すべての群れの客である

大地から5センチくらい浮きながら文章を書くよ!

2020年とはなんだったのか考える暇がまったくない

 

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いつか書こうと思っていたし、今現在もいつか書かなきゃなと思っている。でも全然書ける気がしない。もう大晦日だ。

2020年。

あと何回思い出すと思う? 人生が終わるまでに。
思い出さないかもしれない。夢の回として処理するかもしれない。実際、夢の中みたいだった。全然走れない感じしたし。私は夢の中だと四つ足でしか走れない。四つ足で走るのは人間にはすごく辛い。指の爪の中が土でうまるし、息がうまく吐けないし、何もかも苦しい。

2020年は四つ足の年だった。

個人的には他の年と比べて何かが大きく変わったという肉感はない。もちろんあらゆることが変わってはいるのだけれども、それは変質というより、変形に近いので、本来的な変化とは全然わけが違うし、これを変わると言っていいのか? という疑問が常にある。

変わってしまったのではなく、変わらせられた。

外部からの大きな力によって歪められたり、押しつぶされたりして、なにもかもずっと歪んでいた一年だった。

個人として、このいわゆるコロナ禍でひどく困ったことというのはほとんど存在していない。それは元々困りきっていたからということもある。だからこそ毎日毎日強く思い知らされてきた。人間としての立場というか、存在している場所のこととか。

私は結構かなり相当いい年でバイトをしているので、どんなときにも前線でいるわけで、例の休業のときも休業がなかったし(名目上は自由出勤だったが)がらがらの電車に乗って、去年となんら変わることなく仕事をしていた。

どんな事態になっても、真っ先に割を食うのが前線の人間であるのはあたり前で、バイトをしていればそんな場面は一分一秒とある。

それは些末なことだ。とても些末なこと。

たとえは組織の上だか真ん中だかしらないけれど、会議してなんらかのキャンペーンをやるということになったとして(シールを集めてエコバックをもらおうとか?)最初から穴のない完璧な計画を立てるのは不可能だし、実行されたものをチェックして調整して直すのが彼らのまっとうな仕事なのだから、そこに問題はない。

で、われわれは計画する方ではなく、実行する側の仕事を選んだ(もしくはそれしか選べなかった)のだから、やってみないと分からない部分をやってみてだめだったとき、直接、不満や怒りを受けるのは致し方ない。

全然普通のこと。当たり前のこと。

でも不満とか怒りとかいう言葉の具体をちょっと想像してみてほしいのだけれど、全然、普通に相当耐え難い。それが仕事だと言われても、自らが望んで行ったのでなく、忠実に計画されたことを実行し、正しく仕事をしているだけなのに、耳元で大きな声で否定される(人格まで)というのは耐え難い。

でも、本当にそれは毎日ある。お前はだめだとか、日本語が分からないのかとか、許さないとか、普通に言われる。

それはでも、そういう仕事しかできないのだから仕方がない。そういう仕事だから仕方がない。と、ずっと思っていた。

それが、今年はもう全然耐えられなかった。

緊急事態宣言が出たころ。まだ世間がほとんど感染症に対しての慣れがなく、楽観でさえ大いなる恐怖の上に成り立っていたようなとき。家にいましょう、外に出ないでください、密になるのを避けましょう、という言葉が今よりもっと鋭敏に世間に流れていたあたり。

われわれは働いていた。

今まで見たことのない行列の長さ、今まで見たことのないほどの過密さ、今まで見たことのない客層の人たち。あらゆるものが過剰だった。

大した対策もされていない現場で、なぜ店を開くのだという苦情と、どうしてもっと長い時間店を開かないのだという苦情と、人が多すぎるという苦情と、アルコール消毒が置いてないという苦情と、家族づれで来ている人間に注意をしろという苦情の合間に、平時に受ける苦情を受け、毎日働いていた。

外部からの強い力により生活、あるいは人生を圧縮され、利用する側も働いている側も本当に過剰だった。

繊細な人はより繊細だったし、無頓着な人はより無頓着だったし、関心も無関心も、誠実さや卑怯さ億劫さ、ともかく、ありとあらゆる性質が本来の比率を超えていたように思う。だから、平時に耐えていたちょっとした苛つきや悲しみが、全然耐えられなくなった。

今もそれは続いている。

コロナ以前と以後で、変わったことというのは何もなく、以前からあった問題が、端的に言えば、人間としての立場の弱さがより克明になったために、考えないようにするということができなくなったというのが現状だろうと思う。

独立できず心身が不健康で低収入で、才能もなく現状を打破する気力も能力もないという自分の立場が、今回のことで浮き彫りになった。身に迫った。自分のやってきたこと、現状が、訴えかけてくるものが大きかった。

だって、本当に意味が分からなかったんだよ。

緊急事態宣言が出たとき、多くの人が休業をしている様子があって、実際電車はがらがらだったし、ツイッター見てても家にいる人多かったし、何人か働いている人もいたけれどそれは少数で、あの頃はまだ、かかったら即死のウイルスくらいのイメージがあったから、なんでそんな命を危険にさらしてまで、他人の不満を浴びながら、あぶく銭程度の給料で働かなきゃいけないのか、医療従事者でもないから世間様に感謝されることもほぼなく、感謝されたところで自分たちは誰一人働きたくなどないからねぎらいに対しても怒りしか沸かず、そもそも自分たちが外に出て動いていることが罪なのではないかという意識もあったし、でも組織の偉い人は誇りだか使命だか知らない何の役にも立たない言葉だけペラ一の紙で送りつけてくるし、三密だし、マスクもないし、ないのにしないと働かせられないとかいうし、みんな嫌だ本当に嫌だ帰りたいと言いながらにこにこしたり、頭下げたりして、本当に、本当に本当に意味が分からなかった。人権がない。こんな生活は嫌だ。私たちには人権がない、ってあのころ一日に三回は言った。みんな笑ってた。笑う以外になにもできない。

でも、そんな生活しかできないから続けるしかない。

で、続けている。

今ではかなり世間の雰囲気が落ち着いていて、落ち着くというか「こわいねー」が時候の挨拶みたいになっていて、緊急事態ということがもう平時に組み込まれているから、もうほとんど日常を過ごしている。

でも、浮き彫りになった自分の立場を忘れることは難しい。私たちは有事に最初に切り捨てられる駒だ。知ってたけど。最初から知ってたけれど、実際に切り捨てられる経験をしてしまったあとでは、言葉が具体をもってしまった。

切り捨てられたときの感覚。社会的に価値がないという事実の、身体的な感覚。で、残ったのは楽観だけ。

これは自分の性質によるのだろうけど、悲劇的喜劇というか、チェーホフの戯曲みたいにどうしようもなくて、あまりにどうしようもないので、笑ってしまうみたいな、そんな気持ちで生きている。

 この一年、何かした? って聞かれたら、いつもと同じようにいつもと同じことをしていたという答えになる。公募は3つ出せた。私にしてはものすごい多い。よく頑張ったと思う。

ていうか、こんなことを書いている暇は本当にないのだ。2020年がどうだろうと、ここまでちょっと真剣風に書いてみたけれど、そんなの正味どうでもいい。まじで心底どうでもいい。

実生活なんてどうでもいいんだ。2020年が終わるんだ。つまり嵐が休止する。コロナがどうとかこうとか、どうでもいいんだわ。嵐が休止するんだわ。あと何時間かで。どういうことだか分かる?

ぜんぜんわかんない! 2年近く真剣に考えたけど全然わからない。全然わからないなりに2年かけて真剣に考えたことをどうにかまとめようと思ったけれど、それをする暇もないくらいにどうすればいいか分からない。

未来に対する希望と絶望の情緒の波が2年をかけて、切り替わりの時間が短くなってきて、昨日一昨日あたりは、あまりにも秒単位で入れ替わるのでエラーが入って何も起きてないのに「え?」て声がすごく出た。毎秒「え?」ってなる。え?

21年間それ以前を加えたら23年? 数字がわからないからわからないけれど、それだけの間、いつでもすぐそばにいた、特に後半は、もう死ぬしかないのではみたいな孤独と劣等感に苛まれたときも、広告でいつも励ましてくれた嵐がいない生活がもうすぐ訪れる。それはさ、死ぬということよりももっと強い何かなんだよ。

あー!!!!!! 私には時間がない! 時間がないのに何もできない!

人生、なんなんだろう人生って。本当に。人生というのはなんですか? 私には分からない。

正直、私はまだ嵐が世間に認められていることにも心の準備ができていないのですよ。2008年あたりからずっと「本当に?」と思っているしそれからずっと「本当に?」が加速し、さまざまな「本当に?」が訪れ、今マジで本当の本当に「本当に?」と思っている。

夢なんじゃないかな。なにもかも。私たちは夢を見ていた。夢が終わる。

たぶんこれは正しくて、嵐というのは私にとって夢だったので、夢が終われば現実に帰らなくてはいけなくて、現実に帰って何が訪れるかって、あの人権のない日々なわけで。

人権がなくても夢があるから生きてこられたんだけれど、もう夢は覚めたので、人権のなさと向き合わなければいけない。

内弁慶の繊細サブカル男子たちが、こんなところまで来て、世間に認められて、本当に夢のようだった。私はいつだか誰かに「よく生きていられますね」と言われたことがあるけれど、私が生きていられるのは嵐が夢を見させてくれたからで、それが具体的にどういう夢かと言うと、人間の可能性の夢だった。

人間は人間に優しくできるし、人間は人間を信じることができるし、人間は人間を敬うことができる。人間は人間と生きていける。

本当に夢みたい。ずっと夢みたいだった。

夢が終わったあと、何ができるか、どうやって生きていくのか、まだ何も考えられない。いつになったら考えられるのかも分からない。

ずっとモラトリアム人間をやってきたけれど、いよいよ本当に、夢を見ていられる場合ではなくなってきた。それでも夢を見続けるという飛び抜けた覚悟をするのか、現実と折り合いをつけていくのか、本当に考えなくちゃいけないな。才能が欲しい。

まぁ、先のことは先で考えます。実際、本当に今のわたしは今夜で死ぬので、別人になることだけは確か。夢を見ていたという過去というのはもちろん宝物だけれど、宝物ながめているだけで生きていけるのは貴族だけですからね。私は貴族ではないし。

いろいろ振り返ることができなかったのは、本当に残念。不安でそんな暇がなかった。とりあえず2020年の大晦日をこれから過ごしたいと思います。

だいぶ諦観が強くなっており、気持ちは落ち着いています。時間が過ぎていくということだけが強烈にわかる。それ以外、何も分からない。

2020年の私からは以上です。