すべての群れの客である

大地から5センチくらい浮きながら文章を書くよ!

私は嵐になりたい少年だった

 少年という言葉には本来男女の区別がないのだと知ったとき、私は確かにまだ少年だった。

 実際、自分が少年であることに疑いを持ったことがなかった。ただの年若き人間であって、女の子なのにチャンバラが好きなのは変だとか、女の子は赤いランドセルを背負わなきゃいけないのだとか、男の子とばかり遊ぶなんてとか、とかとか。

 憤りは感じていたけれど、そんなものは関係なかった。

 私は事実少年だったのだ。木登りが上手かったし、どこまででも走っていけた(もっともこの特性は交通事故で失ったが)ある程度の怪我をすることが誇らしかったし、怖がったり寒がったりすることは、とても恥ずかしいことだと思っていた。

 もちろん、それ自体が偏見ではあるのだけれど。

 それでも私は少年だった。

 世界で一番幸せで、全てに対して無敵で、毎日が祝祭のようだった。なにもかも十全だったし、生きるということは、ただ単に私が生きているということだけだったのだ。そして生きることが好きだった。

 けれど変化は常に外側から訪れて、事件は内側から起きる。 

 私は自分が女であるということを知ってはいたが、自分が女になるなんてことは、想像もしたことがなかった。それは胸が膨らむとか、初潮が来るとか、そういう避けられない外的(あるいは内的)な事件もそうだけれど、それ以上に心情の変化として。

 どんなことがあっても、自分でいられると思っていたのだ。

 けれど、そんなことはどんなに人間にも不可能で、たぶんその変化をこそ人は「大人になる」と呼ぶのだろう。昔の人間が12歳とかで結婚していたことは、全く正しいと思う。
 第二次性徴期の後では、別の人間にならざるを得ないのだから。

 祝祭は呪いに変わってしまった。

 体が丸くなった。重くなった。脳が膿んだみたいに何も考えられなくて、獸のように唸りたくなったり、ほんのちょっとのことで噛みつきたくなる時期が、月に一回、10日くらい、それを年に十二回、もしかしたらそれ以上、ほとんど永遠とも思えるあいだ続けなければならない。

 今考えるだけでもこんなに恐ろしいのに、そりゃあうら若き当時の自分がそれに耐えられるはずはない。もともと繊細ちゃんの才能はあったのだし。

 それでなぜかいつの間にか、女の子たちの輪の中にいた。いつまでも男の子と遊んでいるわけにはいかなかったのだ。わたしは女の子になったので、それは当たり前のことだ。

 人間生活を営む上で、集団に所属する必要がある、またそれが時に有用であることを学んだ。実際に心の変化も起きていて、あれだけ嫌だった「連れだってトイレに行くやつ」だって出来るようになった。

 そうして、当時の小学校高学年の女の子の中では、ジャーニーズJrというものが流行っていた。

 そう。この記事は嵐の話をするために書いたのだ。いわゆるジャニーズJrの黄金期というやつである。その真っ最中。

 この中だったら誰が好き? という話題は、その後の人生であと500回くらい訪れることになるが、はじめの一歩のことだけは、いつまでも覚えている。

 流行に触れたのもその時が初めてだったのだ。それまで、ダンゴムシが現われたらダンゴムシを、クワガタが現われたらクワガタを、蜻蛉が現われたら蜻蛉を捕まえていた。道端に蛙が潰れて死んでいたらそれはラッキーなことで、つまり自然は流行とは縁が遠い。

 それで、慌ててこれかな?というのを選んだ。この「これかな?」というのは、ほとんど勘だったのだけれど、動物の勘というのは信じるに値するとても素晴らしいものだと思う。

 長じて判明するわけだが、私は女の子みたいな顔付きの男の子が好きだ。便宜上「女の子」というが、造形として女の子に多くある感じというか、だから普通に「可愛い」が好きなのだ。老若男女万事「可愛い」が最強なのだ。

 あの時「これかな?」と言って指した子は、その頃はちゃめちゃ可愛い女の子みたいな顔をしていて実際、外国人に女の子に間違われていたりした。この時点でなるほどね、彼が好きなのね、と思う人もいるだろう。そうなんだよ。てへぺろ

 結局私は、女の子たちの流行にどっぷりはまった。熱中。熱狂。そういうような言葉で表して良いだろうと思う。あるいは狂騒とか。

 バックダンサーとして数秒しか映らない歌番組をビデオがすり切れるまで(本当にすり切れる)見た。お金がないので雑誌は友達と被らないようにどれか一つを買って、互いの好きな人の記事は切り抜いてあげた。その代わり、他の子が買っている雑誌で、私の好きな子が出てたら切り抜きがもらえる。

 近所の駄菓子屋にも流行が来ていて、今考えると、どう考えても非公式だろ? みたいな生写真を引くために足繁く通った。うちわに下敷きも(当時はあまりクリアファイルという概念がなかったように思う)いま考えると、それもどう見たって盗み取りの商品だった。申し訳ない。

 けれど、みんなが「かっこいー!」とか言ってキャーキャーしていた頃、もちろん私も時々はそんな気持ちになったし、基本的には「可愛い!」「格好いい!」と大声で騒ぎ立てていたのだけれど、どちからかというと愛でたいという気持ちより、なりたいという気持ちの方が強かった。

 私の好きな子が斜めに駆けるカバンを左肩に掛けていたので、それまで右肩に駆けていたのですぐに真似た。髪型もちょっとした仕草なんかも。

 私は、彼らになりたかったのだ。

 私の好きな子には「シンメ」なるジャニーズの伝統的尊いあれが存在していて、シンメトリーな彼らはいつも二人できゃっきゃと遊んでいた。銭湯に行ったり、ボーリングに行ったり、遊びの約束をしていたのに相手が寝ていて待ちぼうけたり、大好きな野球をしたり。

 私は彼らになりたかった。それは少年でいたかったという気持ちと同根であるように思う。彼らのように生きたかったが、私にはそれが出来なかった。

 何より、私は彼らが女の子を幸せにしていることが羨ましかった。もちろん、アイドルが救う対象に老若男女は関係ない。というより、世の中の物事の全ては、本当は老若男女など関係ないのだ。これはそうあって欲しいという願いも込めて。

 けれど、それでも私は女の子を幸せにしたかった。女の子を救いたかった。

 一瞬間でいいから、出来るだけ多くの女の子に「幸せだ」と思わせたかった。

 アイドルを虚像だと笑い貶める人がいる。裏では何してるか分らないとか、恋人がいるに決まってるとか、まがいものに熱を上げて馬鹿みたいだとか、まっすぐにこちらに向けて言ってくる人が結構沢山いる。

 けれど一体、どうしてそんなことを理解していないと思うのだろう?
 アイドルは虚像だ。全くの幻だ。作り物だ。けれどそれらは、彼らの実在と、努力と、私たちの夢と希望で作り上げた幻なのだ。

 作り物の美しさを知らない人間がいるだろうか?

 もしかしたらいるかもしれない。けれど、多くの人は知っているだろうと思う。人間の作るものは時々、信じられないほど美しい。本当に、神性を持つほどに美しい。

 彼らは実在する人間なので、草野球チームを組んで楽しんだり、もう35歳とかなのに正月に二人だけでカルタをやったり、いつまでも犬っころみたいに遊んでいるだけじゃないだろう。大人だから、大人なりの何か、嫌なこととか、恐ろしいこととかが、あるだろう。

 ましてやアイドルをやっていれば人一倍、いや五百倍くらいはそういうことがあるかもしれない。

 それなのに、彼らは、私のなれなかった、なりたかった未来を懸命に作り出して見せてくれているのだ。作りものは、当然のこととして、作り手がいなければ成立しない。もちろん受け手も。

 アイドルは私たちの絶望から生まれる希望であって、夢から生まれる現実でもある。彼らはそこにいて、私たちは彼らがいることを知っている。そうやって作り上げた幻なのだ。

 私は嵐になりたかった。なんならずっと嵐になれると思っていた。でもどうも無理らしいと最近ちょっと思い始めた。別の形で何者かになるしかないのだ。

 ずっと自分のなりたい人間になれずに辛い日々だけれど、嵐がいるから平気だ。嵐という存在がいつも救ってくれたという過去があるから、これからだって平気だ。本当はとても怖いけれど。でも感謝を込めて絶対に平気だと言いたい。

 私は、嵐になりたかった少年時代を救いに思っている。


 さてさて。

 ここでは映画とか本とかの話をするよ、みたいなことを言っていて突然つらつらとこんなことを書いてしまったのには訳がある。

 私は20年以上そんな感じで嵐を応援しているけれど(ほとんどグループ担当である)一度もライブに行ったことはない。

 それは幼いころには単純に金額と年齢の問題があり、少し成長してからは自意識の問題があり(手を上げるということだけで多汗する人間だった)長じてはパニック障害やらなんやらで、外に出られなかったから、ということがあげられる。

 実際には、そういう様々な要因により、ライブに行くことで、私の中の嵐という存在に傷をつけたくなかったから、というのが一番の理由だ。

 死のう!と元気よく思うことも、死ななくてはならないと真剣に思うことも、もはや死に走っている時も多々ある人生だった。

 それでも未だに調子が良いときは「人生! 最高! 生きる! 嬉しい!」みたいな感じでいられるのは、確実に嵐がいたからで、私は文章を書くことを抜かしたら人生で続けてきたことが嵐しかない。だから絶対に傷つけたくなかった。

 けれど、最近はすこぶる調子がよく、もしかしたら会える最後のチャンスかもしれず、絶対に傷などつかないということにやっと気がつけたので、このたびライブに申し込んだのだ。

 嵐のことを一緒に喋れる素敵な子に出会えたことも大きい。嵐最高だね、永遠にここにいたいねー!と話していられるのはとても嬉しい。

 もう一つ某MJが「特効とかびっくりさせなくても、今の時代は演出で人を感動させられると思って(要約)」というようなことを言ってくれていて、本当にもう心底ついていきます!って感じで元気が出た。

 で、ライブに行ったことがなかったので知らなかったのだけれど、知らなくてもそれ以外考えようもないのだけれど、チケット申し込みの第四希望に「いつでもどこでもよい」みたいなやつがあったのだ。

 なんかその方があたるのかな? と思って申し込んだ。

 札幌が当たった。

 「いつでもどこでもよい」というのは「いつでもどこでもよい」という意味だったのだ。知っていたけれど知らなかった。私は関東圏に住んでいて、飛行機に乗れない。鈍行の電車でも酔うからだ。あと閉所恐怖。

 けれど、乗る。

 この身朽ち果てようとも飛行機に乗り、札幌に降り立ち嵐のライブに行く。みんなチケットを取る前にお宿や航空券を取っているということを知らなかったので、謎のマエノリータだから(当日だと行きの飛行機代だけで5,6万だった)行った日は最悪部屋で酔い震えていればよい。

 けれど、どんなことが起るか分らないので、気持ちをしたためておいたというわけだ。とても幸福だったということをどこかに残して起きたかった。とても良い人生だった。もしかしたらこれからもっと良くなるかもしれない。

 旅行とかそんなにしない子+しても誰かに任せっきりな末っ子×2の旅なので、最悪空港でTHE ENDという可能性もあるけれど。なんとかやりきってみせるよ。帰ってきたら、また何か書くね。

 本当に嵐が一緒の時間に生きているのかな? 本当かな! どうしよう!きゃー! 楽しみだね超超だね!

 それでは、明日の早朝に出るので今日はもう眠ります。行ってくるね。おやすみなさい。