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#ヨーグルトのある食卓 

 私の住んでいる地域の子供は、遠足で同じ山に少なくとも三回は登る。小学校の時に二回、中学校の時に一回。一度目は手前の山のてっぺんまでで、二、三度目はその向こう側の山まで登る。これは同じルートである。意味がわからない。

 その一度目のちいさい方の山のてっぺんでの出来事である。

 私はおべんとうの大学芋を、最後まで大事に大切に残していた。水飴的なものがちょっとかたまって、じょりじょりしている所を食べるのがとても楽しみだった。その大学芋には、じょりじょりしている所がとても多そうだったのだ。

 その大学芋を盗っていった人間のことをいつまでも覚えている。

「あー! のこしてるー! 食べてあげるよー!」

 と言って、そいつは私が大事に大切に取っていた大学芋を太い指でつかみ取り、口に放りこんで走り去った。きっと大して咀嚼をせずに飲み込んだのだろう。私の楽しむはずだったじょりじょりの部分をひと飲みで。

 この憎しみについて、語ろうと思えば三万文字くらいは語ることが出来るが、これは「 #ヨーグルトのある食卓 」についてのエッセイなのでやめる。

 以来、私は好物を最後まで残すことをやめた。

 食べ物は順番が重要だ。いつ盗人が現われるか分からないし、実際、人間はいつ死んでしまうか分からない。だからみなさんも食べる順番についてはよくよく考えておくべきだ。

 たとえば樽に入っているような寿司を食べるとき、何から食べるか。

 私はその一件があってから、ベストなものの食べ方を考え続けている。そして寿司の場合の回答はこうだ。

 まず、一番好きなイクラを食べる。これはすぐに食べる。目の前にイクラがあるのに、口に出来ずに死んだら幽霊になってしまう。だから世の為にイクラから食べる。

 そして二つ目からは一番嫌いなものから順番に食べて行く。
 一番嫌いなもの、二番目に嫌いなもの、三番目に嫌いな物。こんな風にして食べていくと、最後には二番目に好きなものが残るという寸法だ。

 正直、二番目に好きなものは、一番目に好きなものとそんなに差がないので、好きなものを残しておく、という本来の私の性質も保たれるというわけだ。大好きないくらは食べたわけだから、その後はいつ殺されても死んでも、それが理由で幽霊にはなることはない。

 斯様にして、食べ物を食べる順番というのは大変に重要なのだ。

 そこで今回は、明治ブルガリアヨーグルトのベストな食べ方をおすすめしようと思う。そう、これは「 #ヨーグルトのある食卓 」についてのエッセイなのだ。ちょっと前起きが長いのはいつものことだ。

 我が家は朝食はパンと決まっていて、大体は卵料理とちょっとした野菜を食べて朝食が終わる。そう毎度デザートがあるわけではなく、だからデザートがつく日は特別に「よい日」なのだ。

 我が家の朝食のデザートは二種類ある。

 一つはグレープフルーツを半分にして上に砂糖をかけたやつ。正式名称はたぶん「グレープフルーツを半分にして上に砂糖をかけたものをギザギザのスプーンで食べるやつ」だろう。長いので省略したが今書いたので意味がなかった。

 そしてもう一つは、おわかりだろうが明治ブルガリアヨーグルトである。

 今ではもう添付されていないが、明治ブルガリアヨーグルトがわれわれに与えてくれたあの白い溶ける砂糖は、一生の宝物だ。その出会いこそが。なんかよいしょしている感がいなめないが、これは本当に、だって、あの溶ける砂糖とヨーグルトの出会いって結構奇跡でしょ? ねえ。

「ヨーグルト 砂糖」で検索をかけたら顆粒状糖、フロストシュガーというらしい。私は今でも「ヨーグルトの砂糖」と認識している。

 というわけで、この砂糖ありきの食べ方をおすすめするが、ヨーグルトは蜂蜜をかけても美味しいよね。

 さて、まずヨーグルトは白いボール的な皿に入れることが好ましい。

 それ以外に何に入れるのだろうと書いてから思ったが、まぁお洒落な青い皿とかにいれるのかもしれない。別にそれでもいいかもしれない。入れ物はなんでもよかったかも。むしろ入れ物に移さずに、そのまま豪快に食べるのもとてもオツだ。

 で、入れ物にいれたらまず、ヨーグルト水を飲みます。

 あの上澄みのところ。あれを最初に飲みます。これは今からヨーグルトを食べるぞ、そいう気持ちの表れで、一種の儀式です。

 そのあとにあの砂糖をかけます。

 たくさんかけると、お姉ちゃんに怒られるので、怒られない範囲のぎりぎりでたくさんかけます。ここでの注意は、最初は適当にかける、ということです。適当にかけて、ちょっと山になったところを、スプーンのお尻? 背面? あの膨らんでるところで、小さな円にするようにすりすりして整えます。

 小さな円というところもポイントです。

 決してまんべんなくヨーグルトにつけようと思ってはいけません。あの砂糖は貴重なので、欲張ると自分の首を絞めます。お姉ちゃんの分の砂糖をかけようだなんて考えてはいけません。死。

 さて、そうすると白いボール的な皿の中には、純粋なヨーグルトの部分と、砂糖のかかっている部分が出来ます。

 ここでようやく一口目です。その前に、ちょっとだけ素の砂糖をなめます。これも儀式。なるほどね、君はおいしいね、と思いましょう。

 ここまで来たら、もう段階は三つくらいしかありません。すなわち、長い一口目と、最後の一口、そして仕上げの一口です。

 長い一口目というのはちょっと意味が分からないかもしれませんが「ただ長い〇〇」という表現を使いたかっただけなので、あまり気にしないでください。一口目と同じ二口目、そして三口目、ということです。

 スプーンの上に、砂糖が掛かっているとところと掛かっていないところの割合が、2対8くらいになるようにヨーグルトを掬いましょう。結構慎重な作業です。

 で、重要なのは食べ方です。

 出来るだけそのまま口の中に放り込みます。その形のまま放り込むのです。これもただの儀式です。一口目をそうすることで、なんだか貴重なものを食べているぞ、という気分が高まります。そこからは自由です。

 2対8の割合で、あのじょりっとした甘いところと、ヨーグルト独特の酸っぱさが口の中に広がって、とてもよい気持ちになります。掛けたばかりの砂糖はまだじょりじょり感が強く、そこがまた美味しいです。

 前述したとおり、あとは長い一口目を続けます。これは、円になるように食べていきましょう。すなわち、完全に砂糖がかかっている円の中心を残すように食べるのです。最後の一口の未来が見えてきましたか? その未来を思いを馳せながら、食べ続けましょう。ヨーグルトは美味しいですね。

 白い小さな円が残りましたか?

 砂糖がまんべんなく掛かっていますね。この時にはもう、ヨーグルトは三層になっています。すなわち、素のヨーグルトの部分と、まだじょりじょりしている砂糖の部分と、その間の砂糖とヨーグルトが完全に一体となっている層です。

 ここまで来たら、もう自由です。一口で食べるのもいいですし、そこをまたちみちみと食べるのもまた良いものです。もちろん、ここまでやっておきながら、全部混ぜて食べたっていいんです。甘いヨーグルトも美味しいからね。

 食べ終わったら、感謝しましょう。

 あなたは、盗人にヨーグルトを盗まれることなく、食べきったのです。これはとても幸福なことで、いろんな奇跡が重なったから訪れた瞬間なのです。

 私はあの盗人のことを一生許しません。

 それにしても、朝食のデザートにヨーグルトが出たときの気持ちは、ちょっと今ではなかなか感じることが出来ないものだ。大人になったら、結構自分で好きなように食べられちゃうし。お砂糖もかけほうだい。

 だからこそ、あの時に食べていたものを食べると、なんだかちょっと特別な感じがする。私の場合は、明治ブルガリアヨーグルトを食べると、あの「グレープフルーツを半分にして上に砂糖をかけたものをギザギザのスプーンで食べるやつ」も一緒に思い出すわけだ。一緒に食べたことないのに。それもまた楽しい。

 やはり幸福な食事は、私の人生にとって、とっても重要なものです。ヨーグルトに限らずですが、これからもそういう食事が出来たらいいな、なんて思いながら、このエッセイを終わりにしようかと思います。

  以上、読んで頂いた方ありがとう! 美味しい物を美味しく食べてね!


 おしまい。