っておりまして。すると宅の母が「茄子を取りに行かれよ」と申されたので「うむ。参ろうか」と単身畑に向かったのであった。

マウントを、取られるんですよ。
ああ、これはいま話が横道にそれていると思わせて本筋なんですけれどもね、というのも、畑日記一本ではちょっと茄子取っただけなんてあんまりおもしろくないので、横道というか、同時多発的にお話をしますが。

マウントを取られる、という概念を発見したのはごく最近なのですが、というか、ていうか、マウントってなに!? という気持ちがいつもずっと強い気持ちである。

ていうか、マウントって!? ようしらんけど、めっちゃ卑しい概念じゃないですか。私はそう認識しておりますけど。なんでか最近よくその言葉を聞くようになって、もしかするとカクテル・パーティー効果? みたいななんかそういう、その概念を認識したからいっぱい聞こえるのかもしれないのですが。


いたんだよな、いるんだよな! 田んぼの水があるとな!

畑へは自転車で行きまして、宅の母の自転車で行きまして、母の自転車はなんていうか、ものすごい加速の維持が異常にすばらしく、私が弱虫ペダルだったら優勝しているくらいの超高性能ママチャリマシーンなのであります。

畑に行く道の途中に高架橋があり、高架橋の下でカラスが4匹遊んでおり、私はカラスが大好きですので、あらあら、と思って見ていたのですが、最初は「なんだなんだ」と若干の人間の来訪への緊張がありましたけれども、すぐにまた遊びに戻って、なにかこう、わふわふとされておりましたね。カラスはいい動物だよな~

ことの発端は、というか私にはことの発端というのがどこにあるのか、てんでわからないのですが、なんかある日「あれ? なんかマウントとか言ってんな?」という事に気づきまして、それは他人もそうだし、私も何度か最近その言葉を使うことがあり、まぁそういうこともあるよね、とは思っていたのですが。

いや、わかるわかる、その言葉流行ったのってたしか五億年前ですよね?
むしろ定着したいったほうがいいでしょう。もはや定番の概念。定番? 本当に? いやいやいや。

マウントってなに!?
おっけーグーグル、マウントってなに?
はいマウントとは……

マウントの意味とは?

マウントとは、見栄を張って相手よりも自分の方が優位だと見せつけるような言動を指します。 動物が自己の優位性を示すために相手にまたがることをマウンティングといいますが、人間の場合はまたがるのではなくさまざまな言動として現れます。

セキララ・ゼクシィ 

どういうこと!? どういう競技なんだよそれは。文明がないのか?
人にまたがってはいけないと思うのですが!?!?

これはきれいな茄子

畑はもう夏まっさかりで、何かもうそこここが緑に侵食されており、あとてふてふが! てふてふが無限にてふてふしてて、え? てふてふの旬で夏でしたっけ? と思いました。

茄子が子供の腕くらいになっておりまして、こわ、と思いながら取りました。規格外のものっていつでもこわい。あと私はやっぱり巨大なものが怖い症候群なんだと思う。大きいというだけでこわいよね。

畑の入り口にはザリガニの腕が落ちていた。まいど言っているけれど、どうしてザリガニは暑い日照りの道に出てきて死んでしまうん? なにか、重大な任務があるのか? 

自分がマウントを取られやすいということは、もうマウントという言葉が生まれるずっと前の紀元前から知っておりましたけれども、さっきマウントという言葉ができたのが五億年前と定義しておきながら、紀元前から私がマウント取られていたということになると、それはどういうことになりますか?
あいにく私にはなにもわかりませんが。

いや、この話で何を言いたいかっていうと、マウント取られるのやだなー、と私は思ったことがなく、なぜなら私の身の回りの人には今までそういった概念を使って話すひとがそんなにおらず、そもそもそれがマウントだという認識がない。。

テレビの中とか、誰かから聞いたお話の中とか、あとはまぁそんなに仲良くない人の行動とか、そういうところで使われていた言葉なので、自分に対してそれを感じたことがなかったのですが、ここ昨今、マウントという言葉が身の回りで走り回っているために「マウントを、とられているのか……?」となってしまったことがいやだ、というのが今回のお話です。

マウントって、こう、取られる側の認識の問題でもあるんだなってはじめてしりました。なんでこんなことを思ったのかというと、仲良くしてくれていると思っている人と、楽しくお話をしていて、まぁその内容はたしかに第三者のことについてだったのですが、普通に楽しく聞いていたのに、あとでマウントを取ってしまった、というようにその人が反省をしていて、大事なものだから負けたくないのかも、というようなことを仰っていて、えっえっえっ!ってなったのでした。

普通にショックで多分、今日はそれで寝込んでしまったのだと思うのですが。そう、今日は畑から帰って、図書館にはちゃんと行ったのですが、そしてレポートは全然終わりませんでしたのですが。

そのあと、どうしても明日のパンを買いにいかなくちゃいけなくて、近所のスーパーに入ったのですが、入ったら、なんかこう、人間が、たくさんいまして、避ける動線がぜんぜんわからない、音が、ざわざわする、人間の声、なんかいっぱい音が、、、、

と獣になってしまい、家に帰って「agixx~」みたいな末期の声をあげたきり、お布団の上から動けなかったとさ。FIN~

ドードー!この前美術館で見たの。玉田多紀さんの作品です。

いやわからん。わかんないけど、ここ数日すっごいショックで、といいますのも、マウントって、好意ではないですよね? そのマウント取った相手にはすくならからず、敵意的なものが? 含まれている? います、よね? そんなことない?

わかんない、私はその競技に参加したことがないので、その、マウントという競技に明るくないので。意味がわかんないんだけど、たぶん、そのマウントという競技に参加している人にとっては、私が普通に話した内容もマウントとみなされ、勝手にこう、参加者に? されてしまっているわけなんですよね?

なんなんだ? いやいやいや、これは整理する必要がある。
私は、マウントを取られる対象にされたことが悲しいんじゃないんだ(悲しいです)あんなにいい人でさえ、そのマウントとかいう競技に飲み込まれて、そんな卑しい概念を持ち出してしまうという、その、だから、マウントという競技に対しての怒りなんですよ。そうおこだよ! わたし、おこなんだから! マウントとかいうやつ、ゆるさん!!!!

あれ? なんか勝手にマウントのことマウンテンから来てると思って題名にもいれちゃったけど、マウンティングっていう言葉とマウンテンはもしかして関係ない? どうなの?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14265397199

はい。知恵袋に答えがでてました。なんでもわかる。全部わかる。

整理します。ていうかこれ、このnote面白い? なんか面白くなかったらごめんね。でも日記だから、人の日記読むだけで面白いでしょ? 私は面白いよ。

まず、構造としておそらくマウントという行為には、私のほうがすごいんだぞ、的な、優越を誇示したいというものがあるわけですよね。そのために対戦相手に情報をたくさん開示するとかするんですよね。

で、多くはなんかその、色恋っていうんですか? わかんないですけど、色恋に近しいもの? 情念に近い場所で行われる競技ですよね。第三者に対して、私のほうがよくしてもらってるんだから、とか? こんなこと知ってるよとか? そういうことを、相手に言って、優越を……

ちょっと、あの吐き気が、あのとまらないのですが、こんな苦しみながら整理するようなことなのか? でも書き出してしまったので書くしかない。でもなんでそんな悲しいことを、するんだ、人間たち、落ち着いてくれよ。

意味がわからん。その、人間関係に優越、とかそういう概念を持ち込むことがまず、もう、なんていうか、むり。むりぽよすぎる!いみわからん。

人間関係に!!!!優劣を!!!!つけるな!!!!!!

誰かに大切にしてもらったりとか、仲良くしてもらったとか、信頼があるとか、そういことは、それこそ大事な財産なんじゃないのか? それは誰にも侵されてはいけないものなんじゃないのか?

大事なものは大事にしろ! いますぐ宝箱にしまって!!!

いやいやまじでどういうこと? 人よりその大事な人との大事な思い出というか絆というか信頼というか、もっと簡単でもいいですけど、話しかけてもらったとかそういうこと? しらんけど、なんかそういことがさ、多いとさ、なんなの? そういうものがたくさんあると勝ちっていうシステムなの? まじでどういうシステムの競技なんだよ。

そもそも大事なもので第三者と戦うってなに? 傷つかないのかそれで!? その大事なものは!?!?! え??? 

なにか? もしわたしがマウント参加者だったら、私も大事なものを取り出して戦わなきゃいけないのか? どういう類の競技なんだよだから。勝利の先になにがあるんだ? 勝ったら相手の大事なもんでも全取りできんのか?

え、まって、もしかしてそういうシステムなの? 私がたまさかにもマウント競技に参加して勝ったら相手の大事なもんもらえんの? 

いらねーけど!!!!! なに!?!? どういこと??
意味わからん!

はぁ~~整理したけどマウント競技者のことなんもわからんかった。
ただずっと吐き気が止まらなくて、悲しくて、苦しくて、つらいことだけはわかる。私はそのような競技には参加しておりませんので、と思ったけど、私も今まで軽い気持ちでマウントという言葉を使ってきたので、いまさら、なにを、と言われたらそれまでです。

えーっと。あれ?なんでだろう。畑日記とは???
こんな話をするつもりじゃなかったんだ。でもしてしまったからあげるしかないんだ。なぜなら今日は、やろうと思っていた公募の準備が寝込んでいてできなかったから。ついでに関係ないけどレポートもぜんぜん進まなかったから。せめてnoteでもあげて、なにかをやったみたいにしたい。お前はいつもそうだな。いつも言ってるよこの文言。

ま、そういうわけで、夏、終わったっぽいわ。こんなに具合悪いってことはこれ、夏、終わってます。
夏だったらこんなことでぎゃーぎゃーならんですもん。夏が終わったのでくらってるんです。というわけで、ここからは長いメンヘラ時代です。みんなサポートよろしくな! 適宜!

ていうか、私はね、コミカライズの話をぜったいにしたいんだよ。万全な状態でするんだーっていってたらもうこんな時期だよ。

http://www.comic-medu.com/wk/girlsattheedge

大好きハトリアヤコさん(https://twitter.com/hatoriayako)の漫画でコミカライズされたんだ!最高!ハトリさんに描いてもらうことで、私は大きな声で「めっちゃ面白いな!」ということができます。ハトリさんの漫画は本当に面白いんだ。日常と非日常の描きかたが。

女の子が救われる話を魂削って書いたので、そしてそれを同じように魂を削って描いてくれているので、ぜひとも、なにとぞ! よろしくお願いいたします!!!わーい!!!

そんなこんなで、寝るよ! 悪夢の確定演出でてるけど、明日も早番だからねー! わいわい! それじゃあまたねー! 次はもっと面白いものかけるようにしとくね! おやすみー!!!


さよなら私のガスオーブン

今日、ガスオーブンがいなくなった。

ガスオーブンはわたしよりちょっと年上と思っていたのだけれど、調べてみると実際にはわたしのほうが少し年上で、むかしむかし、母の働いていた中華料理屋の二階にあった喫茶店からうちへもらわれてきたのだった。

その喫茶店には銀色のすこし首の長いお皿の上にバニラのアイスがのっていて、その横に白いウエハースが乗ってあったのでよく覚えている。わたしはまだ小学校には通っておらず、首の長いお皿も初めてだったし、それが銀色であるのも初めてだったし、アイスだってほとんど食べたことがなかったし、なにより白い色のウエハースが斜めにおしゃれに乗っているのを見たのは初めてだったのだ。

わたしは母が仕事をしているのか、あるいは仕事ではないが何か用事があって階下の中華料理屋にいたのかは分からないが、その喫茶店のカウンターの席に座って、その銀色の皿のアイスとウエハースを食べていたのである。

カウンターの椅子は高くて足がどこにも届かない。その向こうには白いレースのブラウスのようなお洋服の上に、肩紐がとても華奢な黒いエプロンをした女の人がふたりいて、私の子守をしてくれていたように思う。

ガスオーブンはそこからうちにきたのだ。でも私はそれを長いあいだ知らなかった。ガスオーブンはずっとうちにいて、同じ場所にあったと思っていた。なんでも喫茶店を閉めるというので母がもらってきたらしい。

ガスオーブンはとても大きかった。とても大きな立方体で、子供の頃の私などまるまるそこへ入れると思うような大きさだった。天板が3つ入っていて、扉を手前に開けると、魔法のような音がする。他になんといって説明すればいいのかわからないけれど、ともかくそこでしか聞けない音がするのだ。ブォオン、となにかが灯るような音で、なんとも言えない、ガスオーブンが開かれるときだけの音。

うちの中でどこか別の世界につながる扉があるとすれば、きっとこのガスオーブンの扉の向こうだろうと私はちいさいころからよく考えていた。だからガスオーブンの扉を開くとき、いつも少し期待している。なにかすばらしいことが起きるような気がしている。

でもガスオーブンは今日いなくなってしまった。

もう長いことガスオーブンを使っていない。年に数回、お菓子を作ったり、グラタンを作ったりするときに使うけれど、それさえ年々減っている。ガスオーブンはとても大きく、台所のほとんどすべてを占めているといってもいいくらいの場所を取るから、もうそろそろいいんじゃないか、という話になったのだった。

一度その話を聞いた時には、なんだか寂しかったので反対したのだけれど、実際に考えてみると、たしかにガスオーブンは大きかったし、私にはガスオーブンをちゃんと使ってあげられるような生活の余裕はなかった。

それにこれは私のガスオーブンではなく母のガスオーブンなのだった。私が小さいころには、あるいは高校とそのあとくらいまでには、母はよくよくこのガスオーブンを使っていたように思う。トースターでも足りるくらいのちょっと小さなココットを作るのにだって使っていたし、まだ家族も多かったのでグラタンを作る時には大皿で、ガスオーブンを使っていた。なにより、しょっちゅうお菓子を作っていた。

特によく作っていたのはティラミスで、おそらくあれは90年代初頭のティラミスブームのころだったのだろう。うちのティラミスはスポンジケーキラム酒でひたひたにして、その上にエスプレッソかけて、マスカルポーネのクリームをのせるのだった。私は小さいころからそのラム酒に浸ったスポンジの部分が好きだった。あのように体の中に風が通るような食べ物は大きくなってもあまりお目にかからなかった。

母はアップルパイもよくつくった。シナモンをたくさん入れたりんごをことこと煮てコンポートを作って、パイ生地を広げる間にガスオーブンを温める。開くと魔法の音がするガスオーブンは、温めるときにはちかちかちかと少し繊細な点火の音をたてて、そのあとには轟々と燃えるような音を立て続けるのだった。うちのアップルパイの形は四角。真ん中にりんごジャムを乗せて、よっつの角を真ん中にあつめる。あつめたさきを少しひねって、ハケで黄卵を塗る。ハケの仕事はよく私にやらせてくれた。てらてらと光ってそれだけでもう美味しそうな姿になる。

もうひとつ、よく作っていたのがフランスパンでつくるアーモンドとキャラメルを乗せて焼いたやつ。今調べたらフロランタン風のラスクという食べ物みたい。これが本当に美味しくて、アーモンドとキャラメルのかかった表面はパリパリしていて、でもキャラメルが染み込んだフランスパンのところはじゅわっとしているのだ。いつか誰かがうちでも作ってみたけれど、うまくいかなかった、というようなことを言った。そういうとき母は「うちはガスオーブンだから」と答えた。

ガスオーブンだから、という言葉はよくよく聞いたような気がする。だから何がどうなってそうなのかわからないけれど、小さいころからその言葉を聞いていたし、実際に開くと魔法の音がするので、私はこのガスオーブンがあれば大抵のお菓子が美味しくなるのだと考えていた。

私が作れるお菓子は一種だけで、それはガトーショコラなのだけれど、これもおどろくほど美味しくできる。驚くほど美味しくできるので、私はずっと自分はお菓子作りが得意で好きなのだと思っていた。ガスオーブンでつくるガトーショコラは中の重みがちょうどよくて、外側のすこしチョコがコゲたような所がちょうどよく苦くて、ともかく何もかもいいかんじに仕上がるのだった。

あまりに美味しいので、バレンタインデーにあげたいから、というガトーショコラの影武者を二三回やったと思う。それぞれ別の子で、あまりお菓子作りが得意な子ではなかった。でもどうやっても美味しく仕上がってしまうので、そういう意味ではあまりいい塩梅の影武者ではなかったと思う。

ガスオーブンのオレンジ色の光の中で、ガトーショコラの上の部分が乾いてきて、ふわふわと動くのを見るのが好きだった。だからそう、うちにはもうガスオーブンがいなくなってしまったので、わたしはあの世界一おいしいガトーショコラを食べることができなくなったのだ。

どんなお店で食べたものより、いちばんに美味しかった。それはそうだ。わたしのガスオーブンが作ったのだから。あのガスオーブンは母のものではあったけれど、ガトーショコラを作るときだけは私のガスオーブンだった。

もし私にもうすこし甲斐性があって、おやすみの日にたびたびお菓子を作ったり、綺麗にみがいてやったりしていたら、今もガスオーブンはうちにいたのかもしれない。いろんなことをしてもらったし、いろんな時期のいろんな時間をすごしたのに、私はあのガスオーブンにとりたてて良いことをしてあげられなかったように思う。

ただ楽しい、明るい思い出があるばかりで、そう、うちの台所には出窓があって、午前の光がとってもよくはいるので、ガスオーブンの景色はいつでも明るいのだった。暗い暗い、ひどく重たい学生時代の一時期も、ガスオーブンのまわりは明るくて、幸せに似た景色をしていた。だから、やはりこの世界のどこかに別の場所へつながる扉があるのならば、あのガスオーブンの扉の中に違いないと今でも思う。

これまでもこれからも、私は私のガスオーブンを思い出す時には、明るい景色を見るのだと思う。ただ今は、もういないということに淋しさを感じてしまう。でも本当に、いつでも幸福に一番近い場所にガスオーブンはいたと思う。それは少し、私のガスオーブンにとってもいいことだったのではないかなと思う。そうだといいなと思っている。

いろんなものが写っているね

さよなら私のガスオーブン!

たてばやしたぬきにっき

一日目 うどんと林檎とブックオフ(それから台湾)

この2日間で館林に行った。館林には師匠の家がある。
師匠はわたしの人生の師匠でいろんなことをわたしに教えてくれる。館林もそのうちのひとつであって、とてもいい場所である。わたしは一度師匠の家をたずねて館林に行ったことがあるから知っているのだ。

ぐんまちゃん。なぜなら館林は群馬県だから。

なんやかんやで館林駅について、まずうどん屋さんへ向かった。以前来たときには人が大勢並んでいて時間がなくて食べられなかったので、ちょっと早めに来て今度こそ食べるぞという気持ちで行った。どうしても食べたかった。理由は写真をみたらわかると思うので写真が出るまで待って。

ついたらやはり人がかなり並んでいて、私の前に並んでいた夫婦がずっと文句を言っていた。この店は自分たちのことしか考えていないのだ、だからこのように寒空のもと人間を並ばせるようなことをしているのだ、とずっと言いながらちゃんと並んでいた。お店のひとは大変だなと思った。

気づき

ふと横を見ると、ぐんまちゃんにはたてがみがあるのだった。そう、ぐんまちゃんは馬だったのだ。知っていたけどびっくりした。
立体のぐんまちゃんをちゃんとしっかり見ていなかったので、とても興奮して写真を取っている間にも夫婦は文句を言っていた。
わたしは並んでご飯を食べる人間ではないので、どんなに食べたくても並んでいたら食べない人間なのでならば並ばなければいいのにと思いながら、こうしてうどんを食べるために並んでいる自分に矛盾を感じていた。しかし、写真を見ていただければ私が並んでいる理由がわかるだろうと思う。

はじめてのたぬき

店の外にたぬきがいる。
私は日の当たるぽかぽかとめっちゃ寒いベンチに座りながら森博嗣の『封印再度』を読んでいた。急にM&Sシリーズ読破したらいいんじゃん?と思って読み始めている。『すべてがFになる』はかなり昔に読んだのでいろんな内容を忘れているが、そろそろ謎がとけそうな気配があった。でもあと130ページくらいはある。といったところでずんどこ名前が呼ばれて私の番になった。
店に入ると、なんと席がめちゃくちゃ空いている。なるほど、だからあの夫婦は怒っていたのか。これだけ席が開いているのになぜ通さない!?ということだったのか。しかしまぁ、理由はわかんないけどなんらかの理由があるのだろうと思った。わかんないけど。
予習していたうどんのメニューがちょっとちがっていて、はわはわしながら秒で注文した。だからいつも注文を間違える。森博嗣を読みながら待った。謎を解いてくださいよ、と犀川先生が言われている。なんやかんやいって謎を解くんだろうな、と私は思う。あと大好きな執事さんが不憫かわいくて大変結構。と思ったところでうどんがくる。

ならぶ理由のあるたぬき

ご覧よ。

たぬきだよ

並んだかいがあるというもの。
たぬきだぜ。たぬきのうつわにうどんが入っているんだぜ。しかもそのうどんは5センチくらいの幅があるんだぜ。すごいよな。並ぶかいがあるよ本当に、と思いながらまずてんぷらを食べて、一口目で胃もたれを感じて気持ち悪くなった。じゃあてんぷら付きじゃないのを頼めばよかったのか?と自問してみるが、食べる前のわたしはてんぷらを克服したと思っていたのである。時と場合による。天ぷら屋さんのマジのうまい天ぷらだったらいけるのかもしれない。この天ぷらがまずいということではない。美味しかったと思う。万事時と場合による。

さあうどんをたべよう! と思うのだけれども、うどんの器、つまりたぬきが非常に遠い場所にある。写真を見ていたらければわかると思うのだけれども、遠い、遠いですよね? 器が熱いのでやけどしないように、みたいなことをお姉さんが言っていたので、おそるおそる引き寄せようと握ったら本当に熱かったし、下にずれないためのシートみたいなものがひいてあって、5ミリくらいしか動かせなかった。しかたがないので、そのまま食べるか?と思ったのだけれど、うどんが5センチあるので箸でうまくつかめない。つかめたとしても距離があるので、口まで持っていくのがすごく大変。私はそう、全校で一番座高が高かったので、座高新記録を叩き出したような人間なので、めちゃくちゃかがまないとうどんに届かず、なにか、犬? わたしは、犬かもしれない、というような気分でうどんを食べるが、5センチあるので吸い込むのが難しく、あと本当にうつわが遠い。おたまみたいなやつを使おうとしたのだけれど、これは口をつけるようのおたまなのか?もしかしてまた私にだけ取皿が用意されていなくて、実はとりわけて食べるようの食べ物なのではないか、と周りを見回したけれど、別に取皿はないようだった。私の座高が高すぎるだけかもしれなかった。
おいしかったしたのしかった。

これを食べながら、私はこのたぬきたちはどのようにして裏で控えているのだろうということを考えた。たぬきの皿の上に別のたぬきがのっているのだろうか。普通に考えればそうだろうが、でもどうだろう。もしかしたら一匹のたぬきにひとつの小部屋的なものが用意されているかもしれない、そうだったらいいのにな、たぬきが裏にいっぱいいて、楽しいだろうな、と思ったけど食べている皿を見たら明らかに上に乗っけている部分が禿げていたので普通にたぬきの上にたぬきが乗って収納されているシステムのようだ。

おすい、とかくとまろやか。

外に出るとマンホールがたぬきである。

おかみたぬき。てしたたぬき。
口から向こう側が見えるたぬき。写真うまくとれなかった。
石像たぬき。巨人軍ゆかりの地らしいね

ロータリーの前にもたぬきたぬきたぬき。
説明がまだだったけれど、館林は分福茶釜茂林寺があるため、町中にたぬきがたくさんいて本当にいい街。それだけでも住む価値ありです。たぬきがたくさんいると楽しいからね。

師匠が迎えてにきてくれて、師匠の家に行った。師匠の家のお庭にはチューリップの芽がぴょこぴょこ出ていて、師匠のお子さんと一緒にそれを眺めたりなどした。お子さんは前に一度合ったけれど、前に一度あったときよりずっと人見知りしていて、本当にごめんね急に遊んでくれて本当にありがとうという気持ちになった。師匠の家にはたのしいものがたくさんあって、遊んでもらってとても嬉しかった私は。たのしかった。アンパンマンはすべての職業をしている。パン屋さんや歯医者さんやウーバーイーツ的なものまで。この世のすべての職業はすでにアンパンマンによっておもちゃになっているのである。

師匠は私にいろんなことを教えてくれるので師匠なのだけれど、私の家と師匠の家の真ん中の十字路で待ち合わせしていろんなところに連れて行ってもらったし、サイゼで六時間くらい話すだけの時間や、古き良き時代のナンジャタウンを教えてくれたのも師匠である。全部たのしい思い出。戻りたい。と思いながら遊んで、解散して、ホテルにチェックインした。ミッフィさんのアニメを見たりなどして遊んだんだよ。

旅行支援でよさげなホテルに泊まることができてうれしい。一人でホテル、とても楽しい。でもまだ時刻が17:00過ぎたくらいで、ご飯を食べにいくにはちょっと早い?でもせっかくだから館林を感じたいぜ!と思って、グーグルピクセル5aを取り出し、別に機種名を書くほど最新でないのがざんねんだが、どこかいいところはないものか、と思ってブックオフに行くことにした。徒歩20分くらいとグーグル先生が言っていた。

はて?

旅先でブックオフに行くことが正しいことなのかどうか、私にはわからなかった。あまりただしくないようにも思われた。道は暗く、時々明かりがあって、それはなにか、おそらく地元の人間しか入れないような居酒屋だか、おしゃれ風を装った村の人間以外は受け付けない排他的なイタリアンだか、なんかそんなようなものだった。

そうして途中に、まったく街頭のない道が現れて、しかし遠くに光の見える場所があった。歩いて歩いていくと、光から果物がこぼれている。どうやら八百屋さんであるようだ。八百屋らしい八百屋さんだな、と思いながらりんごを横目に通り過ぎる。通り過ぎてから、りんごが食べたいなと思う。ちょっと戻って見ている。外に出ているりんごは4個入りなのでいらないなと思う。中を見ると一個入りの林檎がある。でも、りんご、どうやって切る?と思って通り過ぎた、で、結局戻ってりんごを一個買った。

りんごを一個(めちゃくちゃでかい)(サン富士と書いてあった)レジスターに持っていくと、レジのおじさまがぱっとそのりんごを見て「合格!」と言ってくれる。私は「わぁ、やったー!」という歓声を口からだして、paypayの残高があることを思い出し、paypayを使えるかどうか聞いた、もちろん使えるというので、はじめてバーコードを読み取って自分でいれるタイプのpaypayをした。おじさまはおそらく70代くらいだと思うが、にこにことpaypayの使い方を教えてくれる。わたしはバイトでpaypayをひとに教える立場であるのに、paypay側になるとなにもかもわからなくなって、はわはわしてしまったので、私もpaypay側の人間にやさしいレジ側の人間になろうと思った。

めちゃでかりんごをリュックに入れて、ブックオフまで歩いた。
旅行にいくと、今読んでいる本が読み終わったらどうしようvsこれ以上カバンを重たくしたくない、の気持ちの戦いがある。それはそうと、ブックオフ、まじで超たのしいな!という興奮があった。

地元のブックオフはみんな死んでしまい、ブックオフ的な中古本屋はちょっと遠くにあるのだが、やはりブックオフブックオフにしかかもしだせない雰囲気というものがあり、これが久闊を叙するとういことかと思った。なんという最高の空間。やっぱりこの世で一番たのしい読書はブックオフの立ち読みだと再確認した。ブックオフのない世界はずいぶんつまらんものだなと旅先で確認する。でもブックオフは私が知っているときより値段が軒並み高くなっていた。ぼろぼろの文庫本が700円で売っている。

100円の棚で今はなき枻文庫のなんかベトナム料理の本か、ホイッスルの文庫本か(家に帰ればあるのに)どちらを買おうか迷って結局岩波文庫の『世界文学のすすめ』を買った。ブックオフでもpay系はいろいろ使える。いつの間にか、ずいぶん遠くに来たものだなと思った。小銭の時代は終わったのだ。ブックオフでさえ、と思った。

ブックオフから出ると急に非常な面倒臭さを感じ、かつ非常に急激な空腹を感じた。来た道と同じ道を帰ると発作がおきる体なので、別の道を通っていると、台湾屋台という文字が目に見えて、そしてその建物がなんとも素敵だったので入った。どう素敵かというと、なんというか、白くて、レトロな感じの、なんていうか、なんとも言えないいい建物なのである。
外みたいな中みたいな階段をのぼると、入り口が犬は入っちゃいけません用の柵みたいなものでふさがっており、やっていないのかもしれない、と静かに帰ろうとしたが、おそらく中国語付近の言語で電話をしている店主に手招きされて、その奥さんみたいなひとにいざなわれて中に入ってしまった。

誰もいない。

私だけである。ストーブが真ん中についている。店主らしきひとはなにかずっと話している。メニューを見たら、なにか肉ご飯みたいなのと、小籠包みたいなのと、あとごま団子の文字が見えたのでこれにしようと思った。私は多くものを食べられないので、これだと多いかもしれないけれど、これだれのプレッシャーの中で二品だけを頼むということは私にはできかねた。

電話を終えた店主がやってきて、私にこの土地の人間ではないな、というような質問をする。いかにも、と答えると店主はうなずいて「館林にあなたのような格好のひとはいない」と言った。

次の日が雪だと聞いていたので、私は家の中で一番あたたかいものを来てきていた。その結果、裏起毛スウェットズボン+裏起毛宇宙人白パーカー+真緑虎ワッペンカーディガンという格好をしていたのである。これがどういう評価につながったのかは分からないが、たしかに館林にこのような格好をしているひとはいなかった。我が街にだってこのような格好をしているひとはいない。

店主の真意がわからないままぼそぼそと注文をしはじめると、途中で店主が「のみもの」という、えっ飲みのも!?と思って急いでメニューをみるが、酒しかない。温かい飲み物はありますかというと、なんか台湾茶の漢字が四つ並んでいる。私はその中だとおそらく東方美人が好きなのだけれど、カフェインを飲んだら死んでしまう体になってしまったので、どうにか回避できないかと思って頼んでみたのがジャスミン茶だった。茉莉花みたいなそんな名前でしたでしょうか。そもそもこんなところにノンカフェインのお茶があるはずはない。

すると店主がなにか「ここは居酒屋」「酒が」「次」というような単語を話した。私が油断していたのと、自動モードに入っていたのと、店主の発音が曖昧なのとで、全然わかんなかったけど「ここは居酒屋なので酒を頼まないといけないのだ、今回だけは許してやるが次回から酒をたのめ」と言ったのだと私は解釈した。

コンビニでなんか買って食べればよかった。と激しく思った。しかもなんか私が注文したごま団子のせいで厨房(目と鼻の先)で店主とその奥さんらしき人が喧嘩をしている。こわい。横を見ると中華っぽい棚にサイがやたらに並んでいる。あと観葉植物と、なにか、あるな、と思った。喧嘩にどきどきしてよくわからなかった。
店主がジャスミン茶をあの台湾のおしゃれなお茶いれるやつに入れてくれて、めちゃくちゃ感動した。もしまたカフェインが接種できるようになったらあの台湾のお茶入れるやつほしいなと思った。

台湾のおしゃれなお茶いれるやつ

肉ご飯みたいなのと、小籠包と、ごまだんごが一気にきて、一息ついていると、入り口の犬は入っちゃいけませんの柵がぱっと開いて、子供が入ってきた。
店主が「いつものところね」というよなことをいい、子供は私の背後のテーブルへと座った。もうひとり子供がきて、両の親が来て、私の背後に座り、なにかなれた感じでお話をし、たくさん食べ物を頼んだので私は非常に居心地がわるかった。

頼んだものが頼んだ通りに来た。見た目と同じ味がした。

私はたったこれだけしか頼んでいないし、たったこれだけも食べられる自身んがなかった。こんなに白米だけを食べるなんて文化はないし、野菜がないというのも不安だった。野菜的なものはメニューに見当たらなかった。まず小籠包のレタスをちぎってたべた。小籠包も食べた。死ぬような気持ちになりながら、全部たべた。ごま団子、どこで食べても絶対美味しいのでありがたい。だいすき。苦しくてその他の味はよくわからなかった。

苦しみながらぜんぶ食べて、お茶も半分くらい飲んだら、なんと店主がお茶を追加してくれる。もう出ようと思っていたけれど入れてくれたお茶を満タンのまま出るわけにはいかないと思って、もうお湯が追加されないようにおしゃれな入れ物を両手でもってはなさないまま、直火に近いストーブの熱をふくらはぎに感じつつお茶を飲んだ。こんなにお茶を飲んだらまた具合が悪くなるのではないかと恐ろしかった。

よし帰るぞと思ってお会計をすませて帰ろうとすると、店主が階段までついてくる、なにか話をしなければと思い、この建物は非常に最高かっこいい、という話をしたら、建物の外にでて、ここら一帯が同じ大家の持ち物なのだ、というようなことを教えてくれる。昔は雑貨屋が立ち並び、ちょっとしたモールのような場所だったのだ、とのこと。今、その面影はなくすべての店のシャッターが降りている。

どうやって立ち去ろうか考えていると、店主がどこから来たのかという。答えると、そこには象がいるだろう、という。わたしは興奮して「そうです!象がいるんです!」と答えが、もう象は15年もまえに死んだのだった。しかし私は遠くはなれたこの土地にも私の象のことを知っている人間がいるのだということに感動した。私は象のことを考えるとみるみる膨張する自我をもっている。私は私がその象をどれだけ信望していたか、ということを店主に伝えたかった。

思い返せば「象を好きになればいい」と私に教えてくれたのも師匠であった。あのころ、いつだかどこかのエッセイに書いたのだけれど、私たちはサイゼリアで何時間も過ごしながら「犬はなぜ自殺しないのか」というようなお題目について考えながら、死ぬことばかりを考えていた。今よりも鋭く強く生きるのがつらく、つらい、という言葉はあまりそぐわないのだけれども、ともかくそんなようなことで、だから師匠は私に象を好きになればいいと言ったのだった。

象を好きになって、象のグッズをみたらそれを買うようにすれば、ささやかではあるが人生に目的ができるし、結果的に家に好きなものが増え、幸福であるような気持ちになれる、という寸法だった。師匠はそのやり方でなんの動物を好きになったといったのだったか、センザンコウ以上ミーアキャット未満くらいのネームバリューの動物だったように思う。象は有名すぎて売り物が多すぎると私が気づくのはもっと先のお話。

そんなこんなで、なんでしたっけ? そう。店主と象の話をしたかったがもう話は別のことにうつっていて、2、3のやり取りをしたあと、そろそろ退散のタイミングか? と思ったところで「あなた、なにかスポーツをやっていた?」と聞かれる。おお、見知らぬ人に言われる質問ナンバーワンのやつだ! と思いながらバレーをやっていましたと答える。それに沿った相手の言葉が返ってきて、その場はお開きとなった。店主、いいひとだった。また行くね、と約束をして、でもお酒が飲めないからな、と残念なきもちになった。

ホテルまでの帰り道、私はいままでこの「なにかスポーツやってたの?」という質問をもう5億回は聞かれているが、まぁ5億回が大げさだとしても、どんなに少なく見積もっても100回は聞かれているが(トイレに入っただけで知らん人からそう話かけられる)(そんで背が高くていいわね、わたしなんかという逆マウントを取られて申し訳なくなるのである)そうしてそう聞かれるたびに、体がでかいからってスポーツしていると思うなよ!と思うのであるが、実際スポーツをしていたので、なんならバレーだけじゃなくミニバスもやっていたので、背の高いスポーツほぼコンプリートなのであるから、スポーツしてると思うなよ!の叫びは闇に消えるだけなのであった。

けれどそのときはもうひとつ思考が進んで「スポーツしてなかったらどうするつもりなんだろう」ということを考えた。質問を受けて「いえ、なにもスポーツはしていないです」という答えた場合、そこにはただ体のでかい人間が取り残されるだけなのだ。スポーツをやっていてよかったのかもしれない、という帰結に至った。あのとき渡り廊下を渡りきって、美術部の見学に行けなくてよかったのかもしれない。美術部に入っていたら、一生この質問のあとにただ体のでかい人間が取り残されることになったのかもしれない。

そんなこんなでホテルに帰った。


夜および二日目

お気づきかどうかは分からないが、ちょっと書くのに飽きてきた。一日目を細かく書きすぎたことに原因があるように思うが、原因がわかったところで改善できるとも思えないので、すばやくよると二日目を終えるつもり。

ホテルに帰った私は有頂天だった。なんでもできる! 旅先だから作業しなくても許される(焦りはする)し、だらだらしてもいい、歌をうたってもいい、ラジオ聞いてもいい、本だって読める!となったのである。生活の中で本を読むのが苦手なので、こういう本を呼んでもいい時間、というのが訪れると大変にありがたい。

本でも読もうかな、と思ったところ、リュックにひやっとした冷たい触ったことのないものが手に触れた。


垢抜けない素材集風ショット

りんごだ。
忘れていた。私はりんごを買ったのだった。

枕辺のりんご

ぜんぜん食べたくない。
いや、ぜんぜんということもないのだけれど、ちょっとは食べたいけれども、めちゃくちゃでかいのである。片手でもつのが厳しいくらいの大きさなのである。そしてここにはナイフもなにもないのである。

とりあえずテレビをつけて、ケインコスギが爆弾魔と戦っているのを眺め、なるほどね~あのときのあれがヒントだったってわけ、と思いながら仕方がないのでりんごを齧った。

さすがに合格のりんご! この世で一番くらいに美味しいかもしれない! 
と思ったけれど、まぁ食べ物の美味しさに浸れるのはせいぜい三口までだよね、という話であり、うまいが長い果てしない作業としてのりんご齧りがはじまった。鏡がベッドの横についているので、りんごを豪快にまるかじりしながらケインコスギを見ている自分の姿を感じながらりんごを食べなくてはならない。大きすぎてぜんぜんうまく食べられない。

結局、半分はいったよね? という気持ちで三分の一くらいを食べて、冷蔵のボタンを押していない冷蔵庫に隠した。「明日食べよう!」と口にだしていった。明日は朝食がちゃんとあるのに? と思ったが気が付かないようにしてベッドに横になって、森博嗣の続きを読んだ。それからお風呂にお湯を張り、あったまって、またベッドに横に入って、寝ない、寝ないぞ、と思いながら、寝た。

とめどないレム睡眠により、この世のあらゆる苛みが自分に降りかかり続け、目が覚めたときには汗だくであった。朝だ、雪、降ってるのかもしれない、と思いながら起き上がるふりを何度かして、何度か目に起き上がって、冷蔵庫からりんごを出して、齧った。りんごである。雪は降ってなかった。

朝食は7:00くらいに行こうと決めていたので、テレビをつけて、しばらくりんごをかじっていた。すごく、おなかがいっぱいになるのですが、と思いながら、ぎりぎりまぁ完食ということでいいでしょう、というところまでりんごを齧り倒して、紙袋にいれてゴミ箱に捨てた。これをみた清掃のひとはどう思うだろう。私が清掃員だったら同僚に言っちゃうな。齧ったりんご入ってたんですよ―!って。だからどうしたという話だけど、なんとなく言いたくなる話だ。

一週間後に献血の予定があるので、りんごの前にヘム鉄を飲んでいたのだけれど、朝食へむかうエレベーターに乗っているときに果てしのない吐き気を感じ、死ぬのかもしれない、という気持ちになった。空腹で鉄を飲むのは胃弱の人間にはよくないのかもしれない。食堂のような場所にいくと「和食ですか?洋食ですか?」と聞かれるので絶対に聞き間違えられないように「洋食をお願いします」と言った。朝にごはんは一年に一回までしか食べられない。

バイキングじゃないスタイルの朝食

この左の隅にあるブロッコリーのようなもの、ひと目でカレー味なんじゃない?と思って食べたんだけど、そしてそれがあっていたのだけど、あっていたことにびっくりして結果的にカレー味にびっくりしたみたいになってしまった。私の頭の中だけの話なのにそういうことに事件性を感じて、こういうところがINFPなのだろうなと思ったりなどした。
うまいうまい。食パンうまいうまい。卵もうまいうまい。部屋はあたたかい。雪は降っていなかった。

師匠との集合は9:00だったので部屋にもどってもまだ時間に余裕がある、と思いきやそうでもなさそうな気がしたので、お風呂にお湯をはって、ラジを流しながら入った。朝お風呂に入らないと動けない体なので。ラジオのおたよりが胃もたれの話をしていた。そして最後に18歳という情報がたされた。すると「18歳で胃もたれって」「かわいそうになあ」というような話で盛り上がっていた。

私は生まれたときから油に胃もたれするたちなので、なにか釈然としない思いを抱いた。天ぷらなど食べようものなら、そのあとの人生はずっとぐったりしていなければならない。大人になり多少はましになったが、今回のうどん屋のような例もあり、肉も魚も油断はできない。食事はいつも具合との戦いなのだ。しかし、世の多くのひとはそうではない。わたしも生まれたときから胃もたれしているので、はげましてほしい、とラジオに念じた。

というようなことをやっていたらホテルを出る時間だった。充実したホテル生活。外にでると、なんと雪が降っていた!
雪だ、雪だ、雪だ、雪、と言いながら歩く。なんと雪が降っている。歩く。まさか、雪が降るとは。雪が降っている。
雪が降っている、ということ以外なにも考えられなかった。

師匠と合流して、師匠のおうちでまた遊んでもらった。基本的には雪が降っているという感情が私達をとりまいていた。師匠のお子さんは、最後のあたりにはちょっと慣れてくれていたように思う。近くに寄って、私に持たれかかってくれたので私は嬉しかった。

すこし遊んで、近所のココスに言って、ご飯を食べた。トマトのパスタみたいなのを頼んだら辛かった。食事はね、本当に戦いだから。でも楽しくご飯ができたので無問題である。とても楽しかった。ココスにひさしぶりに行けたのが良かった。ココスはたのしい。完全に師匠に奢ってもらった。

私のほうが二個も年上なのに、毎回師匠に奢ってもらっている。わたしも一廉の人間になって、師匠においしいものを食べてもらいたいが、奢られ慣れすぎていて、うまくおごれるかわからない。

外を見ると雪が降っているし、外に出るとやっぱり雪が降っている。私も師匠も、何度も何度でも「雪だ」と雪に対しての感想を漏らしてしまう。だって雪が降っているから。

もう完全に吹雪で、気色は雪国であった。電車が止まってもあれだからと思い、そのまま早めに解散した。次はあたたかくなったあたりに沼などに行きたいという話をして、未来への光が見えて嬉しかった。

電車の接続が悪くて、途中なぞの時間ができたので、スタバに入った。スタバに行くことはほぼないので、なにもよくわからない。あんバターみたいなものを食べたいなと思って、なんか重いかな?と直前で思って、チョコレートデニッシュに変えたら、チョコが苦かった。あんバターにすればよかった、と思いながら、雪が降っているので「雪だ」と思い電車を待った。

そんなこんなで、もう1万文字も書いてしまったので、ここらで終わりにしたいと思います。毎度毎度ちょっと長すぎるよね。ごめんね。ここまで読んでくれている人がいたらありがとう! 次回もよろしく。たのんだよ。


最後にあったたぬき。ぽんちゃん。

それじゃまたね!

2022年総括しちゃうぞ!

 何も思い出せない。
 ともかく、何も思い出せないという事実だけが今、目の前にあって、それ以外は目の腫れぼったさ以外なにも所持していないように思う。きょう起きてから私はなにをしていましたか?

 総括になりませんので、ざっくりと月ごとに何が起きていたのかを考えてみようそうしよう。写真などを振り返ってみればわかることがなにかあるかもしれず。
 今年は紅白をトップバッターから見なくちゃいけないので、とてもタイトなスケジュールです。しかし私は今、17:21の時点で紅白が何時に始まるのか知りません。こうしてギリギリまで確認しないことにより、未来のわたしになにが起きるかというと、普通に困る。

1月

 思い出しました。今年でしたね、カクヨムコンに参加していました。描いていたのは2021年ですか? あるいは2020年であったのかもしれませんが、もはや思い出すことは不可能。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429189507680

 こちらの地方都市の平成懐古のお話でカクヨムコンに出しておりまして普通に落ちました。いや、でもみなさまの熱い支持により読者選考は通過いたしまして、さらにたくさんの温かいお言葉もいただきまして、大変に有意義な100万円もらえるかもしれないよ大会でした。
 もらえなかったな、100万円。絶対もらえたと思ったんですが。
 いや、理解してます。そもそもカクヨムさんに出してどうにかなるようなお話をわたしが書けるわけがないということは。でもそこはね、やっぱりね、ちょっとね、だしちゃおっかなーみたいな花びらの背景画みたいなのが飛んでくるんですよね、冬になると。
 とはいえ、このお話はなんか評判もよかったですので、とてもよかったです。嬉しい。みんなその節はありがとうな! いつか100万円とったら豪遊のエッセイ描くからね!


ときどき味を確認したくなる食べ物

 それ以外ではパッタイを食べていたようだった。パッタイって、なんだっけ? と定期的に思い、わたしはアジア的なご飯が好きなので、カオマンガイ食べるぞ―! とカオマンガイがありそうな店に行って「パッタイって、なんだっけ?」の発作が訪れたときには食しております。なんか甘辛い春雨と焼きそばの間の子みたいなのがエビと一緒になってる食べ物。

2月

 

世界で一番うまいエビ

 定期的にこの画像がフォルダに入っている。わたしはこのエビが本当に世界でいちばん美味しいし、どんなにダウナーな日でもこれがあったら、まっいっか! という気持ちになるので、昔のバイト先の子がここでもバイトしていて、これが好きなんだって話たら「まじすか、じゃあ今度パクってきますね!」って言ってくれて、盗みはだめだぜ! と思いながら待つともなく待ってたんですが、その子は虚言症だったので持ってきてくれなかった。もしかしたら働いてなかったのかもしれない。この話はどこかでしたし、今年の思い出ではない。

 ツイッタちゃんを検索したところ、そういえば母の手術があったのだった。ガン発覚、入院、退院、手術、とさまざまなことがあり、なんかおそろしく疲れていた私と、あれもこれもそれもやりたい! という希望に満ち溢れた私が同時多発的に存在しており、結果的には何もしなかった。
 しかしこのことで、恐ろしいことは勝手に起こるしまぁなんとかなるという気持ちが芽生えつつあった。生活がちょっと明るくなった気がする。


富豪の朝食
私の好きなカオマンガイ

 富豪の朝食を取ることが楽しかった。朝食はいいものだなと気づきはじめたころあいである。あとAぇ! groupにはまった。

3月

 私の大好きな屋島健康ランドが閉館していることを知り、ものすごくショックを受けてインターネット上の屋島健康ランドの画像をすべて保存するなどしてどうにか悲しい獣の心を慰撫していた。

 それ以外は特にこれといって、何もない様子である。わかんない。3月ってでも人生でいうところの小学4年生みたいなところがあるから、環境の変化に苦しんだりしていたんじゃないでしょうか。しらんけど。


どんな苦しみもなかったことにしてくれるフォー

 フォー、はじめて食べたとき、この世にこんなに美味いものがあるなんで、生きていてよかった! と思ったんですよね。ちょうど死ぬ死ぬ詐欺をしていたころのことです。私以外にその店に人がおらず、ここはいつか潰れるのでは、と思ったのですが、果たして潰れました。でもたいていフォー屋さんは閑散としている。


ピーカンナッツ?でしたっけ

あと好きぴフォロワーがおいしいって言っていたので、パフェを人生で三回くらいしか食べたことがないのですが(アイスが寒い)この名前を忘れたいちごとなんか、あれをあれしたパフェを食べにいって、めちゃうま! ってした。一年に一度だったらパフェを食べてみてもいいな、と思った。

4月

 生まれてはじめてよしもとばななさんの本を読んだらしい。TSUGUMIを読んだ。めちゃおもしろかった。キッチンも読んだ。めちゃおもしろかった。姉の大きな車の中でキッチンを読みながら、眠る姪っ子ちゃんが息をしているかどうか、5分に一回確かめたりなどしていた。
 それ以外の記憶は特にない。お弁当やご飯などをちゃんと作っているところを見るに、また母が手術と入院、あるいは抗がん剤をしているようである。


ついに自作のカオマンガイ


象が好きなので家に象がたくさんいる

 あとテラリウム作りました。緑があるのはとてもよい。しかし、このような小さな場所に人間のエゴで、、、、となってしまうので向いてない。なにもかもに向いていない。

5月

 なんかあったかな、と写真を見ていたら、入院していた!
 そうだった! 私も手術をしたのだった! 5月は一回目の手術で別にやらなくてもいいけど、と先生に言われたけれど、もう店長に「手術してきまっす!」って元気に言ったあとだったから手術したのだった。
 で、結果、とった所にそれまで観測されていなかった、腺がんガンが見つかってやっべー!でも手術しといてよかったね、となったのだった。

 はるか昔のことのように思うが、今年だったんだね。めちゃくちゃ楽しかったな。もう一回やりたい。人生にもう一回やりたいことたくさんあるけど、手術と入院はその中でも全部やりたい。小学生のころの4ヶ月の入院生活は私にとっての一番の思い出です。楽しかった。いや、嫌なことたくさんあったんだけど、なんといっても痛いですからね! はちゃめちゃ痛いし。でもなんか、入院していると人間がやさしくしてくれていい。わたしは人間に優しくされるのがとても好きなので。


入ってた荷物が帰るときに入らないやつ

 今思うと手術入院の予習、といった感じで、痛くなかったし大学病院のご飯は美味しいし、楽しさしかなかった。ただ「帰ってから二週間後に血が大量にでるかもしれませんがびっくりしないように」と言われてたのが、まじで二週間後に血が大量に出てびっくりした。


岩松了氏を愛しているので

 そうだ! そして私は、青空は後悔の証しを見に行って、キョンキョンから直接パンフレットを受け取ったのだった。パンフレットかっちゃうぞー、と思って並んでいたら、なにやらみなさんがこう、もらうときに熱量高く感想を述べており、え、そんなシステムありましたっけ? と顔をあげたらキョンキョンがいた。私は人語をうまく喋れませんので「あ、う、(本当に素敵でした観られて嬉しいです美しいすき!)」といいながらパンフレットを受け取り、振り返ったら岩松さんが普通にロビーにいて、岩松さんだ!「(好きです!!!!!)」と言いながら二回岩松さんの周りをぐるぐる回って話しかけることが出来ずに帰った。
 帰りに太子堂によってお参りをして、太子堂はとてもいいところだなと思った。

6月

 6月は覚えている。誕生日だからということではなく、絶対に無理なのにこのタイミングでポプラ社の小説大賞みたいなやつにだそう! と強く決めたからである。そんなことが可能とは思えない、というタイムスケジュールであったが、普通に無理だった。
 普通に無理だったのに、なんでかしらんがどうにか書き上がったのである。過去に類をみないほどの狂ったような書き方をしたので、あとで見返したときに体感5秒に一回奇妙な文章が現れていたが、もうどうすることもできず、でポプラ社さんは情熱を買ってくれる出版社さんだから! 私が過去に通ったことのあるのは文學界を覗いたらポプラ社さんだけだから!!

 という若干自分は文學界の選考に通ったことがある、という自慢を空中にはさみながら送った。アイドルが好きすぎてアイドルのお話を書いたので、楽しくてしかたなかった。しかし一ヶ月で7万文字も書くものではない。死んでしまうからやめてほしい。男の子アイドルの文脈で女の子アイドル書いたよ。そろそろ一次選考とかでてもいいんじゃないかと思っているけどどうかわからん。


おだんじょーびケーキ♡


師匠につれていってもらったカフェ。たのしい。


シン・ウルトラマン観て興奮して取った

 このあたりからクレーンゲームとSixTONESのANNにハマりはじめていた模様。ネロンガちゃんかわいかった。SixTONESはラジオが話の面白い陽キャでおもしろい。話の面白い陽キャによくてしてもらった思い出があるので話の面白い陽キャについていく習性がある。

7月

 福岡に行った!

例の牛
人が映らないようにしたらほぼ空に


夢にみたことある屋台の食べ物


写ルンですは室内ではフラッシュを焚こう!

 私はすべての乗り物に酔うたちで、さりとて酔い止め薬を飲むと永遠に眠り続けてしまい、立っていられなくなるのであまり飲めず、飛行機でいったんですが、気の持ちようという言説を信じて飛行機に乗り込み、私の想定していたよりも機内が狭く、まだ飛び立ってもいないのに一瞬でパニック発作的なものが沸き起こり、安定剤を飲んだのですが、結局どうにもならず着陸の際に鬼太郎袋にオエーエエエ!!!と大きな声でやったのですが、嘔吐恐怖症なので吐くことができず、でもまぁなんとかなったのでした。大変ご迷惑をおかけして申し訳なかったが、優しくしてもらって嬉しかった。

 福岡、めっちゃいい。美味しい。
 うまい天ぷらを食べて、太宰府に行った他は屋台へ行って、次の日はただラウンドワンに行くというスケジュールでしたが、超たのしかった。そして帰りに飛行機に乗る前にゲーセンに行って、そこで完全にクレーンゲームにハマったのでした。

この後地元に帰ってブルーナのこの象さんを大中小6個取ることになる

 帰りに飛行機では迷惑をかけないぞ! と酔い止めを飲んだところ、多飲につぐ多飲、異様な喉の乾き、そして立っていられない眠気が訪れ、しかも次の日にどうやって帰ってきたのか覚えていないという健忘を巻き起こしたので、だれか酔いをどうにかする方法を知っていたら教えてください。

8月

 再びの手術をした月だね!
 夏なのでめちゃくちゃ暑く、手術するまでの診察で大学病院まで二時間くらいかけていくのがマジで大変だった。私は暑いがの好きなので気分はヒャッハーなんだけれど、体に降り積もる苦しみはそれとは別の話しなのである。バスに計5回ほど乗り遅れる。

 バイト先の子がめちゃくちゃ手術を心配してしまい、人見知りみたいな感じになってしまったのが面白かったしすまなかった。私は一度予習しているので、ま、大丈夫でしょ! と思っていたけど、臓器を摘出する手術はそれなりに痛かったし、大変だったように思うが、例のごとく覚えていない。

ラムちゃん!かわいい!顔ファン

 バイト先の素敵な人が素敵なお菓子をくれて、しかも療養生活が暇だろううと映画を貸してくれたんだよ。嬉しかった。この映画の感想はどこかで書こうと思ってまだ書いていない。
 

世界でいちばんおいしいアイス

 夏だったなぁ、という記憶しかない。でも気づいたら夏は終わっていた。実質「手術するぞ」のターンと「手術したぞ!」のターンしか8月はなかったな。
 楽しみにしていた大学のスクーリングに行けなかったのがかなしかった。バスケの授業が抽選であたっていたのに。バスケ、やりたかった。

9月

 一ヶ月の療養生活!

あぜ道の中のあぜ道

 ともかく毎日毎日歩きまわっていた。
 今考えると、歩いた方がいい、というのは手術した直後のことであり、術後の安静にしていたほうがいい時期にはもっと安静にしているべきだったのではないかと思わなくもないが、特に大事にはならなかったのでいいだろう。

 夜は21:00に眠り、朝は6:00に起きるという生活をめざし、まぁまぁだいたいそんなような感じで生きてこれたと思います。ただまぁ夕方に散歩に出る以外は、あまり動き回れるわけではありませんので、ゆっくり寝て、なかった! ずっと書いてましたね! 9月が文學界の締め切りでしたので! なんか腹痛かったし、もっと休みたかったけど、永遠に焦っているので、がんばりました。戦争の話を書いたよ。


散歩でよくあうサギ(毎度別個体かも)


猫と友達になった。とてもよいねこ。

 総じて療養めっちゃたのしかったよ! まじで! 最高だったね!
 予定がない、ということがこんなにも自由だということを知らなかったし、社会に参加できていないということが、こんなにも辛いことだとは思いもしませんでした。嘘。私は望まざるニートとか、まぁ社会不適合なので仕事のできない日々がかなりあったので、社会に参加できていないことへの焦りが常にある。早く社会復帰したくてしかたなかった。

 社会復帰したら、なんでもっとちゃんと療養しなかったんだろう。今すぐまた療養したい、と思い始めた。人間って変だよね!

10月


この画像ががまじで無限にある

 SixTONESのファンクラブに入った。
 あと黙ってたけどSnowManのライブに行った。まじで楽しかった。生まれてはじめてうちわを作っていった。めちゃくちゃ楽しかった。ファンサもらった。あれは絶対に私にむけて手を降っていた。私はファンサをもらったことがある側の人間!!!!!

 さて、そうだ! 大学の夜スクーリングがはじまったんだった。
 毎週火曜日に大学に行って、授業を受けるというめちゃ大学生っぽいやつ。すごく嬉しかった。大学生になりたかったので。
 授業は社会学だったんだけど、途中でシグマ? とかいう知らない記号が出てきて先生を睨むだけの時間が続いた。


大学の素敵な社交場で食べたやつ

 もっとちゃんと勉強しようと思いました。今年はちょっとあまり勉強できなかったので、来年こそちゃんとやりたいと思います。
 もう時間がないので10月はこれくらいで。

11月

11月は師匠の新居に遊びに行った!群馬県!めちゃくちゃよいところ! 美術館が楽しかったし、師匠の家が楽しかった。本当にいい日々だった。それしか記憶がない。

どっかで食べた油淋鶏。油淋鶏ってすげーうまいよね?


ホテルまでの道でで出会ったよき家

 まじでそれ以外には記憶がない。たぶん、あの、生きていたと思います。
 大学もちゃんと行っていた。

人がつけたぽんぽんみたいなぽんぽんがついている木


横浜で牛鍋食べたんでした

 なんか色々あった気もするんですが、もう紅白まで時間がありませんので、早足で行きたいと思います。

12月

 今月なのにまじで記憶がない。私は何をしていましたか????
 そうだ! 大学のスクーリングが終わり、つまり試験が終わりました。試験につきましては、え?? といった気持ちのまま終わりました。何ていうんでしょうか、私の想定している試験と、大学の試験、めっちゃ違う。語句の説明とかじゃなく、あなたの考えを論じなさいみたいな感じの出てくるから「考えとかないわ!!」ってキレちゃう。

 大学に行って、教養を身に着けようと思ったけれど、なかなか難しいね。でも着実に頭はよくなっている気がするよ! 具体的になにがどうというのは分からないけれど。
 そして大学の優しい方々とご飯を食べて、新幹線に乗せてもらった。めちゃくちゃ楽しかった!写真がない!なぜ??

ご飯少なくって行ったけど全然少なくない学食
試験お疲れ様!の寿司を試験前に食べる。一人寿司ができるようになりました。


正月用のお餅。私はまるめるだけの簡単な作業。


さっき食べた年越しそば。今年はそばだった。うどんの年がある。

やべえ!!紅白はじまっちゃたんでこのへんで!!!!来年もまじよろしくたのむな!なんかいい知らせができようにがんばるよー!!!!

じゃあまたねー!!!

子宮全摘出しちゃおう!の巻

子宮取っちゃお!までの道

あいも変わらずびっくりするほどセンスのない表紙だな。表紙?なんていうんですかこの最初の画面。見ていると目がくらくらするぜ。でもまぁ、頑張ったんじゃないでしょうか。

さて、子宮を全部取っちゃおう!ということで。

https://note.com/eleinutiger/n/naefcbd6fbd1f

https://note.com/eleinutiger/n/n0b37700df5cd

https://note.com/eleinutiger/n/nd2a7d3998d52

まさかのこれの続編である。
ざっくり申しますと、子宮の入口を取ったところに今まで観測されていなかった腺癌があった(あったけどこの前の手術で全部取りきれている)ので、慎重に経過観察をしようね、と先生に言われたのであった。先生と打ったら一番最初に「陝西」が出てきてびっくりした。生まれて始めてみた漢字です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%9D%E8%A5%BF%E7%9C%81

なるほどね。なんでだろ。調べたのかな。

とそんなこんなで、普通のガンであれば取れたねよかったねやっぴー!なのだが、腺癌というのはスキップ現象というものがまれに起きるらしく、読んで字のごとく子宮本体にガンがスキップする可能性があり、そうなるとなんか予後がよくないガンらしいのである。

先生が、ガイドラインだと子宮全摘だけど、まだ若いし半年に一回検査をしてうんぬん、というので「え、取ります!」と元気よく答えたところ、今すぐに答えることはない、明日運命の人と出会って子供が生みたくなるかもしれないから、よく考えよう! とのことだったので、10日ほどよく考えたふりをして「やっぱり取って!」と言った。

振り返ればそのあたりも色々となんかあったのだけれど、私は自分が子供を持つなどという恐ろしい事態に陥るのは怖いし、犬一匹飼えない経済力、気力、体力、精神力、財力、才能、自立心、お金、その他もろもろのあらゆる力的なものが不足した人生を生きているので、子供など生んだら子供が可哀想なのである。というより子供とかよりまず私が幸せになりたい。

そして何よりも自由に物を書けない環境になってしまえば、気が狂うこと請け合いである。これは比喩の気が狂うではなく、普通に精神病院に逆戻りになってしまうという意味である。文を書いているからギリギリなんとか健常者に見えなくもない障害者になっているので、文章書けなくなったら多分もう病院から出られなくなる。(ところで障害者を障がい者を書こうという向きがあることは存じているが自分から考えるとまじで害でしかないので障害と書きたいところ。めっちゃ大変なのに害の漢字がないとなんか大変感薄れません!?)

というわけで、見たこともない聞いたこともない存在しない子供より私のほうがどう考えても大事なので、あと生理が嫌いなので、願ってもないチャンス! と思って取りたいな―という話をした。

先生はよく考えてね、と言って私を帰し、一度母に説明を聞いてもらおうと病院に行ったときも、よく考えてね、と言い、でもどんな形の結論でも応援するからね、と言ってくれて、でもやっぱりちょいちょい、まだ若いので子宮を取るのはどうだろう、このタイプの症例で手術をして子宮に問題があったことは私の経験上は一回もない。と非常に取って欲しくなさそうであった。

それでも「取りまーす!」と最後に言ったときには「よく頑張って考えたね。応援するよ」って褒めて優ししてくれたので、好きです一生一緒にいてください!と過激に感激したのだった。

一度も必要と思ったことがないし、ずっと憎んでいたし、もう本当に考えたくない、できれば一度もそのことについて考えたくない子宮であるが、いざ本当になくなる、子供は絶対に産めなくなる、という事実が近い未来に置かれると、え、なにそれ? なんでそんなこと言うの!? と多少は思うわけである。

いらないし絶対に取るんだけど、一生のことなんだよ、とか言われると急になになになに!って思ってしまうよね。まぁでもこれは子宮にかぎらず、もう絶対に使わない小学校時代の大量の鉛筆だって捨てるのめちゃ迷うし、そもそも何かを決めるということが苦手すぎるのである。だから別に子宮だからどうこうというものでもなかったのだろう。

今考えると、非常に姑息な罠であった。
取ってしまった今、やったぜ!という気持ちが非常に強い。あのまま子宮を保持していたら、寂しい、苦しい、毎日こんなにさみしいなんて頭がおかしいんじゃないか、こんなことで老後はどうなっちゃうんだ、こわい、アイドルだけ見ていたい、でも体が老いてきている、一体どうすれば! などという気持ちでアプリに登録、怪しげな異性と知り合い結婚し、妊娠し、子供が――というようなバッド・エンドもあったかもしれない。

私はルート分岐に成功したのだ。
子供を望まないのであれば、所持しているだけリスクしかない臓器なので若くて元気なうちに取れてまじよかった!というのが所感である。だいたい人間の子供より犬の方がどう考えたってかわいい。犬は喋らないので傷つかないし、人間は大人のアイドルになったら犬と同じくらい良いものだけどそうじゃない時間が多すぎるし、そもそも自分から産まれて来てほしくはない。

そういうわけで、例のごとく入院手術日記を書こうかな、と思ったのですがなんと現状退院してから一ヶ月も経ってしまった。短めに短めに、と思いながら冒頭だけでかなり長くなってしまったが、ちょろっとだけ手術についてまとめてみようと思う。

入院から手術まで

入院期間は問題がなければ4泊5日ということで、前日に入院して、次の日に手術して、2日泊まって帰る。前回が2泊3日なので、ちょっと長いなという気持ちでいた。でも前回は入院ライフを楽しむ間もなく終わっちゃったのでちょうどいいかも、みたいなことを考えていた。

コロナ禍にかこつけて一人でいって一人で手術して一人で帰る予定。手術も付きそいなしでOKということなので、コロナ禍マジ最高!ありがとう!という気持ち。もっと老人になったら兄弟とかに手術の付きそいを頼まなきゃいけないのかなと思うと、吐きそうになる。そういうのはレンタル人間にお金を払って頼みたい。

手術後は多かれ少なかれ痛いとのことだったので、天才的な未来予知が働いた私は、ペットボトルに装着するストローみたいなやつ(うさこちゃん付き)を買って行ったが、病院のすべての水にはそれが合致しなかったのでうさこちゃんはずっと病院の引き出しの中で眠っていた。

他には前回もっていかなかったドラえもんを持っていった。持っていくべきかなぁどうかなぁと昔のバレー部のエースに相談したら、絶対に持っていくべき持って行かなかったら後悔するよ! とのことだったので持っていった。

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エースにドラの大きさがわからんと言われたので常備薬との比較写真を送った。大きいか小さいかわかんねえよ!というツッコミ待ちだったが、エースはボケの人だったので「でかいね!」しか返ってこなかった。どれと比較したら一番おもしろいかめちゃくちゃ考えて写真を撮ったので私は一体病院でなにを、という気持ちになった。

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バイト先の憧れのめちゃ素敵な人ががんばってね、ってラムちゃんくれたのでラムちゃんも持ってきた。これは持ってきて正解であった。袋状のもの、なんぼあっても困らない。ありがたい。そしてラムちゃんがかわいい。なんと中にはたべっこどうぶつビスケットなどのお菓子も入っている。なんて素敵なんだ!

今回はなぜか写真があまりない。その代わりスクショが大量にある。
というのも、私が入院中に暇だろうというので、明星さん(集英社)がジャニーズの1万文字インタビューを一挙公開してくれたのである。気になった文章をスクショにとって、所感と共に親愛なるヲタ友へコメントをLINEで送る、そうするとそれに対する親愛なるヲタ友からの所感が返ってくる、ということを延々やっていたら昼が終わり夜が来てご飯が終わり消灯となっていた。

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ご飯がうまい。そして多い!
前回は22時以降に経口補水液を二本飲んでください、だったので油断していたが、なんと今回は21時以降飲食禁止、水もだめだと言われた。にわかに不安で気が狂いそうになった。水が飲めないというのは、生命の根源にかかわる恐怖である。手術が終わったらがばがば飲もうと、ペットボトルを無駄に二本買った。ボルビックとエビアン。私はどうもエビアンが好きらしい。絶対にすぐ忘れるけれど。

そういえば、前回の入院時にちょっと怖いな、と思った事務の方に今回も入院手続きしてもらったのだが、前回のもちゃもちゃの反省を生かして私が万全の体制で望んだからか、あるいは二回目で相手と私の人見知りが溶けたのか、事務の人は依然としてツンとはしていたが、とても優しかった。一枚書類が足りなくて、リュックをひっくりかえして「これですか!」と私が差し出すと「それです」とキリっと答えてから「シュッ!」と自分の口で言ってそれを引き抜いていて、あ、ヲタクなんだなと思った。同郷。

で、ベッドについてカバンをおろしたかおろさないか、くらいのタイミングでもう看護師さんがやってきて、その看護師さんがめちゃくちゃきびきびしていて、かといって威圧感はなく、すげー仕事ができる人という感じがして、はわはわした。はわはわしている間に、ズボンを脱げと言われ、はわはわしている間に毛を剃られた。そんな、出会ってまだ5分も経っていないのに!? と思った。やっぱり病院って非日常だね。病院も故郷みたいなとこあるから、やっぱり好きと思った。

手術の説明を受けたとき、手術した日はそのまま安静にして、次の日に立って歩ければ尿管カテーテルを抜く、と言われた。私が「歩く」と意味なく復唱すると、不安に思っていると思ったのか、そのできる看護師さんは早口に「歩けなくても全然問題ない。なにも心配いらない」と言って、もう一度「なにも問題ない」と力強く言ってくれて、不安じゃなかったのに不安が解消されてよかった。ずっとここにいて欲しいと思ったが、忙しそうだったのでやめた(なにを?)

で、そのあと麻酔科に行って、前回の手術がわりと直近だったので、大丈夫っすかねーといういい塩梅の先生の説明に「はい大丈夫です!」と答えたのだが、そういえば前回麻酔前にパニック発作が起こって、起こっている間に麻酔がはいったので事なきを得たが怖かったのだ、と急に思い出して、麻酔科の看護師さんに「酸素の口に当てるやつが怖くてパニックだったんですが麻酔の前に安定剤飲んでもいいですか」と聞いたら「それは先生に確認してくださいねー」と優しくやんわりと言われて、そりゃそうだ、と思った。

そのあと安定剤は取り上げられ、先生に聞く段階にもいけず看護師さんに聞いたら処方でてないのでだめですね~と言われた。サプリも飲んじゃだめなんだからそりゃそうか、と思って急に手術が不安になってきた。仕事のできる看護師さんは退勤していた。

手術は16:00だという。そんな夜まで飲食禁止なのか、とまた不安になって、手術までの時間、ずっとアイドルのインタビューを読んで涙をながす日々を過ごした。四人部屋で、その日に正面の人が退院して、私以外の二人は自分ひとりでは動けない人なので、かなり看護師さんたちと仲良しそうだった。

私の隣にいるのは若い女の子らしく(カーテンはずっと締めてなきゃいけないので顔もわからない)ものすごく看護師さんに気安く「池谷がまだいるの? 人いないの?」みたいなことを言っていて、昔を思い出した。

私は小学生のときにひどめの交通事故にあい4ヶ月ほど入院していたのだが、その時もそんな感じだった。看護師さんの名前はみんな知ってるし、新人の介護士さんが来た時、わからないことがあったら、私に聞けば良いと看護師さんが言って、まだ冗談が分からない年頃だったので、とても誇らしかったのを覚えている。

で、その隣の女の子が治療を拒否していた。
昼ごはんの前に今日はなにか治療があるらしく、点滴をあとで打ちにくるから、と看護師さんが言っていたのだが、再び来た看護師さんが「○○ちゃん。おーい。おいおい」と声をかけるが答えがない。え、今さっきまで起きてたけど? イヤホンしないでユーチューブみてたけど??と思ったが、看護師さんが「おい、たぬき寝入り、おい」と軽い口調で言うので、ああそういうやつなのか、と思った。

でも昼ごはんは食べていた。
どうも足が動かないとかで、治療を頑張れば歩けるようになるクララ的なことらしく、私もまったく同じような状況でリハビリを拒否していたことがあるので、かなり苦しかった。

「もう歩けなくていい。足いらない」

彼女が言ったことをかつて私も言ったことがある。何も悪いことをしていないのに、自分だけが歩けないというのは、なんというか、非常な厭世観につながるのである。ものすごく痛い思いをして、ただ歩くというそれだけのことにさらなる痛みを受けねばならず、そうなるともう、こんな足はいらない!という思想になるのである。

だから私はハイジがクララに弱虫とか甘えん坊とか言った時、ものすごく純粋に「殺す」と思ったのだった。いいよなあ!お前はな!だって歩けるんだもんな!なんの苦労もしないでも歩けるんだもんなあ!?おい!!聞いてるのか!?!?!なに自分は正しいみたいな顔してんだただの想像力欠如野郎のくせに!!!おい、答えろ!!!!と今でも殺意を持っている。ころすぞ、と強い気持ちで思い返している。

なので、はらはら隣の子の動向をさぐっていたのだが、入れ替わり立ち替わり介護士さんとか看護師さんとか若手医師とかが来て、最終的に主治医が来て「あっそ、じゃ退院だね」つって去っていった。えっえっ、と私だけが混乱して、ただ時間が過ぎた。でもそのあと来た看護師さんが色々諭していて「もう成人も過ぎてるんだから~」成人しとるんかい!「そんなんじゃ彼氏もさ~」リア充かい!と思って急激に興味を失った。

再びの手術室だ!

そんなこんなで手術の時間になった。前回と同じように色々準備して自分で手術室までいく。前回と違うのは点滴が前日から入っていることで、それをからからして動くのが、病院!という感じでテンションがあがる。

手術室まで付き添ってくれた看護師さんは、人見知りながらも患者さんをリラックスさせようとしてくれる感じがすごく、とても優しく、私がもっていっていた『こんとあき』の巾着に「こんとあき!」と言ってくれて「本好きなんですか」という話をした。なんとかという絵本作家さんのワークショップに行ったことがあって、という話をしながら銀色の宇宙船の中みたいな手術室ゾーンへ入っていく。

あそこまで無機質にするのには何か理由があるのだろうか。はやりキレイめカジュアルな現場だと手術する側の油断を誘うからだろうか。私の名前と病状が書かれた手術室の前の銀色の無骨なラックの中に管やら線やら機械やらが詰め込まれている。「最後の二個になってから補充!」とどこの現場にもあるような張り紙がしてある。あとスピーカーがおいてある。なるほど、これで好きな音楽を流しながら手術をするのだな。と思った。

なかなか中に入れないですね、というような話をしてから、私がラックに気を取られていると、急に後ろで「きゃっ」と声がする。え、私の看護師さんに一体何が!? と思って振り返ると、看護師さんの後ろに私の主治医が隠れていて、何かちょっかいをかけているらしい。

「いるのわかんなかった? わかんなかったでしょ!」
「あ、はい。はは」

主治医と看護師さんは別に仲良しというわけではないらしい。主治医はキャッキャしていたが、看護師さんはただただ困っていた。困りながら精一杯ニコニコと相手をしていた。主治医が「あははー」と口で言いながら手術室の中へ入っていった。看護師さんがすみません、というような目線を送ってくるので、ええ分かっていますよ、という顔をして、少し待って、私も中へ入った。

すると突然主治医がなんの脈絡もなく「私が犬さんくらい身長あったら絶対モデルになる~」と言い出した。トイレで突然話しかけてくるおばさまに言われる言葉選手権第2位のやつだ!と若干混乱した。ちなみに第1位は「なにかスポーツやってたの?」である。正確に数えても体感5億回は言われている。

主治医は「顔には自信あるのかよって話だよね~」とキャッキャとしているのに、中にいる麻酔科たち、看護師たちは誰も何も答えない。嘘だろ? と思いながら、まな板の上にいるような状態ながら私は急いで「あはは」とADの笑い声を足した。誰かちゃんと返事して!?と思った。

すると麻酔科の先生が「以前、このマスクが苦しいということだったので」と急に仕事をしはじめ「これくらいなら大丈夫ですか? 苦しい?」とものすごく口から離れた場所にマスクをしてくれる。これ意味あんのか? と思いながら、あの時ちょろっと私が放った不安を受け止めてくれる麻酔科、仕事人だぜ、好き、と思いながら大丈夫ですありがとうございます、と何度も言った。

前回はまな板の上に寝転がってから、左の手の甲だかなんかに直接麻酔が入って、ふわふわ~~って気持ち良くなり、気がついた時には麻酔から覚めており、その時の得も言われぬ快感? 魂が体から離れている気持ちよさを感じ、いかないで!というようなことを思っていたのだが、今回は違った。

じゃあ点滴から麻酔を流します、と言われた時、急激なめまいと吐き気が沸き起こった。え、あ、むりです! と言おうとしたらもう眠っていたらしく、起きた瞬間、その吐き気の続きが訪れて、あ、もう無理です、気持ち悪い、箱根の山道を夜通し5往復したくらいの気持ち悪さです、と思ったのだが、そんな長文を話すことができず、えっ、と思った時には体がめちゃくちゃ痛くて混乱した。

現代医療は発達しているので、手術なんてなんてことないぜ! という油断を前回の手術で得ていた私には処理できない痛みと吐き気であった。なんの痛みか全然わからない、所在の分からない痛みの上に吐き気が覆いかぶさって、めまいもするし、吐きそう、むり、でも私は吐けない人間なんです、みたいなことをどうにか伝えたかったが、あまり声にならず「座薬ですか?」「座薬だね」と看護師さんがごにょごにょ言って、尻に座薬を打ち込まれ、頭の横に小さい吐くようトレーが置かれた。

風の便りで辛ければ我慢せず痛み止め追加してくださいって言えばおk、もし眠れないようなら睡眠薬もらったら解決、ということを聞いていたので、その段になっても私はまだ若干油断していた。

しかし、座薬は最強の痛み止めだったらしくこれ以上ないというし、睡眠薬は「処方出てないのでむりですねー」とのこと。ひとり身動きの取れない激痛を抱え、次の日の朝まですごさねばならぬという。

時間が経つと、痛みの所在がハッキリとしてくる、それは下腹部、つまり取られた子宮のあたりではなく、穴の空いた腹でもなく、腰なのだ。腰痛! まさか、こんなところでこのような激しい腰痛が!? 手術の痛みよりも痛い腰痛がこの世に存在するのか? と思ったが、存在するのである。

上をむいていることしかできないので腰痛の激痛はいっさい薄まらない。痛み止めがきいているからか、他の部分は時々「へ!?」と思う激痛が一瞬通りすぎるだけで、腰痛ほどに痛むことはなかった。体中に管が巻き付いていて(横になっていることしかできないのでどこに何がどうなってるのかわからない)動くことができない。でもこのままじゃ腰が、私の腰が千切れ弾け飛んでいってしまう! と思ったので、管がどうにかならない程度に横になったりなどして、ほぼ眠れずに時を過ごした。

しょっちゅう来る看護師さんがそんなに来なくなりはじめたころ、世が明けて、その時になってはじめて「横向いてもいいですか?」と確認したら「全然いいですよー」と言われて「(全然よかったのか!)」と思った。もっと横に向けばこんなに苦しむことはなかったのかもしれない。

朝になると、腹がちょっと痛い。これは、ペロッ、切り傷! と思いながら、体を起こしてみましょうか~と言われるので、もう今すぐに起こしてくれ、このような管は全部抜いてくれ!と思って速やかに起きようとしたけど止められた。すぐに起きると頭から血がいなくなって危険? わかんないけどなんかパラマウントベッドをウイーンとやって起こして、しばらく放置された。横の女の子はまだ退院していないらしい。次こそ頑張ると約束して、入院継続しているらしい。そんなことはどうでもいい。

歩ければ股の間の管が抜けるというので、無理しないでくださいね~という看護師さんの言葉に「(する!!!)」と思いながら気合をいれて立ち上がったが、全然なんの問題もなくふらふら歩けた。どこまで歩くんだ? どこまででも歩いてみせるよ! と思って看護師さんの顔を見たのだが、あ、もう大丈夫でーすと病室に戻らされた。

じゃあ抜きますねーと急に股の中に何か、なんだろう管をどうにかする処置をしてくれたのだが、え、痛いなら言って、痛いなら先に、という私の心の声が聞こえたのか「痛くはないと思いますんで~」と看護師さんが言ってくれる。確かに痛くはなかった。例えるなら、体の中に入っていた太りぎみのカエルの足を引っ張って引き出したときみたいな「にゅるん」という感覚がした。

足についていたシュコーシュコーっていう血栓防止のマッサージャーみたいなやつも取れて、晴れて自由! そして朝食と相成った。もうご飯食べれるのか~おかゆかな~と思った覗いたら大量の米、大量のいんげん、味噌汁、牛乳、超大人用の朝食が現れた。

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これである。超元気な体でも朝からこんなには食べられない。というか、この病院は料理がめちゃくちゃに多い! と思っていたら、後になってやってきた栄養士さんに「体が大きくていらっしゃるので、大盛りになっているみたいです」と言われ衝撃を受けた。もしかして、体が大きいと、その分エネルギーを消費するとかいうあれなのか!? 少食なので少なくしてもらった。で、そのあとプラス240円で朝食を洋食にできます!と言われたので「パン!」となったため次の日からプラス240円の朝食になった。

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はちみつのうまさに目覚めた朝であった。いや、メープルシロップだったかもしれない。全部うまい。毎朝たべたい。

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あとスイカについて、昔は好きでありがたがって食べていたが、自分の金で好きな嗜好品を食べるようになってからは、なんであんなきゅうりに甘味を足したようなものをありがたがって……? と思い、全然食べていなかったのだが、病院で食べたスイカがとてつもなくおいしく、自分の思慮の甘さを痛感し「うまい」「うまい」と小声で言いながら食べた。

さて、手術後の初朝食に時を戻すが、この時にはまた新たな痛みの所在がはっきりとしてきており、私は割合切り傷に強いので、腹とか下腹部の痛みは「いた~い☆」みたいに可愛く痛がることが出来るが、内臓やら神経的な痛みには非常に弱く、とにもかくにも横隔膜と胃が痛くて死にそうだった。絶対折れてるんですけど?見てくれません?と何度か言いたかったが、もぞもぞして言えなかった。結局言ったら「ああそれね」みたいな感じで、なんでも手術に使う炭酸ガスが抜けるまでは、横隔膜やら肩が痛いらしいのだ。肩はまったく痛くなかった。ただただ胃の周辺が痛かった。完全に折れてる時の痛みなのだ。

この痛みは結局退院の時まで残っていて、すごく辛かった。なので手術の主な痛みは腰痛、横隔膜痛、そしてくしゃみをした時の腹痛である。切ったところはさすがに痛いが、切り傷がわりと好きなのでくしゃみをするたび「腹が飛ぶほど痛いぜ!」とげひゃげひゃ笑いが止まらなかった。楽しかった。

わー、もう1万文字だって!

手術後のことについて

書きたいことはたくさんあるのだけれど、なにしろ一ヶ月の療養でバイトにも行っていないので、色々なことがあった。しかしもう文字数、そして療養期間に終わらせるぞ! とこの世のすべての締切を9月末に設定しているので、めちゃ忙しく、それどころではない。

もし機会があったら書きたいとおもう、と言うとき、人はそのことを書かない。まぁ本当に書きたいとは思っているのですが。

そうそう、一ヶ月無職なわけで、私にはお金がない。明日食べるパンも自分の金では買えない。色々切り崩せば金がないということはないが、そもそもバイトでちょろっとしか稼いでいないのに無職というのは、かなり貧しい。とてもさもしい。だからあまり手術なんてするもんじゃない。でも入院は楽しいから定期的にしたいね。

そんな感じで、今日は朝方激しい物音がして、天井裏を(母が)確認するとねずみがねずみとりにかかっており、まじでむり、本当にむり、貧しいと家を直すもできない、と思いながらゴミ箱に捨てられるねずみを眺め、布団に戻り、睡眠不足こわい、と震えて眠り、また起きたが気圧も相まって最悪だぜ!という気分で、それならちょっと美味しいものでも食べて元気を出しますかねと思って玉ねぎなどを切っているとまた物音がする。うそだろ、いや嘘に決まってる、と思いながら天井を眺めてじっとしていると、やはりたしかに物音がするのだ。そんなはずはない、そんなはずはないが、と母に確認してもらうと、やはりねずみが取れている。うそだ。あれから一時間半くらいしか経っていないのに?それともループものに突入したのか、こんなループは嫌だ、と思いながら、ねずみとりにかかったねずみをじっと眺めていた。それは本当にねずみで、毛はつるつると綺麗な甘茶色の混ざった灰色をしており、尻にはどう見てもみみずにしか見えない長いしっぽが付いていて、まじむり、この世の動物の中で一番むりかもしれない、と思ったりなどした。ねずみはかかったばかりなのかとても元気がよく、しかし体の左反面がプロ用ねずみとりのベタベタにくっついているので全然、あとはもう死ぬしかないのであった。ものすごく鼓動が早く見え、ビニールごしに触ってみるとものすごく鼓動が早かった。ねずみは生きていて、顔をあげようとこちらを見た。目が黒い。ただただ黒い。別にお前が悪いわけではないが、と思いながら私はその腹部を突き、こいつと先の一匹には本当に関係がないのだろうかと考えた。一時間半前に見た時にはかかってなかったというから、すれ違いで捕まったのには違いないが、もしかするともう私の家はそういったねずみの家になっているのかもしれず、そうなるとこの二匹は顔見知りであるのかもしれない。で、それがなんだというのだろう?私の家に立て続けに二匹もねずみが入ってどんどん捕まっていった、という事実とねずみしか私の前には残っていない。なぜだか今回のねずみは鳴かなかった。今朝のもう一匹も鳴かなかった。口が張り付いて鳴けないのかもしれなかった。シューシューと聞いたことのない音を立てていた。私の家には年に三回はねずみが入る。これから寒くなるのでねずみが家に入るよシーズンである。だから夏がいいのだ。秋になって台風がどんどこくるとみんな私の家に避難する。本当に憂鬱で、私は本当にねずみが嫌いだと思った。ねずみは貼り付けにされたまま外のゴミ箱に捨てられた。ゴミ箱の中に最初に捨てられたねずみは物音がしなかったのでもう死んだと思われる。田んぼの水が止まったので水攻めで殺すわけにはいかないと母が言った。私はなんだかもう疲れてしまって、美味しい玉ねぎを食べる気がまったくなく、それでも食べたら美味しかったので、色んなことが嫌になってしまった。締め切り前だというのにまったく筆ものらず、大学の授業も進んでおらず、もう一回最初から療養をやり直したいと思った。こんなに色々進まないのなら、最初から何もせずに楽しいことだけをして過ごせばよかった。でもまぁ、人生とはそういうものなので諦めて、今日はなんとか少しでも何かを進められたらいいと思う。

と、こんなところまで読んでくれていた方がいたらマジでありがとう!絶対にがんばって金持ちになるから見ててくれよな!よろしくたのむぜ!!!

以上、家にねずみが入った話でした。

円錐切除の手術日記

はじめに

はじめての意識ある入院と手術!
ということで手術のための日記を書こうと思い、書きました。
子宮頸がん異形成の円錐切除術日記だ!

前日譚とあわせてお読みいただけるとわかりやすいかな、そうでもないかな、という感じ。ある事情で時間が前後しますがご了承ください。

前日譚↓

https://note.com/eleinutiger/n/naefcbd6fbd1f

https://note.com/eleinutiger/n/n0b37700df5cd

いちにちめ

5/6 8:31
今日から入院なので時間がきっとあるような気がするので時間を刻んで日記を書くぞ! できるかな~どうかな~

5/6 7:01
日記なのに時間を遡るけれど、朝起きたら虫がいなくなっていた。
台所の前のタイルのなんかちょっとした場所に大量のパセリがコップに入っていて、10日前くらいにそこに爪の先くらいの小さな虫がいるのを発見した。青虫はちいさくて可愛かったが、みるみる大きく黒くなり、だんだんしましまの毒々しい色になってきた。いつか蛹になるのかもしらんと思って毎日観察していたのだ。
ゴミ箱を見ると黄緑色になったティッシュが捨ててあった。

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そして君だけがいなくなった

フンだけが残っていた。

5/6 9:03
入院に出発!バスを待っている。この前バスが1分前に私をおいて走り去ろうとしたから5分前から待ってる。今時間になったがバスはこない。一分過ぎた。まだ来ない。バス停から姉の新居が見える。工事は着々と進んでいるようだ。バスまだこない。リュックとサンドバッグ?なんていうんだろうこのバックは、ちいちゃい丸太みたいなバックで出てきたけどバス来た!!!!

5/6 9:29
電車に乗った。問題は乗り換えだ。駅について次のバスが発車するまで4分だ。ナビタイム本当か?それが私にできるのか??バス停まて182メートル。50メートル走が11秒で走れるとして最短44秒でいけるのか。割と余裕か?

5/6 9:50
走って間に合ったがバスが来ない。どの列がどのバスがわからずふわっと並んでいたら気づくと私だけ列から外れていた。小さくなって後ろに並ぼうとするとすぐ後ろの方が「並んでらっしゃったんでしょ?」と声を掛けてくれたが「いえ、ぜんぜん!」と嘘をついて一番うしろに並んでしまった。一体なぜ。バス来たけど発車しない。確認したら45分発と45分着を見間違えていた。ナビタイムは余裕をもって私の歩幅でバス停につく時間を計算してくれていた。ナビタイムは余裕のあるタイムスケジュールを組んでくれていたのだ。ナビタイムを信じようと思った。

5/6 11:07
病室に着いた!バスにすみやかに酔ったのでバスでの記憶があまりない。ただ途中で「みんなで守ろう地蔵の子」という標識の看板があって地蔵という名前の土地なのか、かっけーと思ったら「地域の子」の見間違いであった。ということだけ記憶している。

ナースステーションに直で来てね!と言われたので行ったらシュッとした強そうなお姉さんがパッパと入院手続きをしてくれる。身長と体重を廊下で測った。174センチ60キロ、前後をいったりきたり。この前175に近かったのでビビっていたがそんなことはなかった。よかった。

ベッドに案内され看護師さんが来るまでここにいよと言う。隣からいびきが聞こえる。ナースステーションの目の前なのでピコンピコンという音が聞こえてちょっと怖いです。

5/6 11:45
病室から外が見える。 外、 めちゃくちゃ田んぼ。 そ して高い。12階。 めちゃ高い。

植物の漢字がたくさん入った素敵な名前の看護師さんから入院の説明を受けた。 夜ご飯が出ますと言わ れて、昼ご飯が、 でない!?!?と絶望してしまっ た。最後に質問ありますかと聞かれ「私、お昼ごはん、 食べてない、どこか、食べるところ」 と聞いたら「あ、お昼から出てました〜」って言ってくれて神様のように思った。植物の名前がたくさん入った看 護師さん。とても素敵。

お茶だけがテーブルに置かれた。 ご飯はこない。

5/6 11:58
ご飯、こない。 12:00なのだろうか。 お腹が空いた。 明日は一日ご飯が食べられないらしい! どうしたら いいのだろうか。 そんな事態に耐えられるだろうか。 ご飯が食べられないだなんて、そんな。

パジャマに着替えるタイミングはいつなんだろうと 思ったがこれから外来でX線?なんかわかんないけど 検査があるらしい〜外来に行くとは思っていなかっ た。なんかいろいろ荷物をもってきてしまったが、こんなに要らなかった説がある。 シャワーもいらな いですかね? と言われて「はい!」と答えてしまっ た。 入るって言えばよかった! もしくはタオルをお いてくればよかった! ご飯まだこない。

5/6 12:06
ごはん!!!きた!!!!! 主食大盛りと書いてあ る! ありがとー!!!

一日目のお昼ごはん(蓋)

なんだろう!!

一日目のお昼ごはん(蓋開かれた)

お魚だー! ひじきだー! あとなんかよくわかんないけど美味しそう!!!


5/6 12:33
外来に降りてきた! 勝手に降りてきたけど勝手に降りてきてよかったのだろうか? でも 「行ってきてね♡」 みたいな感じだったしなあ。

ご飯には甘い煮豆がついていた。 めちゃくちゃ甘く て美味しいやつだった!病院のご飯ずっと食べてた ら元気になりそう~

病室から動かないもしくは売店くらいまで行くだろうという気持ちで準備をしていたので、なんていうかすごく、ヲタクの格好をしてしまっている。 これは見る人が見たら担当がわかってしまう。担タレな ので担当の着ている服をすぐ買っちゃう。けどみんな高い服しか着てないので基本的にはむり。

ヲタクの話をすると最近の若い子はヲタク文化が浸透しているから普通にタレントが 「その人○○の担タ レなんちゃう〜?」 みたいなヲタク用語を使っていてめちゃくちゃビビる。シンメのコンビ名とかもがっつり本人が口にしていてビビる。ずっと嵐にいたからジェネレーションギャップすごい。
誰にもわからんヲタクの話をしてしまった。反省。

外来、結構待つのだろうか。 本を読むべきなんだろうな私は。


5/6 13:05
展開が早い!X線が一瞬で終わり病棟に戻ると今から 麻酔科へ行けとのこと! いそがしいいそがしい!!


5/6 13:24
麻酔科さん!青い服めちゃかっけー!!
説明を受けた!下半身麻酔か全身麻酔か選べる的な話を聞いたような気がするけど問答無用で全身麻酔であった。
何度も「短い手術なので」と先生が言うのでそのたび、そうだったのか、という気持ちになる。血もほとんどでないだろうというようなことを言っていて、そうだったのかと思う。なんか30分くらいらしい。

全身麻酔をしたことがあるのかと聞かれ、小1のときの交通事故のときにしたのかしなかったのかよくわからんくて「いやぁどうですかね~?」みたいな嫌な客みたいな、どっちだと思います?的な感じになってしまった。反省。母の話だとずっと「おかあさーん!」と叫んでいたらしいので局所なのではないかと思うのだけどどうなんだろ。

このまま一度と意識が戻らない可能性があると聞いてすごくビビる。 麻酔ってすごいことね。 意識ない間に管はいって意識戻ったら管抜くっていうけどちょっと怖くない!? 意識戻ったときには管入ってる ってことなんでしょ?ウッヒョー。

ウッヒョーってことはないかもしれない。


5/6 13:46
病室に戻ってきた。 戻りましたー!とか言ったほうがいいのかわからなくて病室の前でうろうろしてか らベッドの戻った。 落ち着かない。いいのだろうか。 怒られるのだろうか。

コロン・ルマンドたべっ子どうぶつその他スペシャルアソート

お腹が空いたのでお菓子を出した。 しかしすごく悪いことをしている気持ちになる。いろんなもの(キーボードとか) 持ってきたけどまじでそんなことをしてていいような気がしない。なんならベッドに横になってていいのかもわからん。あとパジャマ的なものに着替えるタイミングも一生わからん。
看護師さんの面談のときに 「環境になれる前に退院だと思いますけど~」と言われたけど本当にそのとおりである。

あと写真の赤ピンクのお犬は小1のとき4ヶ月入院し てたときに一緒にいたぬいぐるみである。 名前をぽんぽこという。さっき決めた。

メイドインジャパンぽんぽこ

さっきというのは去年の8月のことをいう。ナースステーション前なのでお医者さん (看護師さん?)たちが私について申し送りしているのが聞こえる。あとあとあとめっっっっちゃねむい。

ぽんぽこの話に戻るけどぽんぽこは本当は手作りのフリフリドレス着てたんだけど私の趣味ではない+すごく古くてすごく黄ばんでいたので脱がしてしま ったのだった。 するとお腹がぽんぽこになった。


ふつかめ

5/7 8:34
朝の回診に狭い部屋に沢山人間がやってきてびっく りした。パジャマで仕事している人間に対峙するのすごく奇妙。 すごく所在ない。
手術はお昼だけど時間はまだ不明だからみたいなこ とを言われる。 主治医の先生は手術前着ていた。 手術だー!!

5/7 8:55
昨日の後半のnoteがほとんど消えてしまったことに気づく。もうむりかもしれない。もう全然生きる希望がない。あんなに逐一、あんなにたくさん書いたのに、どうして、いったいなぜ消えてしまったのか。

noteなんかに書くんじゃなかった。ちゃんとグーグルキープさんとかちゃんとキープしてくれるやつにやればよかっだんだ。

このようなことは最近起きていなかったので落ち込みというかショックが強い。まじでつら。分刻みでやってたからそれが一番つらい。

前日の研修医と女医さんのやりとりも、カツ丼とか天ぷらそばとかのやり取りも、ぜんぶ、ぜんぶ消えた、、、、なんでこのような仕打ちを。

私が悪いのか!私が惡いんだろうなたぶんな!!へんなページ開いて変なページで更新しちゃったんだろなほぼ一睡もしてないし!?!?

そう、ほぼ一睡もできなかったんですよ。

いやちょっとまって原因を解明しよう。私が最後に更新した覚えがあるのは5/7の2:49だ。もう眠ることを諦めたときだ。隣のおばさんが夜通しいびきをかき、起きると辛くて泣いているので本当につらい、という内容だったはずだ。

そのあと、朝起きて(起きたということは寝ていたのか?)5:51ごろもうだめだこれは寝不足で睡眠不足で術後のあれにあれしちゃう!と思った。日記はまぁあとで更新すればいいかと思った。

そして8:34、回診が来たので更新しようと思って画面を開いた。いやまて、その前にスマホの充電が危なくて充電をしたな、そのときに??一度開いていたページを消したな???そのときか?

いや違う、おそらくそのあと、別のページを開いてそのページで回診のやつを更新したのだ。別のページとは、出発したときに開いていたページ。そういえば昨日【別のページでこの記事は更新されています】というようなたぐいの注意があったような気がする。そのとき、そうだったあっちのページでやってたんだったあぶねー!と思ったのだった。

危機管理!!!

つまりはそう、徹底的に私の危機管理能力不足!
自分を信じて自動保存じゃないnoteに直で書き込み、いちいち【下書きを保存】ボタンを押すことで保存していたため、まだ初日の昼前の時点で開いていたページを更新することでそれまでの下書きが上書きされ、更新され、すべて消えたと、そういうことなのではないのでしょうか! いや絶対そう。

今、最後のページからえんえんと戻るを押し続けて昨日の13時台のところまでは確認できた。

が、なんどそのページから下書きに戻るを押しても、昨日の出発の下書きに戻されてしまう。つらい。かくなる上はこのページをすべて画像で保存。そして帰ってから文字を打ち直すとして(辛いのだが)それ以後。たぶん半分以上は消えている。それを、思い出して、書く、かけるのか??

以下、嘘の数字で補足してみる。

ちなみにいま指が辛くなってきてキーボードを取り出して書いているが、うるさくないか心配です。

【5/8 19:21 すべて終わった私からの付け足し】
冷静になって今考えてみると、本当にただ寝不足のために起きた事件という気がする。このnote削除事件に気づいたのが手術前だったので、ショックで手術ができないかもしれない、というくらい焦った。
データを消す、ということを技術の発展によりしばらくやっていなかったので耐性がなかった。noteもパソコンだとわりと自動保存じゃないですか?違う?ともかく今回の入院で一番つらかったです。

いちにちめ(振り返り)

5/6 お昼以降のこと
書いてみたが何も思い出せない。あのあと何があった?麻酔科にも行って、もう何もすることはないというような感じだったと思うが。一体いつパジャマに着替えたというのだろう。それも思い出せない。

え、まじで何も思い出せないわ。

夜に主治医の先生が声をかけてきてくれた。
ナースステーションの前だからすごく声が響いていて、女医さんが研修医に「じゃあ宿題出しちゃおっかな〜」といっていたことだけ覚えている。
あと「天ぷらそば?カツ丼とかじゃなくていいの?」みたいなことも言っていた。

え、まじで、こんだけしか思い出せないの?

ていうかそもそもリアルタイム更新だから価値があるのであって、今思い出して書くことにはなんの意味もないのでは!?!?はー!!!!

なんの希望もない。なんの希望もなかった。
写真、写真が少しだけあるぞ。

画像2
些細な輪ゴムでまとめられたOS-1

これを朝までに飲むというのか!?と思ったときの写真。しかしこれはもうすでに夜ご飯後である。そうだ!!!夜ご飯!!!

画像3
一日目の夜のご飯。うまいうまい!

これが理想の麻婆豆腐だ!というような小話もたくさん書いたなぁ。そう、たくさん書いたんだよ。私と麻婆豆腐のメモリー。失われてしまった。
アイスがある!!!とも書いていたな。

これはアイスではない

後になってそれはアイスではなくクリームキントンという謎の食べ物で、一体何!?というような小話も、あった、なぁ、、、、

仕方がないのでツイッターから抜粋。

画像5
「これはアイスではない」についてツイッターの見解

洋梨きんとんでした。

そうその後だか前だかにぽんぽこが褒められた。あら!あらあら!つって。柔らかそうね〜つって。私はへらへらとして、そうなんだと、心のなかで呟いていたっけなぁ。

画像6
ほとんどすべての植物に毒が

もう画像を縦にする元気もない。なんの本を連れて行こうか迷って連れてきたやつ。なんの資料でもなく単純な興味で本を読むという行為、たぶん15年ぶりくらい。そんな気がする。めちゃおもろい。植物にはだいたい毒がある。

5/6というか5/7深夜
ともかく眠れなかった。横のおばあさまが大いびきをかき、起きると苦しみで泣いている。しょっちゅうナースコールで「助けてください」というので、悲しみで、全く、眠るどころではなかった。

耳栓を持ってこなかったので、イヤホンを耳栓の変わりにして付けていたが首に絡まって死ぬかと思った(ぽんぽこが)。

あと、永遠と浪漫飛行が流れていた。ナースコールなのか、他の連絡なのかわからんがずっと流れている。ウルトラマンが時間がないときのピコンピコン音もずっと流れている。

3:00近くにもう寝るのは諦めよう!と思ったところで少し寝れた気がする。2時間くらい寝たのだろうか。盛り癖があるので一睡もしてないと人には言う。

あと、そうだ、ご飯を食べてからの過ごし方がわかずもだもだする回とかもあったのだ。ジャニーズJr.チャンネルを見ても良いのか?というくだりがあったがなにも思い出せない。ジャニーズJr.チャンネルは見た。

もうこれくらいにして現在軸に戻そう。これからはGoogleさんに記憶しようと思ったが、Googleさんからコピペするとむげんに改行されるシステムなのでつらい。自動更新にしてくれ。

ふつかめ(真実の)

5/7 9:50
データの消えた悲しみでいっきに寒くなった。体から血がなくなっている。昨日の夜から何も食べていないからかもしれない。10:00までにOS-1を2本ということだったが余裕だった。
でも他の人が朝ごはんを食べている間にじっとしているしかないのには悲しみが伴った。そして眠いというかだるい。なにせ寝ていないので。
10:00以降は水も飲めないらしい。そう言われると水を飲みたい気持ちでパニックになる。もう心が弱りきってしまった。

ナースステーションから「あいつ仕事できなかったけどいいやつだったよな!」という演技声が聞こえる。ワハハ。と聞こえる。楽しそう。
そうだ、研修医と先生のやりとり楽しそうでいいな、という話も、消えたデータのなかにありました。私と大学病院のメモリー、回診、うう、、、

5/7 11:19
寝不足からか手術が近いからか動機がするし眠いし目が回る〜〜早く終わりたいけど手術まだかな〜?12:30予定が早くなるか遅くなるかどっちだと思う〜?私は遅くなると思う!

5/7 12:05
そろそろかな?と思ってからが長ーい!全然呼ばれなーい!呼ばれたら手術着に着替えて圧力かかるよソックスを履いて歩いて手術室行くんだって!
先生の声がすぐそこで聞こえるからもうすぐなのかなー?どきどきしてきた!

5/7 12:23
まだ声はかからない。ひたすらスマホでタヌキ顔の可愛い人間の画像を漁る時間。

5/7 12:31
主治医の先生が外で「お金がなーい」といいながら飲み物を買いに行った気配がした。楽しそう。
イッタランドのみんなから応援をもらった。勝手に他のフォロワーからの応援受け取った。私には、フォロワーがいるから!!!

5/7 12:35
一昨日?にいれたTOKIOのアプリから通知。城島リーダーから「これでみなさんに届いてますでしょうか」という確認のメール。メール??
届いているよと思った。まだ手術の時間決定連絡はない。ないが、手術着に着替えてくれと言われて着替える。着圧ソックス、思ったより圧がなかった。大丈夫ですかこれで?

【5/8 19:59 すべて終わった私からの追記】
この間に手術に行きました。最後が城島リーダーからの連絡だとは思わなかった。着圧ソックスのかかとが間違っていて、ちょっと履き直したということを追記しておきます(いるか?)

手術本番の日記

5/7 16:39
起き上がり点滴がぬけてオムツ(オムツ!)も取れたので記録再開〜
さすがに手術直前はリアルタイムは難しかったので覚えている限り振り返りで記録するぞ!

5/7 12:47
看護師さんがやってきて直前でごめんけど手術が13:00からに決まったから今からトイレ行って出発だ!と言われいそいそトイレに行った。帰ってくると看護師さんはいない。病室の前で若干うろついていたら手術担当の主治医の先生がはて?みたいな顔をしてたので隠れなきゃと思って病室に駆け込んだ(なぜ?)
待っていていいのか?と思うとお迎えに来てくれて「じゃあ行きましょうか〜」と手術室へ向かう。

手術室へ向かう道がわれわれパンピーの道ではなく裏通りという感じがしてどきどきする。銀色のエレベーターに乗って12階から3階へ。
エレベーターの中で看護師さんにこれをつけよと言われ工場勤務の人が頭につけるネットみたいなものを渡される。水色だった。
「鏡でいい感じにしてもらっていいですよ」
と言われるので「(鏡でいい感じに??)」と思いながらエレベーターの中の鏡で髪を「(いい感じって??)」と思いながらいい感じにネットの中へいれた。
「すごく手術っぽいです!」
というと看護師さんがそうですよねーと答えてくれる。
「でも本当に一瞬ですよ〜私も送り出したらすぐお迎えって感じなので〜」
と言っている間に手術室のあるゾーンに入った。

めちゃくちゃ寒い!地下で人間を冷凍保存している場所みたいな寒さだった。一体なぜ、このように寒いのか???と思うと大きな銀色の扉に17と書いてある場所の前に来た。扉が開く。中で二人の医師ががちゃがちゃと何かをしている。

中に入るのかと思いきや「ちょっとここで待っててくださいね」と言われる。非常に手持ち無沙汰である。すると看護師さんがにこやかに話しかけてくれる。
「お腹すきました?」
私の頭の中は一瞬で「!!!!」でいっぱいになった。
「おなか!空きました!お腹が空いたということだけしか考えられません!」
あまりにひもじくて脳直ツイートみたいなことを言ってしまったが、看護師さんはにこにこしていた。
「夕飯はでますからねー」
「でるんですか!」
今日は食べられないと聞いていたので私はにわかに興奮した。しかし、あ、と看護師さんは何かに気づいた顔をした。
「午後手術だからでないか。でないですね」
私はにわかに絶望した。
するとそれを、汲み取った看護師さんがすぐに慰めてくれる。
「先生によっては売店に行ってもいいって方もいらっしゃるので、ゼリーとかプリンとか」
「ゼリーとかプリンとか」
復唱しながら私はまたにわかに興奮した。
「とてもいい響きですね!」
私はおなすい怪獣になってしまっていた。ご飯のことしか考えられなかった。すると看護師さんは慈愛の目で私を見、そして笑った。
「私の方から先生に言ってみますね」
まさかそんな蜘蛛の糸が天から降りてくるとは思わずとても嬉しくて何度もお礼を言った。
すると銀の扉の手術室の中から青い服を着た人がやってきて、中に入れと言う。

「今日手術を担当します看護師の〇〇です」
と言われたが私はまだゼリーとかプリンとかのことを考えていたので名前を聞き逃してしまった。
よろしくおねがいします、と頭を下げるとスリッパのまま手術台の前の些細な台に登れと指示がある。
なるほど、スリッパのまま、と思いながら慎重に台に登った。次は手術台に腰掛けよとの指令、腰掛けると先程のゼリーとプリンの看護師さんがまだ扉の向こうに控えている。よくわからないが気恥ずかしかった。
メガネを外しましょうと言われてメガネをしていることに気づく。メガネを外すと横からひょっと人影が現れて大きめの声で「麻酔科の〇〇です!」と自己紹介される。さっきツイッターランドでその名字を見たな、などと思う。

手術台に乗るとまず右手で血圧、左手に点滴をするので両方を差し出す。なんかもう天井から2つの大きな何に使うかわからん円盤が浮いていて宇宙人に囚われた時の気持ちになった。
展開がめちゃくちゃ早い。いつだか見たテレビ選手権の何かのやつくらい連携のスピードがある。点滴を手の甲からやりますよ、と言われる。
「すこしチクッとします」
私は痛みに集中した。注射が割と好きなのでどの種類のどんな痛みなのか、それを確実に受信するために全神経を集中させた。でも一瞬だったのでよくわからなかった。言葉で表すとチクッとした。

マスクを外しますと言われて看護師さんに渡しておきますねと言われる。まだそこに私の看護師さんがいるのか??と思ったが身動きが取れるのが目しかないので目をぐるぐるした。
人間に囲まれ、人間たちは私に次々と何かを施してくる。これが手術か、これは、完全に手術だ!と思う。なすすべが一つもない。まな板の上の鯉という使い古された言葉がみるみる血肉をもって体に染み渡っていく。
主治医の先生の声がして、いるのか、と思うとさっと視界に先生が入ってくる。

「犬怪さんご飯ね、夕方から出してもらうから」

やったー!!!!!!!!!

と私は言いたかった。しかし鯉なのでうまく言葉がでなかった。わ〜とか言ったように思う。そのとき酸素マスクのようなものを口につけられ、急にヤバみを感じた。
曲がりなりにも私はパニック障害者、とくに息が出来ないという恐怖がつよく、そんで酸素マスク、全然息が出来ない!酸素でてなくねえかこれ!
「深呼吸してくださいね〜」
できない!!深呼吸しても空気こない!くるしい!くるしい!シンジくんがLCLをはじめて飲み込んだ時の感覚を思い出して、ものすごい恐怖!
恐怖が連鎖して「このまま麻酔からさめない可能性!!」となり、これはもうこれはもうあれかもしれない無理かもしれない、と思うと麻酔科の人が横から顔を出した。

「今から麻酔いれますからね〜ちょっとヒヤッとしますよ〜」
横から看護師さんも顔を出した。
「ちょっとビリっとするかもしれません」
ヒヤッ?
ビリっ?
どっち!?と思うとヒヤッとしたもなが体内に流れてきた。いや、そんなことより酸素がなくて私は苦しくてパニック発作なんだ!!!
もう無理なんだ!!!!!!!

目が開けると天井が見えた。

なにか呼びかけられた気がする。起きたら喉から管を抜く的イベントがあると聞いたが喉にはなにもなかった。
終わったのか?と思う。どうも終わったらしい。しかしこれは一体、この感覚は、知っているぞ!と思う。

目が浮いている感じで頭がふわふわ、そう、これは昔ハルシオン遊びをしていたときの、うそうそ、そんな危ない遊びはしていない。欲しかったけどハルシオン遊びが流行ってから処方されなくなったのだ。代わりと言ってはなんだが、私はデパスとかソラナックスとかをお酒と一緒に20錠くらい飲んでいたのだが、そのときのピカーン!に似ている!

いわゆるODというのか、昔は自分のことを椎名林檎だと思っていたしCoccoだと思っていたし南条あやだとも思っていたので、なんか自然とそういう精神安定剤を砕いて鼻から吸い込んだりという奇行に走っていて、今思うと自分でも何してるのかわかってなかったのでそういう病気なんだろうが、あのお薬がキマった瞬間の浮遊感というか、自由感?開放感?酩酊感?なんかそんな「感」が無数に集まったとき、の感じに似ていた!!

これが麻酔後!

麻酔が覚めるときとはこんなにもいい気分なのかと思い、それを満喫したくて目をぐるぐるしながら酩酊感を追いかけていたら、どんどんトリップ感が薄れていく。いかないでー!と思った瞬間、めちゃくちゃ寒くて体が浮いた。
「寒いです寒い、、、さむい」
訴えると誰かが何かを体に乗せてくれた。終わったから帰りますね〜と言われベッドのままの移動した。大変気持ちよかった。

すぐに病室についてしまう。足からプシューと音がする。ポンプで足になにやら圧をかけてくれているらしい。とても気持ちがよい。
看護師さんが「痛みあります〜?耐えられない痛みが10だとしたらどれくらいですか?」という難しい質問をしてきて、元気に「1です!」と答えてしまった。
答えた瞬間そんなことないんじゃないか?3くらいは痛いんじゃないか?と思ったが、看護師さんが笑いながらよかったーと喜んでいたのでまぁいいかと思った。

これから二時間後に歩けるようになったらもうオールおっけー!それまでは安静にしててな、と言われる。ご家族に連絡しますよね、と言われてスマホを金庫から出してもらうが、左手が点滴でふさがっているので右手でしか操作ができない。
私は6.3インチのスマホを使っているので片手で持つだけならまだいけるが、それで顔の前で文字を打つのはだいぶきつい。酸素マスクもついているしまだうまく体が動かないなか、どうにか文字を打った。

家族よりツイッター

片手剣ツイッター??なんと言おうとしたのだろう。まだ朦朧としていたのだろうか。片手でツイッターか。そうかもしれない。点々を、打つのがめちゃ難しかった気がする。術後すぐツイッター、も打ててないしな。

【5/8 20:23 すべて終わった私からの追記】
このあと二時間動けなかったのだが、そして以下の時系列の日記では動けなくて寝れなくて辛かったと書いてあるが、右手は動くのでときどきスマホを取り出し、術前にひらいていたページから好みの狸顔の子の写真を保存しまくるという作業をずっとしていたことを今、急にというか写真を整理していて思い出した。ジャニーズがいなかったらこんなにじょうずに手術をうけられなかったかもしれない。ありがとうジャニーズありがとうアイドルありがとうタヌキ顔!

ふつかめ(手術後)

5/7 14:14
手術がおわりベッドに戻る。これから2時間は安静。何度も看護師さんが血圧と体温を測りに来る。みんな優しい。いろんな看護師さんが働いている。最初に出会った植物の看護師さんは今日はいないみたいだ。

5/7 16:17
2時間経ったしちょっくら起き上がって水を飲んでみましょうかね?という話になる。
よしきたと思う。この2時間が一番つらかった。辛い、というほどのあれではないのかもしれないが、眠りもできないし動きもできないじっとしているだけの時間、とてもつらぴよだった。
ベッドがウイーンって起き上がって病人の感じになる。お水これでいいですか?と昨日の夜に買ったボルビックを手渡される。まだキャップが空いていない。そして全然あかない、ていうかボルビック、キャップ、なんでこんな些細な付き方してんの?術後の手には痛いんだが!!一生懸命開けたらちょっとこぼれた。
足のプシューが外れて立ってみましょうということになる。

足を降ろす、立ち上がる。
普通だった。けど、なんか、すごく、なんていうか。なんか変な。
すると看護師さん私を見上げている。
「背が高いですね」
それだ!と私は思った。
「こんなに背が高かったでしょうか?」
私が聞くと看護師さんは微笑んだ。
「私が低いからそう思うのかもしれません」
へらへらと笑うしかできなかったが、まじで自分の体がでかくて混乱した。点滴を引きずりながら廊下を歩く。看護師さんが付き添ってくれる。強烈な違和感。これは、これはオムツだな!?!?!
トイレに行きたいというと「そうでしょうね」とのお言葉。この看護師さんとはさっきはじめましてだが(ゼリーとプリンの看護師さんではなかった)もうツーカーの仲なのかもしれない。
点滴のやつをごろごろしながらトイレへと向かう。なんていうんだっけ、トイレ管理のやつ、カテーテル?はついてなかった。

トイレから出るときにトイレのナースコールを押してくれと言われなんだか申し訳ない気持ち。看護師さんにお世話してもらうのってなんか、申し訳ない気持ち!!

5/7 18:25

術後4時間後のありがたいご飯


パイン酸っぱい!!!
ご飯だ!お魚だ!とろろ芋だ!!!なんか大量のなます的なものだ!!!(お献立にはごま酢和えと書いてある。なんのごま酢和え?ごま酢和えが正式名称??)
トイレに行って自由になってからひたすら日記を書いていた。Googlekeepに書いているのでもう消えたりしない!!あーー思い出した。なぜ、消えてしまった、昨日の夜の、苦しい一夜。

ご飯美味しい!けど若干、ほんの若干飲み込みづらい気がする!全身麻酔だと喉になんか違和感あることあるよと言われていた気がする。気のせいかもしれない。昨日の夜ぶりのご飯だから興奮してるだけかもしれない。
おいしい!ごはん、美味しい!!
今日はよく眠れる気がする〜😊😊と思ったが今も大きないびきがすぐそこで聞こえてきているので無理かもしれない。ざんねんぴよ。でも明日一日休み取ったから明日はねられるんだー!!

麻酔から覚めたことにより新たな人間になった。気持ちも一新した。またコンテストに落ちたのか、と打ち沈んでいたけど全然おっけー(オッケーではない)これからまた頑張って行こうな!!!たのしみたのしみ!!

5/7 19:18
そういえば看護師さんに我慢できない痛みを10として今の痛みは1ですって答えたけど、時間経ってみて改めて考えてみると1もないな。術後すぐは生理痛くらいの痛みがあるな、と思ってたけどトイレ行ったらなくなった。本当に手術したんかな?血が出てるからしたんだろうな??
ずっと思ってたけど精神が薄弱なだけで肉体がべらぼーに強いのよな。

あと2泊3日で次の日から仕事していーよ、なんの制限もなし!って診察のとき言ってたから本当か?と思いつつ一日だけおやすみもらって明後日から仕事なんだけと調べてみるとニ週間とか一ヶ月とか休んでる人結構いるね!大丈夫なのか?
まぁ先生の言ってることが一番正しいんだろうからいっか!重いものを持ちまくる生活だけど!!

5/7 21:02
気がついたら消灯であった。
今のところ普通に普通の人間としてYou Tubeを見ている。本当に手術をしたのだろうか。さっき聞いたらやっぱり日常生活になんの制限もないらしい!お風呂も入っておっけーってことよね!
大量出血したら病院に言ってね〜だって。とりあえず今日は眠れるといいな〜静かなうちに寝る!!

みっかめ

5/8 6:09
起きた。隣のおばあさま、昨日は泣かずによく眠れていた。よかった。私も浅いがよく眠れていた。よかった。
相変わらずまったく痛みはない。トイレに行くとちょっと血がどちゃんって落ちる感じ。血の色が生理のときと違って赤黒いのではなく明るい。橙色に近い感じ。
とりあえずお風呂に入れていないので帰ったらすぐお風呂に入りたい。頭がもちゃくちゃしておる。関係ないが髪も切りたい。
毎日数回血圧とか体温とか計るのすごく病院っぽい。血圧についていつまでもどれが正常化わからんけど看護師さんが「いいですね」と言ってくれるのでそのシステムがいつもあればいいのにと思う。

何時に退院なんだろう??

5/8 7:33
朝の検温などなど!たくさん痛み止めをもらったがまったく痛くない。こんなに痛み止めがもらえるということは手術したに違いない。
「いつ退院がいいですか?」
と聞かれてそういうシステムなん!?と思う。早ければ嬉しいかな〜的なことをいうと、だよね〜的な返答。そういや手術後先生に会ってないけどそういうのないのかしら??

5/8 7:47
ご飯だ!

三日目の朝、最後の病院ごはん


勝手に今日はフレンチトーストだと思ってたのでお魚でびっくりした。楽しみにしたい気持ちと献立表見たい気持ちが相まって薄目で献立表を見ていたから見間違えたらしい。
でもうまいうまい。牛乳もついてて嬉しい嬉しい。持ってきてくれた人に「牛乳だ!」というと「飲めないですか?」と心配された「大好きです」というと微笑んでくれて、顔を確認するとぽんぽこのお腹を褒めてくれた人だった。
でもフレンチトースト食べたいなー!

5/8 8:16
朝の回診。今日は3人で少なかった。
前から飲んでる薬(ディナゲスト)がもうないと話すと退院処方が出ますという。ディナゲストは生理こないしPMSもゼロ、まったく正常な人間として生きていられるものすごい薬です。一生飲みたい。
しかし退院処方という言葉をみんなすごく言うが、退院処方とはなんぞや??
退院時に処方される薬ということ?さっき渡された大量の痛み止めは退院処方ではない??

はてなはてな

5/8 8:32
フレンチトーストは特別料金の人用らしい!なんてこと!私もフレンチトーストが食べたいぞ!
しかし個室だったり特別料金メニューだったり、世には富豪がいるのだということをひしひし感じる。特別室は一泊30万くらいするみたい。官房長官とかが泊まるのかな??

5/8 9:21
なんの時間なのかわからない時間が過ぎていく。さっき看護師さんから「先生になにか言われました?」と聞かれ、どの先生だ??と思いながら「特になにも」と答えた。看護師さんはみんなにこやかで優しい。昨日の食事を運んできた人はめちゃこわかった。お膳上げ下げパートの人かな?
眠いような気がするしだるいような気がする。
そういえばいつも薬(安定剤)抜けたあとってしんどいよな。手術と関係あるのかわからんけども、薬抜けって感じがする。昼寝(朝寝?)しようにもいつ人がくるかわからんからうまく眠れず。外で飼われている犬が神経質になるのはこのような理由からなんだろうな、などと思う。

5/8 10:18
退院処方だ!つって看護師さんが薬をもってきてくれたが処方が違った。0.5mgのを飲んでるんだけど1mgになってた。一ヶ月前も先生は同じ処方間違えしていて昨日会ったときに「ごめんねー!」と言っていたが今日も同じ間違いをしていたので好感度が上がった。同じ過ち、いつまでも繰り返してしまうもんな。やろうと思って間違っているわけじゃないんだ、そのときは反省しているんだ、と自分がやったんじゃないのに言い訳をしてしまった。

薬は先生に確認するので、もう帰れるようにお支度しちゃってくださいね♡と言われたので支度をした。


ぽんぽこの鼻がどうやってもチャックに引っかかるので縦に

行きに余裕で入っていた荷物が帰りにうまく入らないやつをやった。
なぜ???

お掃除の方に「退院なのー?」と声をかけられる。どこへ帰るのかと聞かれて答えたら「ちょっと遠いわね」と困った顔をしていた。お迎えはくるの?と聞かれたので一人で帰るというとバスの時間を教えてくれる。
ありがとー!!

5/8 10:54
病院にお薬ないから処方なし!帰っていいよ!と言われたので立ち上がる。
え、まじでこんな感じでふわっと帰るのか??入院者管理用のリストバンドをハサミで切られて「おつかれしたー」みたいな感じで部屋を出る。廊下にいた看護師さんに挨拶するとめちゃ軽く「おだいじに~」って言われる。エレベーターに乗る。精算は後日なのでマジでこのまま帰るだけらしい。
入院が終わった!!

5/8 11:09
家に帰るまでが入院なので(そんなことはない)バスに乗っている。さすがにふわふわするが、これは食っちゃ寝していた後遺症なのかそれとも全身麻酔後のあれなのか気圧なのか、と思ったがアプリで確認すると気圧は上昇していて悪くはなかった。

特別メニューのフレンチトーストを見てからというもの、フレンチトーストが食べたくて仕方のない人類になってしまったのでこの入院はフレンチトーストを食べるまで終わらないぞ!

5/8 11:36
バスに乗って駅にたどり着く。
バス停の向こうにカフェが見える、外からふわふわ覗くとフレンチトーストの文字が見える。やっだぜ!と思って入る。店、めちゃくちゃ狭い。大きな荷物を抱えて小さな机の前に座る。
サラダセットの文字が見えたのでフレンチトーストと頼めるかと聞くとだめだという。フレンチトーストとサラダが食べたい人間は単品で頼めとのこと。単品で頼む。温かい飲み物が飲みたい。温かいミルクはあるかと聞くとないという。そうか。ないのか。ミルクティーはあるのに??デカフェのものはあるかと聞くとないという。そうか。でも私は温かい飲み物しか飲めない。そしてハーブティが好きではない。
フレンチトーストとキノコと温泉卵のサラダとカモミールティーを頼む。
ないのだから仕方がない。全然飲みたくないが温かいものが飲みたいので仕方がない。

きた!!!
フレンチトーストだ!!!!サラダだ!!うわ!!!カモミールティーにレモン入ってる!

私はレモンに対して基本的に「なくていいな」と思っている。一年に3回くらいレモンティー飲みたいと思うがもうカフェインがだめなのでそれもない。

でも!!!フレンチトーストがあるから!これにて入院日記はハッピー・エンドだ!!!

食べた!!!!

私の好きなフレンチトーストじゃなかった!!!!!!
なんか苦い!!!

店内ではレット・イット・ビーが流れていた。

円錐切除術の手術日記【完】


【5/8 20:38 すべて終わった私からの追記】
あまりに唐突に終わっていたので追記しておく。フレンチトーストを食べたいと言っている時、私は横についてる些細なクリーム的なものを食べたいと思っているらしい。
これにはそれがなく、あとなんか多分砂糖をまぶしたものを焼くことによりキャラメリゼ的な? なんかそんなことを表面に施してあって、私は焦げた味が好きじゃないので、なんか違う、となってしまった。
あとめちゃくちゃふわふわだった。食べ物がふわふわであることにさほど価値を感じないため、これは違うフレンチトーストだ、となってしまった。あと、この店の別の店舗にはよく行っていて、そこでは牛乳温めるだけですけどいいですか?といってミルクを出してくれるので悲しかった気持ちが相まって、あまりフレンチトーストを楽しめなかった。いりますか?この追記。

そんなわけで、自宅に帰ってやっぱりだるい気がする!と少し眠り、またアイドルを楽しみ、起き上がって日記を完成させた。痛みはまったくなく、単純に食って寝てアイドルを見るだけの時間を何十時間も過ごしてしたため、筋肉的なものが死んで縦になっているのが辛いだけと思われる。

二週間後くらいに大量の出血があることがあるらしいが、心配したところでなるものはなるのだろうから、まぁいいだろう。血はずっと出ているが少量である。

入院そして手術の感想は、その当時はうまく眠れないし、筋トレもないしうーん、って感じだったけど、今振り返ると、ただアイドルを見ていて良い時間、ただツイッターをやっていて良い時間、だって他にできることないんだもん! ということが出来てとてもよかった。
休む、ということが出来ないというか、休むことに強烈な罪悪感を抱くタイプの人間なのでこういう強制的に休むというイベントはいいものだと思った。あとご飯が健康っぽくてよかった。
ネタ出しをしようと思って、原稿用紙をもっていったのだが、そしてその下りも消えてしまった下書きに書いてあったのだが、文字を書けるような空間ではないのだった。草の花ごっこしようと思ったのに、無念。

そんな感じで、手術日記はこんな感じで終わります。結構長くなってびっくり。また何かあったら書こうと思います。そんじゃねー!