すべての群れの客である

大地から5センチくらい浮きながら文章を書くよ!

たてばやしたぬきにっき

一日目 うどんと林檎とブックオフ(それから台湾)

この2日間で館林に行った。館林には師匠の家がある。
師匠はわたしの人生の師匠でいろんなことをわたしに教えてくれる。館林もそのうちのひとつであって、とてもいい場所である。わたしは一度師匠の家をたずねて館林に行ったことがあるから知っているのだ。

ぐんまちゃん。なぜなら館林は群馬県だから。

なんやかんやで館林駅について、まずうどん屋さんへ向かった。以前来たときには人が大勢並んでいて時間がなくて食べられなかったので、ちょっと早めに来て今度こそ食べるぞという気持ちで行った。どうしても食べたかった。理由は写真をみたらわかると思うので写真が出るまで待って。

ついたらやはり人がかなり並んでいて、私の前に並んでいた夫婦がずっと文句を言っていた。この店は自分たちのことしか考えていないのだ、だからこのように寒空のもと人間を並ばせるようなことをしているのだ、とずっと言いながらちゃんと並んでいた。お店のひとは大変だなと思った。

気づき

ふと横を見ると、ぐんまちゃんにはたてがみがあるのだった。そう、ぐんまちゃんは馬だったのだ。知っていたけどびっくりした。
立体のぐんまちゃんをちゃんとしっかり見ていなかったので、とても興奮して写真を取っている間にも夫婦は文句を言っていた。
わたしは並んでご飯を食べる人間ではないので、どんなに食べたくても並んでいたら食べない人間なのでならば並ばなければいいのにと思いながら、こうしてうどんを食べるために並んでいる自分に矛盾を感じていた。しかし、写真を見ていただければ私が並んでいる理由がわかるだろうと思う。

はじめてのたぬき

店の外にたぬきがいる。
私は日の当たるぽかぽかとめっちゃ寒いベンチに座りながら森博嗣の『封印再度』を読んでいた。急にM&Sシリーズ読破したらいいんじゃん?と思って読み始めている。『すべてがFになる』はかなり昔に読んだのでいろんな内容を忘れているが、そろそろ謎がとけそうな気配があった。でもあと130ページくらいはある。といったところでずんどこ名前が呼ばれて私の番になった。
店に入ると、なんと席がめちゃくちゃ空いている。なるほど、だからあの夫婦は怒っていたのか。これだけ席が開いているのになぜ通さない!?ということだったのか。しかしまぁ、理由はわかんないけどなんらかの理由があるのだろうと思った。わかんないけど。
予習していたうどんのメニューがちょっとちがっていて、はわはわしながら秒で注文した。だからいつも注文を間違える。森博嗣を読みながら待った。謎を解いてくださいよ、と犀川先生が言われている。なんやかんやいって謎を解くんだろうな、と私は思う。あと大好きな執事さんが不憫かわいくて大変結構。と思ったところでうどんがくる。

ならぶ理由のあるたぬき

ご覧よ。

たぬきだよ

並んだかいがあるというもの。
たぬきだぜ。たぬきのうつわにうどんが入っているんだぜ。しかもそのうどんは5センチくらいの幅があるんだぜ。すごいよな。並ぶかいがあるよ本当に、と思いながらまずてんぷらを食べて、一口目で胃もたれを感じて気持ち悪くなった。じゃあてんぷら付きじゃないのを頼めばよかったのか?と自問してみるが、食べる前のわたしはてんぷらを克服したと思っていたのである。時と場合による。天ぷら屋さんのマジのうまい天ぷらだったらいけるのかもしれない。この天ぷらがまずいということではない。美味しかったと思う。万事時と場合による。

さあうどんをたべよう! と思うのだけれども、うどんの器、つまりたぬきが非常に遠い場所にある。写真を見ていたらければわかると思うのだけれども、遠い、遠いですよね? 器が熱いのでやけどしないように、みたいなことをお姉さんが言っていたので、おそるおそる引き寄せようと握ったら本当に熱かったし、下にずれないためのシートみたいなものがひいてあって、5ミリくらいしか動かせなかった。しかたがないので、そのまま食べるか?と思ったのだけれど、うどんが5センチあるので箸でうまくつかめない。つかめたとしても距離があるので、口まで持っていくのがすごく大変。私はそう、全校で一番座高が高かったので、座高新記録を叩き出したような人間なので、めちゃくちゃかがまないとうどんに届かず、なにか、犬? わたしは、犬かもしれない、というような気分でうどんを食べるが、5センチあるので吸い込むのが難しく、あと本当にうつわが遠い。おたまみたいなやつを使おうとしたのだけれど、これは口をつけるようのおたまなのか?もしかしてまた私にだけ取皿が用意されていなくて、実はとりわけて食べるようの食べ物なのではないか、と周りを見回したけれど、別に取皿はないようだった。私の座高が高すぎるだけかもしれなかった。
おいしかったしたのしかった。

これを食べながら、私はこのたぬきたちはどのようにして裏で控えているのだろうということを考えた。たぬきの皿の上に別のたぬきがのっているのだろうか。普通に考えればそうだろうが、でもどうだろう。もしかしたら一匹のたぬきにひとつの小部屋的なものが用意されているかもしれない、そうだったらいいのにな、たぬきが裏にいっぱいいて、楽しいだろうな、と思ったけど食べている皿を見たら明らかに上に乗っけている部分が禿げていたので普通にたぬきの上にたぬきが乗って収納されているシステムのようだ。

おすい、とかくとまろやか。

外に出るとマンホールがたぬきである。

おかみたぬき。てしたたぬき。
口から向こう側が見えるたぬき。写真うまくとれなかった。
石像たぬき。巨人軍ゆかりの地らしいね

ロータリーの前にもたぬきたぬきたぬき。
説明がまだだったけれど、館林は分福茶釜茂林寺があるため、町中にたぬきがたくさんいて本当にいい街。それだけでも住む価値ありです。たぬきがたくさんいると楽しいからね。

師匠が迎えてにきてくれて、師匠の家に行った。師匠の家のお庭にはチューリップの芽がぴょこぴょこ出ていて、師匠のお子さんと一緒にそれを眺めたりなどした。お子さんは前に一度合ったけれど、前に一度あったときよりずっと人見知りしていて、本当にごめんね急に遊んでくれて本当にありがとうという気持ちになった。師匠の家にはたのしいものがたくさんあって、遊んでもらってとても嬉しかった私は。たのしかった。アンパンマンはすべての職業をしている。パン屋さんや歯医者さんやウーバーイーツ的なものまで。この世のすべての職業はすでにアンパンマンによっておもちゃになっているのである。

師匠は私にいろんなことを教えてくれるので師匠なのだけれど、私の家と師匠の家の真ん中の十字路で待ち合わせしていろんなところに連れて行ってもらったし、サイゼで六時間くらい話すだけの時間や、古き良き時代のナンジャタウンを教えてくれたのも師匠である。全部たのしい思い出。戻りたい。と思いながら遊んで、解散して、ホテルにチェックインした。ミッフィさんのアニメを見たりなどして遊んだんだよ。

旅行支援でよさげなホテルに泊まることができてうれしい。一人でホテル、とても楽しい。でもまだ時刻が17:00過ぎたくらいで、ご飯を食べにいくにはちょっと早い?でもせっかくだから館林を感じたいぜ!と思って、グーグルピクセル5aを取り出し、別に機種名を書くほど最新でないのがざんねんだが、どこかいいところはないものか、と思ってブックオフに行くことにした。徒歩20分くらいとグーグル先生が言っていた。

はて?

旅先でブックオフに行くことが正しいことなのかどうか、私にはわからなかった。あまりただしくないようにも思われた。道は暗く、時々明かりがあって、それはなにか、おそらく地元の人間しか入れないような居酒屋だか、おしゃれ風を装った村の人間以外は受け付けない排他的なイタリアンだか、なんかそんなようなものだった。

そうして途中に、まったく街頭のない道が現れて、しかし遠くに光の見える場所があった。歩いて歩いていくと、光から果物がこぼれている。どうやら八百屋さんであるようだ。八百屋らしい八百屋さんだな、と思いながらりんごを横目に通り過ぎる。通り過ぎてから、りんごが食べたいなと思う。ちょっと戻って見ている。外に出ているりんごは4個入りなのでいらないなと思う。中を見ると一個入りの林檎がある。でも、りんご、どうやって切る?と思って通り過ぎた、で、結局戻ってりんごを一個買った。

りんごを一個(めちゃくちゃでかい)(サン富士と書いてあった)レジスターに持っていくと、レジのおじさまがぱっとそのりんごを見て「合格!」と言ってくれる。私は「わぁ、やったー!」という歓声を口からだして、paypayの残高があることを思い出し、paypayを使えるかどうか聞いた、もちろん使えるというので、はじめてバーコードを読み取って自分でいれるタイプのpaypayをした。おじさまはおそらく70代くらいだと思うが、にこにことpaypayの使い方を教えてくれる。わたしはバイトでpaypayをひとに教える立場であるのに、paypay側になるとなにもかもわからなくなって、はわはわしてしまったので、私もpaypay側の人間にやさしいレジ側の人間になろうと思った。

めちゃでかりんごをリュックに入れて、ブックオフまで歩いた。
旅行にいくと、今読んでいる本が読み終わったらどうしようvsこれ以上カバンを重たくしたくない、の気持ちの戦いがある。それはそうと、ブックオフ、まじで超たのしいな!という興奮があった。

地元のブックオフはみんな死んでしまい、ブックオフ的な中古本屋はちょっと遠くにあるのだが、やはりブックオフブックオフにしかかもしだせない雰囲気というものがあり、これが久闊を叙するとういことかと思った。なんという最高の空間。やっぱりこの世で一番たのしい読書はブックオフの立ち読みだと再確認した。ブックオフのない世界はずいぶんつまらんものだなと旅先で確認する。でもブックオフは私が知っているときより値段が軒並み高くなっていた。ぼろぼろの文庫本が700円で売っている。

100円の棚で今はなき枻文庫のなんかベトナム料理の本か、ホイッスルの文庫本か(家に帰ればあるのに)どちらを買おうか迷って結局岩波文庫の『世界文学のすすめ』を買った。ブックオフでもpay系はいろいろ使える。いつの間にか、ずいぶん遠くに来たものだなと思った。小銭の時代は終わったのだ。ブックオフでさえ、と思った。

ブックオフから出ると急に非常な面倒臭さを感じ、かつ非常に急激な空腹を感じた。来た道と同じ道を帰ると発作がおきる体なので、別の道を通っていると、台湾屋台という文字が目に見えて、そしてその建物がなんとも素敵だったので入った。どう素敵かというと、なんというか、白くて、レトロな感じの、なんていうか、なんとも言えないいい建物なのである。
外みたいな中みたいな階段をのぼると、入り口が犬は入っちゃいけません用の柵みたいなものでふさがっており、やっていないのかもしれない、と静かに帰ろうとしたが、おそらく中国語付近の言語で電話をしている店主に手招きされて、その奥さんみたいなひとにいざなわれて中に入ってしまった。

誰もいない。

私だけである。ストーブが真ん中についている。店主らしきひとはなにかずっと話している。メニューを見たら、なにか肉ご飯みたいなのと、小籠包みたいなのと、あとごま団子の文字が見えたのでこれにしようと思った。私は多くものを食べられないので、これだと多いかもしれないけれど、これだれのプレッシャーの中で二品だけを頼むということは私にはできかねた。

電話を終えた店主がやってきて、私にこの土地の人間ではないな、というような質問をする。いかにも、と答えると店主はうなずいて「館林にあなたのような格好のひとはいない」と言った。

次の日が雪だと聞いていたので、私は家の中で一番あたたかいものを来てきていた。その結果、裏起毛スウェットズボン+裏起毛宇宙人白パーカー+真緑虎ワッペンカーディガンという格好をしていたのである。これがどういう評価につながったのかは分からないが、たしかに館林にこのような格好をしているひとはいなかった。我が街にだってこのような格好をしているひとはいない。

店主の真意がわからないままぼそぼそと注文をしはじめると、途中で店主が「のみもの」という、えっ飲みのも!?と思って急いでメニューをみるが、酒しかない。温かい飲み物はありますかというと、なんか台湾茶の漢字が四つ並んでいる。私はその中だとおそらく東方美人が好きなのだけれど、カフェインを飲んだら死んでしまう体になってしまったので、どうにか回避できないかと思って頼んでみたのがジャスミン茶だった。茉莉花みたいなそんな名前でしたでしょうか。そもそもこんなところにノンカフェインのお茶があるはずはない。

すると店主がなにか「ここは居酒屋」「酒が」「次」というような単語を話した。私が油断していたのと、自動モードに入っていたのと、店主の発音が曖昧なのとで、全然わかんなかったけど「ここは居酒屋なので酒を頼まないといけないのだ、今回だけは許してやるが次回から酒をたのめ」と言ったのだと私は解釈した。

コンビニでなんか買って食べればよかった。と激しく思った。しかもなんか私が注文したごま団子のせいで厨房(目と鼻の先)で店主とその奥さんらしき人が喧嘩をしている。こわい。横を見ると中華っぽい棚にサイがやたらに並んでいる。あと観葉植物と、なにか、あるな、と思った。喧嘩にどきどきしてよくわからなかった。
店主がジャスミン茶をあの台湾のおしゃれなお茶いれるやつに入れてくれて、めちゃくちゃ感動した。もしまたカフェインが接種できるようになったらあの台湾のお茶入れるやつほしいなと思った。

台湾のおしゃれなお茶いれるやつ

肉ご飯みたいなのと、小籠包と、ごまだんごが一気にきて、一息ついていると、入り口の犬は入っちゃいけませんの柵がぱっと開いて、子供が入ってきた。
店主が「いつものところね」というよなことをいい、子供は私の背後のテーブルへと座った。もうひとり子供がきて、両の親が来て、私の背後に座り、なにかなれた感じでお話をし、たくさん食べ物を頼んだので私は非常に居心地がわるかった。

頼んだものが頼んだ通りに来た。見た目と同じ味がした。

私はたったこれだけしか頼んでいないし、たったこれだけも食べられる自身んがなかった。こんなに白米だけを食べるなんて文化はないし、野菜がないというのも不安だった。野菜的なものはメニューに見当たらなかった。まず小籠包のレタスをちぎってたべた。小籠包も食べた。死ぬような気持ちになりながら、全部たべた。ごま団子、どこで食べても絶対美味しいのでありがたい。だいすき。苦しくてその他の味はよくわからなかった。

苦しみながらぜんぶ食べて、お茶も半分くらい飲んだら、なんと店主がお茶を追加してくれる。もう出ようと思っていたけれど入れてくれたお茶を満タンのまま出るわけにはいかないと思って、もうお湯が追加されないようにおしゃれな入れ物を両手でもってはなさないまま、直火に近いストーブの熱をふくらはぎに感じつつお茶を飲んだ。こんなにお茶を飲んだらまた具合が悪くなるのではないかと恐ろしかった。

よし帰るぞと思ってお会計をすませて帰ろうとすると、店主が階段までついてくる、なにか話をしなければと思い、この建物は非常に最高かっこいい、という話をしたら、建物の外にでて、ここら一帯が同じ大家の持ち物なのだ、というようなことを教えてくれる。昔は雑貨屋が立ち並び、ちょっとしたモールのような場所だったのだ、とのこと。今、その面影はなくすべての店のシャッターが降りている。

どうやって立ち去ろうか考えていると、店主がどこから来たのかという。答えると、そこには象がいるだろう、という。わたしは興奮して「そうです!象がいるんです!」と答えが、もう象は15年もまえに死んだのだった。しかし私は遠くはなれたこの土地にも私の象のことを知っている人間がいるのだということに感動した。私は象のことを考えるとみるみる膨張する自我をもっている。私は私がその象をどれだけ信望していたか、ということを店主に伝えたかった。

思い返せば「象を好きになればいい」と私に教えてくれたのも師匠であった。あのころ、いつだかどこかのエッセイに書いたのだけれど、私たちはサイゼリアで何時間も過ごしながら「犬はなぜ自殺しないのか」というようなお題目について考えながら、死ぬことばかりを考えていた。今よりも鋭く強く生きるのがつらく、つらい、という言葉はあまりそぐわないのだけれども、ともかくそんなようなことで、だから師匠は私に象を好きになればいいと言ったのだった。

象を好きになって、象のグッズをみたらそれを買うようにすれば、ささやかではあるが人生に目的ができるし、結果的に家に好きなものが増え、幸福であるような気持ちになれる、という寸法だった。師匠はそのやり方でなんの動物を好きになったといったのだったか、センザンコウ以上ミーアキャット未満くらいのネームバリューの動物だったように思う。象は有名すぎて売り物が多すぎると私が気づくのはもっと先のお話。

そんなこんなで、なんでしたっけ? そう。店主と象の話をしたかったがもう話は別のことにうつっていて、2、3のやり取りをしたあと、そろそろ退散のタイミングか? と思ったところで「あなた、なにかスポーツをやっていた?」と聞かれる。おお、見知らぬ人に言われる質問ナンバーワンのやつだ! と思いながらバレーをやっていましたと答える。それに沿った相手の言葉が返ってきて、その場はお開きとなった。店主、いいひとだった。また行くね、と約束をして、でもお酒が飲めないからな、と残念なきもちになった。

ホテルまでの帰り道、私はいままでこの「なにかスポーツやってたの?」という質問をもう5億回は聞かれているが、まぁ5億回が大げさだとしても、どんなに少なく見積もっても100回は聞かれているが(トイレに入っただけで知らん人からそう話かけられる)(そんで背が高くていいわね、わたしなんかという逆マウントを取られて申し訳なくなるのである)そうしてそう聞かれるたびに、体がでかいからってスポーツしていると思うなよ!と思うのであるが、実際スポーツをしていたので、なんならバレーだけじゃなくミニバスもやっていたので、背の高いスポーツほぼコンプリートなのであるから、スポーツしてると思うなよ!の叫びは闇に消えるだけなのであった。

けれどそのときはもうひとつ思考が進んで「スポーツしてなかったらどうするつもりなんだろう」ということを考えた。質問を受けて「いえ、なにもスポーツはしていないです」という答えた場合、そこにはただ体のでかい人間が取り残されるだけなのだ。スポーツをやっていてよかったのかもしれない、という帰結に至った。あのとき渡り廊下を渡りきって、美術部の見学に行けなくてよかったのかもしれない。美術部に入っていたら、一生この質問のあとにただ体のでかい人間が取り残されることになったのかもしれない。

そんなこんなでホテルに帰った。


夜および二日目

お気づきかどうかは分からないが、ちょっと書くのに飽きてきた。一日目を細かく書きすぎたことに原因があるように思うが、原因がわかったところで改善できるとも思えないので、すばやくよると二日目を終えるつもり。

ホテルに帰った私は有頂天だった。なんでもできる! 旅先だから作業しなくても許される(焦りはする)し、だらだらしてもいい、歌をうたってもいい、ラジオ聞いてもいい、本だって読める!となったのである。生活の中で本を読むのが苦手なので、こういう本を呼んでもいい時間、というのが訪れると大変にありがたい。

本でも読もうかな、と思ったところ、リュックにひやっとした冷たい触ったことのないものが手に触れた。


垢抜けない素材集風ショット

りんごだ。
忘れていた。私はりんごを買ったのだった。

枕辺のりんご

ぜんぜん食べたくない。
いや、ぜんぜんということもないのだけれど、ちょっとは食べたいけれども、めちゃくちゃでかいのである。片手でもつのが厳しいくらいの大きさなのである。そしてここにはナイフもなにもないのである。

とりあえずテレビをつけて、ケインコスギが爆弾魔と戦っているのを眺め、なるほどね~あのときのあれがヒントだったってわけ、と思いながら仕方がないのでりんごを齧った。

さすがに合格のりんご! この世で一番くらいに美味しいかもしれない! 
と思ったけれど、まぁ食べ物の美味しさに浸れるのはせいぜい三口までだよね、という話であり、うまいが長い果てしない作業としてのりんご齧りがはじまった。鏡がベッドの横についているので、りんごを豪快にまるかじりしながらケインコスギを見ている自分の姿を感じながらりんごを食べなくてはならない。大きすぎてぜんぜんうまく食べられない。

結局、半分はいったよね? という気持ちで三分の一くらいを食べて、冷蔵のボタンを押していない冷蔵庫に隠した。「明日食べよう!」と口にだしていった。明日は朝食がちゃんとあるのに? と思ったが気が付かないようにしてベッドに横になって、森博嗣の続きを読んだ。それからお風呂にお湯を張り、あったまって、またベッドに横に入って、寝ない、寝ないぞ、と思いながら、寝た。

とめどないレム睡眠により、この世のあらゆる苛みが自分に降りかかり続け、目が覚めたときには汗だくであった。朝だ、雪、降ってるのかもしれない、と思いながら起き上がるふりを何度かして、何度か目に起き上がって、冷蔵庫からりんごを出して、齧った。りんごである。雪は降ってなかった。

朝食は7:00くらいに行こうと決めていたので、テレビをつけて、しばらくりんごをかじっていた。すごく、おなかがいっぱいになるのですが、と思いながら、ぎりぎりまぁ完食ということでいいでしょう、というところまでりんごを齧り倒して、紙袋にいれてゴミ箱に捨てた。これをみた清掃のひとはどう思うだろう。私が清掃員だったら同僚に言っちゃうな。齧ったりんご入ってたんですよ―!って。だからどうしたという話だけど、なんとなく言いたくなる話だ。

一週間後に献血の予定があるので、りんごの前にヘム鉄を飲んでいたのだけれど、朝食へむかうエレベーターに乗っているときに果てしのない吐き気を感じ、死ぬのかもしれない、という気持ちになった。空腹で鉄を飲むのは胃弱の人間にはよくないのかもしれない。食堂のような場所にいくと「和食ですか?洋食ですか?」と聞かれるので絶対に聞き間違えられないように「洋食をお願いします」と言った。朝にごはんは一年に一回までしか食べられない。

バイキングじゃないスタイルの朝食

この左の隅にあるブロッコリーのようなもの、ひと目でカレー味なんじゃない?と思って食べたんだけど、そしてそれがあっていたのだけど、あっていたことにびっくりして結果的にカレー味にびっくりしたみたいになってしまった。私の頭の中だけの話なのにそういうことに事件性を感じて、こういうところがINFPなのだろうなと思ったりなどした。
うまいうまい。食パンうまいうまい。卵もうまいうまい。部屋はあたたかい。雪は降っていなかった。

師匠との集合は9:00だったので部屋にもどってもまだ時間に余裕がある、と思いきやそうでもなさそうな気がしたので、お風呂にお湯をはって、ラジを流しながら入った。朝お風呂に入らないと動けない体なので。ラジオのおたよりが胃もたれの話をしていた。そして最後に18歳という情報がたされた。すると「18歳で胃もたれって」「かわいそうになあ」というような話で盛り上がっていた。

私は生まれたときから油に胃もたれするたちなので、なにか釈然としない思いを抱いた。天ぷらなど食べようものなら、そのあとの人生はずっとぐったりしていなければならない。大人になり多少はましになったが、今回のうどん屋のような例もあり、肉も魚も油断はできない。食事はいつも具合との戦いなのだ。しかし、世の多くのひとはそうではない。わたしも生まれたときから胃もたれしているので、はげましてほしい、とラジオに念じた。

というようなことをやっていたらホテルを出る時間だった。充実したホテル生活。外にでると、なんと雪が降っていた!
雪だ、雪だ、雪だ、雪、と言いながら歩く。なんと雪が降っている。歩く。まさか、雪が降るとは。雪が降っている。
雪が降っている、ということ以外なにも考えられなかった。

師匠と合流して、師匠のおうちでまた遊んでもらった。基本的には雪が降っているという感情が私達をとりまいていた。師匠のお子さんは、最後のあたりにはちょっと慣れてくれていたように思う。近くに寄って、私に持たれかかってくれたので私は嬉しかった。

すこし遊んで、近所のココスに言って、ご飯を食べた。トマトのパスタみたいなのを頼んだら辛かった。食事はね、本当に戦いだから。でも楽しくご飯ができたので無問題である。とても楽しかった。ココスにひさしぶりに行けたのが良かった。ココスはたのしい。完全に師匠に奢ってもらった。

私のほうが二個も年上なのに、毎回師匠に奢ってもらっている。わたしも一廉の人間になって、師匠においしいものを食べてもらいたいが、奢られ慣れすぎていて、うまくおごれるかわからない。

外を見ると雪が降っているし、外に出るとやっぱり雪が降っている。私も師匠も、何度も何度でも「雪だ」と雪に対しての感想を漏らしてしまう。だって雪が降っているから。

もう完全に吹雪で、気色は雪国であった。電車が止まってもあれだからと思い、そのまま早めに解散した。次はあたたかくなったあたりに沼などに行きたいという話をして、未来への光が見えて嬉しかった。

電車の接続が悪くて、途中なぞの時間ができたので、スタバに入った。スタバに行くことはほぼないので、なにもよくわからない。あんバターみたいなものを食べたいなと思って、なんか重いかな?と直前で思って、チョコレートデニッシュに変えたら、チョコが苦かった。あんバターにすればよかった、と思いながら、雪が降っているので「雪だ」と思い電車を待った。

そんなこんなで、もう1万文字も書いてしまったので、ここらで終わりにしたいと思います。毎度毎度ちょっと長すぎるよね。ごめんね。ここまで読んでくれている人がいたらありがとう! 次回もよろしく。たのんだよ。


最後にあったたぬき。ぽんちゃん。

それじゃまたね!