すべての群れの客である

大地から5センチくらい浮きながら文章を書くよ!

とっても楽しい手術への道

 え、なんかnoteのエディタが変わったとかでめちゃくちゃ醜いフォントになっているんですがこれは、いったい、どうすれば。

 二行で解決した、ありがとうぐーぐる先生!

 さてさて、前回の続きを早くも書きます。というのも手術前の記録をしようと思って書き始めたのに全然書かなかったのでもう手術が明後日にせまっているからであり、明日は普通にバイトなので今日書かないと一生書かない。

 手術決定までの流れは以下を参照されたし!

https://note.com/eleinutiger/n/naefcbd6fbd1f

 というわけで、どういうことになったかというと、かくかくしかじかで、大学病院で手術をするのでまずは手術の日を決めるために一度大学病院に来てください! ってことで行った。

 大学病院は絶妙にうちから遠い場所にあり、絶妙に乗り換えも面倒くさく、トータルで考えると一時間半くらいかかる。そして私は某私鉄に乗ると酔うのでできればJRで行きたかったが、どんな条件でやっても某私鉄で行けとしか出ないので某私鉄に乗った。酔った。

 だから嫌なんだよ!!!!

と思いながら、ふらふらしてバスを探し、全然別のバス停の前でこれだと思ってベンチに座り、全然違うバスが来たので「そうか」と思い別のバス停を探した。

 なんやかんやでバスに乗れて、そこから10分くらいで大学病院らしい場所へ着いた。本当か??? と思った。東京だってこんなでかいビルはなかろうよ、と思ったが東京は土地にぎゅうぎゅうづめに建物が詰まっているから横にはそんなにでかくできないのかもしれない。

 私の知っている病院と違う。大企業が134個くらい入ってそうな横にも縦にもでかい、ともかくでかい病院であった。入り口もめちゃでかいし、人間が次から次へと吸い込まれていく。まだ朝の9時台だというのに、なんということでしょう。

 受付がもう飛行機に乗るやつくらいの手厚さがある。し、まじで人間が次から次へと。みんなみんな病気なのか? そうか。そうだよな。そういうことってあるよね! と思って私の先生が私の先生に向けて書いた紹介状を受付の人に渡した。本人が見るのでも紹介状が必要なんだなぁと思って面白かった。

 で、受付の優しいキリキリと働くお姉さんが「お前のカードはこれだ!」つって格好いいカードを渡してくれて「これを婦人科の機械に通せ。さすれば道は開かれん」みたいなことを言うので「まじか、勇者じゃん!」と思って意気揚々とエスカレーターをめっちゃ上った。まじ横にも縦にもでかい。

 四階でカードを通すとすべて理解した婦人科の受付の人が用紙を渡してきて「ここに汝のステータスを記せ。さもなくば道は開かれん」みたいなことを言うので「まじで! 勇者じゃん!」と思いながら血圧を測ったりなどした。

 ステータスカードは永遠に苦手なので、永遠に何を聞かれてもなにもわからん。小さいころの手術のことなんかわからんし、ワクチンいつ打ったのかなんてわからんし、なんなら今日が何月かだってわからん。まだ9時だし。

 いろいろあやふやにステータスを記して、受付の人にそれを私返すまでに5人くらいが待っていて、これが大学病院か、と思った。やっと私の番が来て「(これが私のステータスである)」と目線で伝えると、受付の人が頷き勇者の証を差し出せよというので保険証を見せてやった。保険証は光にさらされ戻ってきた。受付の人が「冒険ははじめてか?」と聞いてくるので「はじめてである」と答えた。すると宝の地図のようなものをくれた。

 曰く、まず地下に降りて勇者がやってきたことを伝えまだその時ではないので来訪を伝えたらすぐに三階に上がる。そこでまた勇者の来訪を伝える。ここでもまだその時ではないので、来訪を伝えたらすぐに二階に降りる。ここで肺の討伐的なことをし、しかしまだ心臓の討伐を行うレベルには達していないのでまた三階に上がる。肺の討伐によりレベルが上がっているはずなので次はそこでX線と戦う。しかしX線との戦いではまだ心臓のレベルには達していないので今度は一階に向かいそこで血液と戦う。血液との戦いが終わればやっと心臓との戦いに出られるのでやっと地下に向かう。

 「おっけー!」と答えたが正直全然何を言っているかわからなかった。が、宝の地図に丁寧に番号がつけられており。なるほど、これがホスピタリティーか、と思い冒険に向かった。

 肺の検査と言われても何がなんだか分からない。なにをどう検査するのだろうと思って待っていると、割りとすぐに時間が来た。入ると元気に「おはようございます!」と言われる。並大抵の病院の声量ではない。これはただものではない。声量だけでいえばもうこれは世界崩壊前のボスレベル。警戒しながらもぞもぞ挨拶をすると、椅子に座れと言われる。

 顔を盗み見ると、体操のお兄さんと歌のお兄さんを足して徹夜明けの建築系の大学院生を足して体操のお兄さんと歌のお兄さんを引いたような顔をしたお兄さんがにこにこしていた。

「はい、じゃあこの画面をみてください」

 言われるので画面を見ると、WindowsMEか?というような様相のイルカがかくかく動いている。すごい。大丈夫なのかこれは最新か? と思っていると「イルカがいるの分かりますか?」とお兄さんが言う。

「はい。かわいいですね」
 というとお兄さんは満足そうに笑った。
「ありがとうございます。じゃあこれを持って、この線見えます? この線が」

 とお兄さんが笛的なものを渡してきて、それを咥え、自然に息をすることで画面上の線がゆるい円を描くので、しばらくその自然な円を描き、合図をしたら思い切り息を吹きかけてくれ、というようなことを説明しはじめた。

「(えっイルカは!?!?)」

 と私は混乱した。イルカはただ画面の右上をかくかく泳いでいるだけだった。私にはイルカがなんの働きをしているのかよくわからなかった。それに気をとられていると、お兄さんが至近距離で腹式呼吸でめちゃいい発声で「はい、吹いて!!!!!!」というので急いで吹いた。

 画面上の線がびょいーん! と上がって下がる。
 お兄さんが腹式呼吸で応援してくる。

「はい!まだいけるまだいける、まだまだまだ!!!」

 ぜんぜんいけてない、もう息どこにも残ってない、それなのに応援してくる。もう線全然動いてない。まだか? と思ってから2秒後くらいに許しを得た。

「はい、いいですね! ここ、この線見えますか? この線の頂点がちょっと丸くなってますね! できればこれが尖って欲しい! もう力の限り! いっちゃいましょう! もう無理、むりむりむり~~ってなるまでいっちゃいましょう!!! じゃあ本番!!!!!」

 本番じゃなかったのかよ、と思いながら右上のイルカを見ながら精一杯行きを吹きかけた。だんだんお兄さんが吹奏楽のおもしろ先輩みたいに思えてきて、わたしは詳しくないので何も思いつかないけど、肺活量のものすごい必要な楽器の担当でその楽器の担当が私とこの先輩しかいなくて、いつも放課後に肺活量の熱血指導されているのだ、というような世界線にまぎれこんでいた。

「いける! まだいける、まだいける! いいよ! はい! はい! まだいける!」

 この「はい!」が終わりなのか合いの手なのかわからなくて首が鳩みたいになってしまった。「よし! おっけー!!!」と先輩が言うので、笛的な物を離したら、至近距離で腹式呼吸で「じょうず!!!!!」と声をかけてくれてめちゃくちゃ気分がよかった。

「とってもよかったと思います!」

 という総評を聞いて、部屋を出て、次の場所へ向かっている背後から「こんにちわー!」と先輩の声が外まで響いていた。なんていい仕事をするのだろう、彼の人生に何か良いことが起きますように、と願いながら私は次の冒険へとでかけた。

 と、ここまでは冒険みたいでめちゃくちゃ楽しかったのだが、次のX線、いやもしかしたら次が血液でその次がX線だったのかもしれんが、座って待ってろと言われたので座っていると、明らかにあと20人くらいは待っている。でもなんかものすごい数の扉があり、割りと次々番号を呼ばれている。英文の例文を今日で50個は覚えるぞ! と無茶な誓いを立てていた私が参考書を開くと、隣に座っているおばあさまがティッシュを床に落としていた。気づいていないので拾ってみると、とても柔らかい声で「ありがとう」と言ってくれた。

 人間、お礼、うれしい、やさしい、と思い、私はよいことをした、よいことをしたのだな! という充足感でうんうんとうなずいて、全然覚えられない英文をしばらく眺めた。ぜんぜん呼ばれなかった。またしばらく英文を眺めていると横から「おじいさん、おじいさん」という声が聞こえる。

 見ると、さきほどのおばあさまが横に座っているおじいさまの肩に手をおき声を掛けている。少し前までおばあさんと話しをしていたはずのおじいさんは明らかに様子のおかしい呼吸をしており、おばあさまは慌てていた。

 私は輪をかけて慌てていた。なにせパニック障害者なもので、駅伝で苦しそうに走っている人を見るだけで余裕で過呼吸になるくらいの共感覚者なので、さ、さっきまで普通に、しゃべっ、しゃべっていたのに、というショックで全身から発汗、そしておばあさまが受付の人にそのことを伝えようと、よろよろと近づいていくと、受付の人が無情にも「順番なので並んでください!」と言う、私はそのことにもショックをうけて、うろうろとしたが、様子のおかしさに気づいたいろんな人が(私も伝えようとした今思えば全然なにも出来ていなかったような気がする)いろんなところからやってきて、弁当食べてましたけど、みたいなお医者さまが走ってきて、タンカやらなんかの器具の名前やらを看護師に伝えるよくドラマで見るやつをやって、その間おばあさまがうろうろとその周りをしていて、私はそれが辛くて、何か声をかけたかったけれど、声をかけられず、おじいさんの靴を持ってタンカの後ろをついていくおばあさまの後ろをただじっと見ていた。ティッシュを拾うことなど何の力にもなっていなかったと反省をし、冒険する心を失ってしまった。

 本来ならここでもう【完】であり、家に帰って横になる以外の選択肢はないのだが、そういうわけにも行かず、その後もさまざまなミッションをこなし、なんやかんやで婦人科に戻ってこれた。9時について、そこまでたどり着いたのはもう12時近かったように思う。

 診察に呼ばれたのは16時近かった。

 気が遠くなった。そんなに待つのか、こんなに扉がいっぱいあって、全部の扉に次々人が飛び込んでいくのに、こんなにも呼ばれないのか? もうお昼ご飯どころの話ではない。

 先生は「ごめんねー! すごい待ったね、ごめんねー」と誤っている。私はなぜか「全然待ってないです」と嘘をついた。誰にでもわかる嘘をなぜ、と思った。で、手術の日を一瞬で決めて、今日は入院手続きまでして帰ってね! って感じですぐ終わった。子宮の入り口? かなんかを円錐状に切り取る円錐切除術というものをするらしい。

 どれくらいの療養期間が必要なのかと聞いたら、必要ないと言われた。「入院2泊3日で次の日から働いていいよー」とのこと。私はなんかすごい休む気でいたので、てんちょにもそんなようなことを言ってしまっていたので、めちゃくちゃ動揺してしまった。全身麻酔か下半身麻酔かというような話だった。私が喋りながら手術してるの嫌でしょ~だから全身麻酔でいいと思う。みたいなことを先生が言っていたが、私はそれが聞きたかった。でもどうかなー、下半身麻酔頭が痛くなると聞いてそれやだなと思っている。

 そんなこんなで手術の日が決まり、手術前に一度また検査をしに着てください、とのことだった。で、本当はこの日記ではその日の検査がおもったより早く終わったので帰りに神社によって、そこでいろんなことがあったよ、というものを書こうと思っていたのだけれど、なんかもうすごい疲れてしまった。指が。

 ちょろっと写真だけでも載せようかな。

 某私鉄が酔うのでバスに30分乗るというルートで病院に行ったのだけどこれがすごくよかった。田舎の田んぼの中をずーっと進んで途中にたくさんの人が乗ってきて降りていく。

 神社はバスの乗り継ぎの駅なんだけど、神社までの道がめちゃよかった。

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文化横丁ビアホールだ!
やっているのかいないのかわからない! この道のちょっと手前に昼なのに風俗の客引き的な人がいた。でも今のご時世は多分客引きがだめなので、ただ座っている怪しい人だったのかもしれない。ニタァという音のする笑顔を送ってくれたので会釈しておいた。

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たばこは心の日曜日。

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なんらかの観光の建物が朽ちていた。
中にさまざまな看板の朽ちたものと、なんかかき氷機? みたいなのが詰め込まれていた。

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神社の前をキリンが横切っていった。なんで? と思って急いで撮った。どこへいく何のキリンなのだろう。

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神社即カモ即鯉。

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置物かと思ったら全員生きてる亀だった。無限にいた。

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カモ、めちゃでかい。白い子のことをアヒル、茶色いのをカモと読んでいたが、彼らはともにカモらしいというようなことを聞いたことがあるような気がするけど、まぁアヒルとカモだよ。

七福神めぐりというようなものをやって、そこで御朱印というか、お参りをして小さなスタンプを七個押すというご利益のありそうなものがあったので、先進誠意「頑張るので!!!どうか大賞受賞100万円お願いしますお願いします!!!!!」と大声で神様に伝えた。毎回お願いしてる。

 お参りをしてスタンプを押すのが筋というか、当たり前の順番と思うのだが、スタンプ台にいると次の人の気配を感じて、私は当然お参りをするだろうと思ったので丁寧にスタンプを押して顔をあげると、すごく恨めしそうな顔でこちらを見ている妙齢の方がいる。

 「よろしいですか」と言われるので、え、なにが? という顔をするとまたすごく嫌そうな顔をされた。察するに早くどけということらしく「まじか」と思ったしなんならマスクの下で口に出てた。彼女はスタンプを押すと足早と去って次のスタンプ台へと競歩していった。スタンプラリーじゃねえんだぞ、と思いながら愚かな人類がすみませんと神的なものに謝っておいた。謝ることで自分は愚か側の人間んではないというアピールをすることで、100万円への道をどうにかこうにか、あと地位と名誉と健康と犬を、どうか、と私も愚かな人間になっていた。

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神社を出ると洋館があった。

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見学自由と書いてあったので、入っていったら受付の人がめちゃくちゃびっくりして「見学ですか?」と言ってきた。見学した。古いカーテンがとてもよかった。

そんなこんなで手術前の日記はここで終わり!

また入院中の日記もかけたらいいな~どうかな~~
そんな感じなので最後に最近つくったテラリウムをのせておくね~

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何もかもに向いていないので、作りながら、こんな風に自然のものを詰め込んで、まるで自然とでもいうように、愚か、なぜ、人類はこうも愚かなのか、という気持ちになってすごく辛かった。コケとかシダとかすごく好きなのだけれど、精神が何にも向かない。魚釣りも楽しそーって行って、なぜこのようなことを、苦しんでいる、魚が、ってなって悲しくなって終わった。

どんな終わり!? って感じだけど、そんな感じでまたねー!!
手術の応援もよろしくー!!!

人生初(仮)手術が決まったよ!

 いや、クソダサいな表紙が。昭和の人間が二時間かけて作りました感が半端なくないすか? 昭和の人間が15分で作りましたよ。

 今回はタイトルどおりのお話だよ。まだ手術してないから手術までのあれそれを書いてみたりなどしたいなと思って、書いた! 写真とかないからnoteじゃなくてよかったような気がするけれども、もう走り出してしまったのでよしとします。

あとこういう横書きの文書のときに「!」「?」とかの間にスペース開けるかどうかと、行頭を一文字空けるかどうかをいつもすごく迷うので、困ります。迷った末、開けたり、下げたり、開けなかったり下げなかったりをしてしまうよな。どう思います?

人生初(仮)と書いたけれど、初じゃないような気がする。というのも、わりと鉄板で跳ねる話なので何度も言ってしまいますが、私は小学校1年生の夏休み前に、横断歩道を渡ろうとして、青信号を確認して右を見て、左を見て、進んだら車に轢かれて全治4ヶ月の入院をいたしましたので、たぶんその時に手術はしていると思われるのである。

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 と、ここまで↑の記事を書いたのは一ヶ月前で、実はわたしは一ヶ月後の人間なのである。というわけで、あの時の情熱は失われてしまった、というか何を書こうとしていたのかとんと忘れてしまった。

 のでわびいちごをのせた。

 この日はたしか新しい病院に行った日で、そう、そうだ! だんだん思い出してきたぞ。そうそう、簡単に説明すると、いや、最初から説明しよう!

 7年くらい前? もうどんくらい前か分からないんだけど、いつものようにお昼寝をして悪夢を見ていたところ、ふと目が覚めて、例のごとくすべての人類に苛まれる夢を見ていましたので「たすかった~」と思って起き上がろうとしたところ、この世のものとは思えない強い衝撃が起こり、あまりに衝撃的すぎる衝撃だったため、それが一体なんなのかわからず「???」となったのであった。

 しかし「???」は一瞬のことであり、すぐに脳が「痛!」と察知し、それはもう痛み、ものすごい痛み、なんというか痛みの原液、原石? ともかくなにか元素的な、希釈してくれないと人類にはちょっと受け止められないですね~的痛みであり、しかもそれが下腹部のあたりから発せられており、私は生まれてこの方下腹部痛ということを感じたことがなかったため「お腹いたいとかwwww」くらいの気持ちでいつも生きていたため「天罰!?」とか思ったんですけれども、ともかく身動きのとれない痛みを感じたことがなかったため、ただただ寝床で唸り、これは死ぬやつ、と察知しなんとか外にでなければと考え(なぜ?)床を這っていたところで急に痛みが消え「死んだのか!?」と思ったが生きていた。

 生きていたので病院に行った。

 そしたら私のことを目の敵にしていた(私が反抗して授業を受けていなかった)家庭科の先生に似ている先生が「多嚢胞障害」と「卵巣のう腫」の「チョコレート嚢胞」と「子宮内膜症」だね~~と言っており、へ~~そっかぁとなったが特になにもしれくれなかった。 

 え? そうだったけ? いやそうだったよな。たぶん。チョコレート嚢胞は7センチ?くらいになったら手術だけどそこまでじゃない的な感じだったような。

 でも、その後も定期的に不定期に定期的に急激な激痛、冷や汗と唸りで気が遠くなる、というようなことが起こり、めちゃ高い漢方の回などもあったのだけど省きまして(全く効かなかった)先生にそのことを訴えるとまぁ、じゃあピル出しましょうかみたいな感じで。

 その先生が、めちゃ私のことを嫌っていて、明らかに嫌っていて、というのも最初の診察の時に「子供産む時のために~」みたいなことを言われたので「いや子供は産まないので」と私が答えたときから明らかに敵意を持たれており、まじで? 嘘でしょそんなことある?? と思ったのですが、そんなことがあり、よく調べてみるとその先生は不妊症を主に見ている人らしく、まじでこいつあの時の家庭科の先生なんじゃねえか? そういうとこがむかつくんだが!? と私の方でも敵意を持っておりましたので、ぜんぜんちゃんと見てくれなかった。

 え、え、でもおかしくないですか? 不妊症に苦しんでいる人と、子供産みたくない私の話は別件じゃないですか? いらないんで子宮でも卵巣でもあげますけど!? なになになに? 子供産みたくない人間は生きる価値ないってか? お? お? お? 来世お前の腹の中に宿って一生そこで暮らしてやろうか??? というようなことを脳内でやっていたらわりとすぐに主治医を変えられた。「男性の方じゃないほうがいいでしょ?」みたいなことを言われて「え、なんでですか?」って答えてまた険悪になった。

 で、新しい先生は女の先生なんだけど、初めて診察したときに「あ、ちょっと待って、おしっこ!」って白衣脱いで診察室から出ていってしまったので、すげーいい先生じゃんと思った。お付きの助手の人みたいな方が脱ぎ散らかされた白衣を直しながら「すみませんね本当に」みたいなことを言ってて、マッドサイエンティストみたいでいいなと思った。

 先生はちゃんとピル処方してくれたし、診察のときも「痛いね~もうちょっとだからね~うんうん」みたいなこと言ってくれてめちゃ優しいし、ピルの説明も「インターネットにいろいろ乗ってるから自分で調べてね~」って感じでちょう適当だったので好感度が高かった。

 で、ピルを飲むことにより痛みはまったくなくなり、あと生理のせいで一ヶ月のうちなんの不調でない日が1日か2日くらいしかなかったのが1週間くらいに増え、PMSがよくなるということはそんなになかったけれど、血も少なくなるし、吐き気もなくなったし、川に飛び込もうかどうしようか、と思いながらじっと突っ立っている時間もなくなったので、西洋医学まじで最高! 東洋医学がごみ!!! みたいな危ない思想に至ったりもしましたが私は元気に病気です。

 東洋医学はね、効く人にはめちゃくちゃ効くんだろうから良いものだと思います。薬膳とか楽しいしね。よくツイッターで流れてくる体の不調はこれで解決! みたいなやつ軒並み試すけど効いたこと一度もないので、結局あれらは元の体が健康な人向けなんだろうなぁ。でも食べ物で体をいたわろうみたいな、ジョウロ持った人が花に水やってる白い表紙の【丁寧な暮らし】みたいなしゃらくさい生活に対して、昔は「けっ」みたいな気持ちでいましたがそんな私も大人になり「ふーん。いいじゃん」みたいな気持ちになることもままあるわけですが、そんなもんは金、金のある人のやることなので諦めましょう。金と健康が手に入ったらやりましょう。

 で、ピルを飲んで、ああ若い頃のすべての過ちはホルモンバランスの乱れだったのだ、という衝撃的な事実に気が付き、人間はまったくもってケミカルな機械であり、意思とか感情とかそんなのは幻なのだなぁと思いながらもんどり打って意思とか感情を延々とこねくり回して叫びながら文を書いて生活をしていた。丁寧な暮らしからもっとも遠い。

 そんなある日、それから7年後ですか? わかんないけど、三ヶ月に一回婦人科に通う生活を続けていましたので、ときどき市からくる定期検診みたいなやつも「やっとこうねー」みたいな感じで先生が適当にやってくれたりなどしていた。

 あれはいつだったろうか、一年位前か? 三ヶ月に一回の通院では、処方だけの時と診察があるときがあって、診察は九ヶ月に一回くらいだったのかな? で、なんかある日、処方だけと効いていた日に診察室に入ると先生が軽く明るく「ごめーん、検査引っかかったから今日診察ね」と言い、なになになに? となっている間に診察台(股を開いて乗るとウィーンって上がっていく)に載せられ、ぐりぐりと器具を入れられ「(痛いが!?!?)」と思いながら「痛いね~ごめんね~もうちょっとだからね~」「(痛いのだが!?!?!?)」「ね~痛いね~~」ということを三回くりかえすまで診察が終わらず、とにもかくにもめちゃくちゃ痛く、そもそも何をしているのかわからず、カーテンの向こうでバチンとかいう音がしたりなどしており、なんだ!? と思っているとやっと診察が終わり、散歩と騙されて動物病院につれていかれた犬の気持ちで外に出ると先生が「子宮頸がんにひっかかってたから検査した~なんかあったら電話するね~」と軽く明るく言い、でも私は犬の気持ちだったので、濡れそぼった感じでじっと恨めしそうな目線を送る(心の中で)しかできなかったのでった。

 電話はこなかった。

 次の診察に言ったら、ちょっと子宮頸がんが怪しいからこれからは半年に一回検査するね~と軽く明るく言われ、あの、犬のやつをまた? 半年に一回?? するの???? とあまりに衝撃的だったのですぐ忘れた。

 ので、毎回毎回、診察のたびに犬の気持ちになり、診察のたびに「なぜ、このような仕打ちを」という目で先生を見ること5回くらいだったろうか。何年かこういうターンがあり「もうよくなったみたいだから次は一年に一回にしよ~」と言われたので、やったー! となった。で、一年後にまたその痛いやつをやって、痛かったので帰りに白玉のなんか美味しいやつを買ったりなどして日々を過ごしていた。次は処方箋だけだからね~と言われるたび「やったー!」っとなる。処方箋だけだと「元気~?」「(元気ではないが)はい」「おっけーお薬出しとくね~」で終わるので嬉しい。

 で、処方だけの日に診察に行くと、珍しく先生がわりときりっとした顔をしていて「ごめんね、今日診察やる」と言っており、え、え、えとなっている間に股を広げて上がる台の上に乗っており、カーテンの向こうでがちゃがちゃという音、またあれをやるのか、と思っていると「!?!?!?」って感じで、え、え、え、全然いたい! 今までより全然いたい、何をしている!?!? となり「本当にごめんねー、痛いよねー後出しじゃんけんでごめんねー」と言われ「あとだし!?じゃんけん!?!?!?」となり、なんていうかもう、これは手術なのでは? というような、なにか内蔵に完全に傷が付いてるよねこれは?? という痛みであり、具体的に言ってみると、交通事故で四ヶ月入院した時に膝に入っている針金? みたいなやつを麻酔なしで抜いたとき、より痛かった! より痛いので全然具体的ではないのだが、やはり外科的処置と内科的処置の差は大きいよそういうところだよ!

 もはやそこは動物病院とかではなく、宇宙船であり人体改造をほどこされ疲弊した私がカーテンから出るや否や先生が「子宮頸がんね、これもう治療したほうがいいから、手術ね!」って言われたけれど、もうぜんぜん人体改造の後遺症で「手術、はい、手術、する」みたいな感じであり、説明がぜんぜん頭に入ってこなかった。

 あとで調べた所によると、子宮頸がんはなんとかぺろぺろウイルスみたいなやつに長期的に感染してると一部の細胞がなんか前がん状態? みたいな感じになりそっからがんになっちゃうから、がんになるの嫌だから取っちゃおうな! って感じなのであった。

 先生が説明のときにまだ若いから子宮は温存したほうが体にはいいから~みたいなことを言っており、この先生は妊娠とか言わないからすごく好きだ、でもできれば子宮もとりたい、という念を送り、二週間後に手術の日決めよっか、となり、二週間後に行ったら「やっぱり全然ひっかかってなかったら手術しなくてもいいけどどうする?」と聞かれ「えっえっ」となったのでした。

 しかしその二週間の間に私はバイト先のおてんちょに「子宮頸がんにひっかかったので手術のためにバイト二週間くらい休みます!」と軽い気持ちでいっており、先生も軽い感じで言ってたし、私も自分が病気であるという状態が常態なのでめちゃ軽く捉えていたのだが、てんちょが震えながら(心象風景だよ)「そうなの……」っと深刻な顔をしはじめ「それは、開腹? 腹腔鏡?」みたいなことを聞かれ私は「いや下の穴からじゃないっすかね~」と思ったのだが、こんなお公家さんのような上品で優しいてんちょにそんなこと言えないと思い「腹腔鏡です~」と嘘をついてしまったのだった。

 という経緯があり、なんかいろんな手配とかも初めていたので今更手術なしと言われてもと思って「手術したいです」というと「うんうん。そうだよね心配だし取っちゃったほうがいいね!」と先生は言っており、めちゃ適当やん! 好きだけど! と私は思ったといいます。

 えーっと、あれ? なんの話だったっけ?

 というかもうすごい文字数になってきているなこれは、そこから何があったかというと、そうだそうだ、実はこの先生が出向? っていうのかなお医者さんでも、ともかく大学病院から来ている先生で、手術するならうちの病院でやるから~ってんで一度大学病院に来てねと言われて、その大学病院に行った日に冒頭の記事を書いたのでした。

 その日の大学病院の冒険と、そのあとの大学病院の日常を書こうと思ったのだけれど、ちょっと文字数が嵩んできたのでまた次に書こうと思います!


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これ、バイト先の人がお土産で買ってきてくれた鎌倉の豆の食べ物なんだけど、めっっちゃくちゃうまくて「ルマンドと同じくらいうまいかもしれない!」と大声で叫んでしまったよね。今まで食べてきたお菓子の中で3位に入るかもしれない。殿堂入りは中国のばあちゃんが作ってくれた黒芝麻湯圓です。読み方はわからん。

そんじゃまた書きます!!!入院日記も書きたいと思うので応援よろしくなー!!

植木鉢たくさん置いてあるよ園芸店リターンズ

今日は一日ほぼ何もしなかった。休みだというのに何も書けなかった。今、それを取り戻すために何かを書こうとしているが、もう絶対に眠る時間なので絶対に手短にしなければならない。

日記を書いたことで何かを書いたということには(私の中では)ならないのだが、しかし、多少は何かをしたような気にはなるので、何もしなかった一日よりは何かをしたような気がする一日のほうがまだ救いがあるというわけ。

手短に話すと頭のちょうしが悪く、ここ昨今ずっとふせっている。
いつからこうしているのか自分にはわからん。わからんけれども、ともかく食っちゃ唸り唸っちゃ机の前に座り嘆き悲しみそもそも目がぱんぱんで何も考えられない。そんな日々を送っていた。

今日は晴れていたし、なんとなく元気な気がしたので朝も早く目を覚まし、ご飯を食べてお風呂に入ったら完全に具合が悪かった。

早送りして、母が抗がん剤治療のために入院にでかけたので、バス停まで荷物を持っていって、バス停でじっと荷物を両手で抱えて待って、バスが着たので荷物と母とバスを見送って、じっくりと家まで帰った。

家の庭の葉っぱなどを眺めていると、黄緑色の葉が元気だったり、あじさいの新芽がでていたり、いちじくの先に小さいいじちくみたいなものがついていたりして「夏が来るのだ!(春は嫌い!)」と思ってちょっと元気になったような気がしたけれどもそれは間違いで、完全に具合が悪かった。

こたつにささって、今日から一人暮らしなためご飯などの用意をしようと考えるだけで一時間が経過し、辛く唸って、作るのを諦めて冷蔵庫の残りものを片っ端から食べたらちょっと食べすぎて具合が悪く、またこたつに刺さって「買い物にいく」と言ったきり動かなかったそうな。

早送りしてなんとか買い物を済ませ、家に帰ってから当初それを買いにでかけたのでは!?というものを買い忘れたことに気づき、気づいたところで人間のたくさんいる場所に今更戻れるはずもなく、こたつにささってじっとしていた。

また早送りをして、ふと床に鯛が落ちているので拾ってみると、鯛にはおみくじがささっており、このような文字が目に入った。

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正しくないと災いがあり
           ます
なるほど。それはそうかもしれない、と思ってなぜこんなところに鯛(のはりぼて?張り子?みたいなやつ)が落ちているのか、とこたつにささったまま考えてみた。おそらく、戸棚にあるのを姪御が見つけて欲しがったのだろう。そして姪御は飽きて床に捨てたのだろう、そしてこれはあの夏の日に行った川越の氷川神社の鯛釣りおみくじではないか、ふぁんふぁんふぁんふぁ~ん、と回想シーンに入っていたらもう三時を過ぎていた。

私には実はまだやるべきことがあって、それというのも朝、庭を見ていたときにメダカが全滅してどろどろになっていた瓶の中に新たなメダカたちが投入されているのを発見して、そういえば母の友人がまた持ってきたとかいうことを言っていたな、と思ったのだが、あまりにもすっぽんぽんで存在しているためにかわいそうに思い「わたし、きょう、ホテイソウをかいにいくよ!」と天に向けて誓ったのだった。

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こたつにささりながら、しかし私にはまだ鶏ささみをどうにかこうにかして、タンパク質をたくさん撮れるようにしたりなどしなくてはならない、という任務もあったため、しばし逡巡してただ時間を無駄にした。

早送りをして、図書館に着いた。
はて? しかし案ずることはないのだった。なぜなら私が向かおうとしていたのは以前日記に書いた「植木鉢たくさん置いてあるよ園芸店」であって「植木鉢たくさん置いてあるよ園芸店」は図書館の近くにあるのだ。だから私は図書館に入ったのだろう。

以前の日記は以下を参照されたし。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887686937/episodes/1177354054917854975

早送りをして、今まで読んだことなかったので吉本ばななさんを借りてみた。読めるかどうかはわからない。あと近代文学人みんな自殺してるよね、みたいな論文みたいなやつもあったのでそれも借りた。芥川も太宰も牧野信一もみんないる。私のための本であるように思うよ。あとはメタボの本をたくさん借りた。レポート書きたくない。

早送りして、やっとのことで植木鉢たくさん置いてあるよ園芸店に行った。ほぼ二年ぶりである。え、本当か? そんなにときが経ったか? しかし園芸店はあの時とまったく変わらず、魔女の店だった。

私は以前の日記でこんなようなことを書いているのだが。

無量大数の植木鉢を物色したら、小学五年生が夏休みに大作に挑戦したみたいな出来の、大きな瓶に河童のような何者かが寄りかかっている植木鉢(そうは見えなかったが植木鉢たくさん置いてるよ園芸店にあったから植木鉢なのだろう)がすごく気に入って高いのかしら?と思って、下にはってある値札を確認しようと手に取ったけど、びくりとも動かなかった。

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そいつがまだいた。あの日から一ミリも動いていないように思える。こうなったら金持ちになってこいつを内にもらい受けるしかない。しかし私は車が運転できないタイプの免許保持者なので、その際には協力な荷台のようなものがある自転車か、さもなくば電動自転車が必要だろう。しかしそれは重たすぎて倒れる可能性があるので、金持ちなんだからタクシーに乗ろう、と思った。

お目当てのホテイソウが全然見つからず、かといって、ぜんぜん見つからないのです、と言えるお店の人は存在せず、広大な土地と鉢と軽石と植物群の中をただうろうろとすることしか私にはできなかった。写真を撮るのがはばかれたので、妙な隠し撮りみたいな写真ばかりである。

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まったく本質を捉えていない写真ばかりである。もっと素敵な場所なのにまったく素敵に映らないのはこれはもしかして魔法なのかもしれない。魔法によって魅力が下がることにより、選ばれた人間にしか入れない場所なのかもしれない私はすぐに選ばれた人間になりたがるな。私もレイアースのように武器に選ばれたいですずっと。あとジャニーさんにも選ばれたいですずっと。

早送りしまして、地面に目を向けたら地面にホテイソウがありましたので、パックをもちまして、しかし急に「ホテイソウは一個でいいから増えるから!」という母の声が脳内で再生されて、でもパック売りみたいだしと思ってそのままレジに持っていったら、魔女のおばさまが「うーん」ってなって、値段がわかんないやーってなってて「ちょっとまってね」と言うので「はい!待ちます!」と元気に答えてしまい、違うんだ今日はあまり人間と触れ合っていなかったから声量の調整ができていないだけで、やばい人間ではないんだ、と念を飛ばしていたら、おばあさんがおもむろにパックのホテイソウをひょいひょいとテーブルの上に放り出しはじめた。

ほうりだしながら「たぶん一株売りだと思うんだよね」と言うので「ひとかぶです、ひとかぶでよいのです」と答えたけれどおばあさんは答えてくれず、ちょうど横をさっと通った若い女性に「これは値段は、もしょもしょ」と言っており、こんなに近くにいるのに私には「もしょもしょ」のところが聞き取れず、しかし私よりだいぶ遠目にいる若い女性には聞こえるらしく「まだ!」とだけ不機嫌そうに答えていた。

以前来た時にもこの女性とこのおばあさまがいて、その時にも別に仲良くうふふ~たのしくやってまーす園芸店でーす、みたいな雰囲気ではなく、わりとこう、なんていうんですか、家族特有の冷たさで営業してます賃金はでません、みたいな雰囲気を感じておりましたので、私はそれを察知していないよ、という振りをするためにレジ横にある蜂のオフジェを見つめながら「(蜂と鉢をかけているのか、いやそんなことは絶対にない)」というようなことを考えていた。

早送りしたがまだホテイアオイの値段はわからないらしく、もう一度おばあさんが若い女性に聞いたのだが、すると若い女性は「わたしに聞かれてもわからないから!確認するから!」とさっきよりも明らかに怒っており、え、こわがっている私がここにいますけれども? と目線を泳がしてみたけれども、おばあさんはいつものことなのか「(あらあらまぁまぁ仕方がないわねーせちがらいわ人生は諦めることが肝心)」みたいな顔でこちらにふっと笑いかけてきたので、私もなんとか「あはは」と声に出してみたのであった。

若い女性は駐輪所の方へいって「ごねごね」「ごねごね!?」「ごーねごね!」みたいなやりとりを男性らしき人としていて、駐輪場で大きめの車で何か荷降ろしをしている男性をみたことを思い出した私は、ぴーん! とひらめきましたよね。この女性、娘じゃないのかもしれない! とね。

嫁なのかもしれない。

多くは語らず早送りをして、ホテイアオイは一株128円だかなんかて、おばあさんがどれを選ぶのか? と聞いてくるので、人生は選ぶことばかりで選ばれることはそうそうにないのだ、というようなことを思いながら迷いに迷って一つを指差すとおばあさんはうなずいてくれた。

「もうマスクが息苦しくなってきたねぇ」

とおばあさんが言うので、私は気安く話しかけてもらったことが嬉しく「そうですね!」とまたやや声量多めで答えた。するとレジ打ちをしながらおばあさんが「もーにょもにょ?」と聞いてきた。私にはその言葉が聞き取れなかったが、いや、ちょっとまて、もう一度再生すれば聞き取りが可能ではないか? と思いながら「いやぁ、はい」と口では答えており、おばあさんは「?」というような顔をしており、その顔をみた瞬間に巻き戻しが完了しておばあさんが「ポイントはあつめてる?」といったのだということを理解した。

ポイントカードをもらったので、また行きたいと思う。ポイントためたら年末のおたのしみ抽選会に参加出来るって書いてあった。選ばれた人間にしか使い方が分からない魔法道具があたるかもしれない。

このポイントカードである。あの時にかなり溜まっていたのだが、確か有効期限がもうすぐそこだから捨てた、ような気がしないでもないけれど一応財布を確認して、しかしレジ前で財布を確認する行為ほど人間を焦らすものはなく、あまり探さないままに「大丈夫です!」と元気に答えてしまっていた。おばあさんはそうかい?みたいな顔をしていた。そして笑顔で目に入ったから一緒に買ったワイルドストロベリーのパック?なんていうんでしたっけ苗が入ってるあの丸い、ポット?ポットでいいのかな? ともかくそのポットの中にホテイアオイを入れていいか? ということを聞くので「はい!」と答えると、思っていた以上にホテイアオイがぐいぐいとワイルドストロベリーに食い込まされていて、わーお、と思った。

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おしゃれだね。
駐輪場に行くと、そこにも大量に鉢、というかもっと大きい瓶が無造作においてあり、そこに狸がいたので「たぬきがいるじゃねえか、たぬきがいるじゃねえか!」と思って写真を撮った。

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すると背後から「ありがとうございましたー」と男性の声がして、振り返ると大きな車からまだ男性が荷降ろしをしており、トートには本が沢山詰まっているのでリュックに苗を押し込みながら「(あれが息子か……?)」と思いながら、へらへらして自転車に乗って帰った。

早送りをして、私はこたつにささったまま動けずにいるはずだったのだが「もう、うごけない」というセリフをはく前にピンポーンがなり、出ると隣の家の田中さん(仮)のおばあちゃんがなにやら恐ろしげな黒い塊を持って立っていた。早送りすると、それはわかめであり、さっきまで海にいたものであり、酢の物や乾かしてまた何度でも使える、というような正直半分話を聞いていなかったのだが、ともかくそれは昆布で、しかも生であり、とても生臭く、そしてとてもとても大量であったのである。

おばあさんは耳が遠いので私の相槌をほぼ聞き取ってくれないが、庭に咲いている黄色い花はうちに咲いているものとは違うようだ、というようなことをひとしきり話して、花盛りだ、と言いながら去っていった。

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そして大量のわかめがのこった。マジで海。海そのものである。台所から海の匂いしかしない。一体どうすれば、このようなものを一人で処理するすべはない。と思い、私はふたたびこたつに刺さった。

起きるともうほぼ夜であり、人間はなぜこのような無為な一日をすごしてもなお腹が減るのか、というような哲学的煩悶をしながら、ご飯でも作りますかね~~と思って台所にいくと大量のわかめがあった。

いったいなぜ、このように大量なわかめが、、、としばし呆然とし、まじで海、まじで海の匂いがするぜここは陸なのに、と思いながら現実を逃避しようとするとツイッターランドから有益なわかめ応援が届き、とりあえずわかめは茹でて小分けにして冷蔵なりするとよいということだったので、にわかに元気になり、やる、やるぞ! と思って作業をはじめた。

早送り、してもしてもわかめはなくならないのだった。茎をとって別々に茹でるべきというようなことが有益な情報に書いてあったので茎を取る作業をしたが、いっこうにわかめが減らない。なにこれ!?増えてんの!?と重いながらツイッターを開くと、担当の二人がコロナに感染したという情報が入ってきて、まじでむり、本当にむりなんでもするから二人を健康にしてくてお熱がでてるなんてなんてかわいそうなの!やだやだやだ!となってしまい推しの不健康はまじで心身に悪い、、、と祈りながら海臭い台所でひたすらにわかめの処理をした。

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茹でたわかめを小分けにするために切っている途中でまじで力が付き、もうやめようこれは今度にしよう、とほぼ海のボールを冷蔵庫に突っ込んで視界から消した。

早送りをして、ささみの下準備をしてから、カレー味の鍋みたいな無印のやつを作って食べたら、もう完全に夜であり、しかしまだ挽回は可能、ここから部屋に戻って作業をすることは可能、と思ったが洗濯物などを畳んでいるともう取り返しのつかない夜、ニアリーイコール深夜になっており、この日記をかくことで何かした気になろう、と思った次第である。

そんなこんなですぐに終わらせると言っていた日記を書くのにまるまる一時間以上を使ったため、心身もいい感じに泥になっており、もう一歩も動くことが出来ない。ただできることはお風呂で泥からヘドロになり、布団に挟まって悪夢を見ることだけ、といった現状であります。

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ホテイソウは一株だけってなんかいみあるんですか? 増えるらしいけど、増えるまでこんな感じなの? ほぼノーガードじゃない? と思ったけれど、今の私には考えることが出来ないので、宿題としまして、今日のところはネタを下げさせていただきます。おやすみー!

ふゆのはたけにっき2022冬

ふゆと言っているのに2022のあとにまた冬をつけてしまった。なぜならそう、頭の調子が悪い。

昨日か一昨日かその前の日かしらないが、叫び声を上げるのを制御するのに使える脳のリソースの95%を使うようになっていて、残りの5%で何ができるかというと、インターネットをサーフィンしてぜんぜん知りたくない情報を得るだけなのであった。

あー! とかうー! とか別に家の中だったら制御しなくてもいいのかもしれないけれど、叫び声を上げたことにより不安が増大するので制御するのが多分正解。特に生活に著しいストレスがあったというわけではないので、単なる脳のバグと思われる。

脳のバグには散歩が良いとずっと前から識っており、ずっと前から挑戦しては脳が完全に終了を迎え寝込む、ということを繰り返していたのだけれど、そんなことは忘れてまた畑に向かった。

大根を取らねばならぬ。

別に大根は本当は必要なかったのだけれども、ともかく大根を取りに畑に向かおうと思ったのだ。畑はうちから1.5キロくらい離れているですか? よく、わかりませんが、数字とかは。ともかく歩くと「あ、もうだめかも」と思うくらいの距離にあります。

昔は砂利道だったのに、今はもうみんなコンクリートで、昔はあぜ道をまっすぐ通ればいいだけだったのに、いつのまにか四車線の道路が横切っており、まっすぐ進むことができなくなっていた。

道って変わるんですね。公園までいくのに四車線分の横断歩道を渡って行かなくてはいけないというのは、ちょっと小学生の私には耐え難いですね。当然私は小学生ではないわけですが。

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空からコンテナが降ってきていた。

高架橋の下は自然の摂理なのかもしれないが、常に毎日、今日も明日も15年前も影になっており、高架橋の前の家もわりと長時間陰っており、このように空から降ってきたコンテナ(そもそもこれはコンテナという名前ですか? 違う気がしてきた。なに。なんだろ。電車の、貨物の、中に牛が入ってる電車の貨物のやつ。コンテナか?)の上部がわずかに日に当たるだけであるけれども、その下には「ご自由にお持ち帰りください(ビニール袋は返してください)」と書いてあり、木の棒が37本くらい置いてあった。

よっぽど装備して行こうかと思ったけれど、のちのちの冒険の事を考えて、絶対に「木の棒、なぜ、いつまでも持ってる……」となってしまうと思ったので、持って帰らなかった。

こんな風に未来を想像してしまうのは小学生としては本当はよくないことなのだけれども、私は小学生ではないので、しかも小学生のころは今より達観していた老人だったので、私が人生のうちで木の棒を装備できることはあまりないのであった。わずかに小4の遠足の時に装備したばかりである。

あの時は、腐れ縁と一緒になんらかの罰で先生と供に山を降りていた。登るよりも降りる方のが肉体を傷つけるということを私はあのころから知っていたが、木の棒は長くて重くて持っているだけでしんどかったのに、持っているだけでなにかの助けになるような気がしていたので持ち続けていた。

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高架橋の横は暗くて寒くて悲しいので、入らないでもいい小道に入り、知っている人が一人もいない家々の前を通った。庭に金柑的なものがなっている。きんかんは、そのまま皮ごと食べるのだということを、小さい頃に知って、本当だろうか、と思って食べたけれど、今でもときどき本当だろうか、と考える。まぁおいしかった。

私の脳は金柑を思い出すと同時に自動的に銀杏を思い出すようになっているのですが、どういうことなんだろう、と書こうと思ったのだけれど、単純に語感と形状が似ているのではないだろうか。

銀杏は石油ストーブの上で炒りますよね。匂いがしてきて、なんか、器具? 銀色の、もしくは銅色だったかもしれませんが、硬い皮をばちんとする器具であれして、食べましたよね。あまり食べると恐ろしいことが起きるので食べすぎないようにと言われていたような。

畑に近づくと砂利道が復活してくるけれど、この道もいつか変わるのだろうかと思うと、足取りが重くなってくる。というより、普通に疲れてきている。足腰が弱いというのは人生において、かなりのこう、重罪? であるような気がするのですけれども、罪を犯していないのに重罪とはこれいかに。枷か? 枷かもしれない。罪を犯していないのに枷があるとはこれいかに。罪を犯したのか?

細めのいい感じのあぜ道があったので、そこを通りたかったが、はるか前方に軽トラックと供にいるおじさまが見えたので、一歩を踏み出したところでためらった。おはようございます、と挨拶をするべきか否か。知り合いではないが、向こうは私を知っているのかもしれない。わからない。私には何もわからない。

怖いのでコンクリートの道へ戻ろうと思ったけれど、前方から白い軽自動車がのろのろとこちらへ向かってきていて、のろのろしているのが怖くて前方におじいさんがいるあぜ道へまた一歩踏み出してしまった。でもやはり前方にはおじいさんがいるので、挨拶うまくできるかわからないし、そもそも、この道が続いているのかわからないし、行き止まりかもしれないし。

結局白い軽自動車の中の夫婦に非常に怪しまれながら、二三度、あぜ道とコンクリ道を数歩ずつ行ったり来たりして、結局コンクリを選んだ。若干足をくじいた。

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夏に緑の田んぼは冬にガビガビである。

もう畑はすぐそこである。すぐそこだと思うと途端に頑張れなくなる。もう疲れた。必要のない大根をなぜ歩いて取りに来たのだろう。

でも着いた。

冬は寒いのであまり畑に来ていなかったけれど、冬の畑は物悲しくてロシアの冬って感じだった。ロシアの冬はこんな感じでは絶対にないだろうけれど。土が乾いていて、あまり緑色がなくて。

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虫に食われている。

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真ん中がぱかーんってしている。

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斬首刑みたい。

ここは大地主がかすかな銭で貸してくれている畑なので、遠くに同じ銭を払っているシェア畑人がいた。鍬を振り下ろしている。なにを耕すことがあるのかこのようなロシアの地を。ちゃんとした人間はすごい。

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畑泥棒と思われたらどうしようと思いながら大根をとった(のちにどうしてそんなに小さいものを取ってきたの? と言われる)すごく立派だと思った。このような土地に、よくも。

よくぞか。

帰らなくてはなるまいな。来たら帰らなければいけないのだ人間だから。狼ならば帰らなくてもいいのかもしれない。寅とかも? でも私は人間なのかもしれず、昼ごはんはやきそばなのでおうちに帰らねばならない。

ベンチに座ると硬かった。何もすることがない。私は休むということがどういうことがわからない。休むということを獲得すれば人生はもうちょっといい感じになるだろう。特に脳みそなどが。

立ち上がったので帰ることにした。

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グッバイにら。
(帰って聞いたらあれはにらじゃないと言われた。にらだと思う)

来た道と同じ道を帰ると病気になってしまう体なので、別の道を選んで帰った。もう病気なので別に同じ道で帰ってもよかったが、途中でさっき通ろうとしたあぜ道が(さっきから思ってたけどあぜ道ってどういう定義なのだろうか)(畦道:田の間に通ずる道)(広辞苑より)正式にあぜ道だったので畦道を通って帰ることにした。

そういえばこういう道は減ったよな、とさっきも思ったのに同じことを考えてしまう。小さい頃は、というか今でも小さい頃なので、ぺんぺん草的なものとか、ヌタ? 違うな、クヌギ? ぜんぜん違う気がする、よくわからないけれど、雑草を見ているだけで楽しい。

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楽しさの伝わらない写真ですね。

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横を見るとなんか土が山だし、電柱が斃れている。かわいそうに。私が庵野秀明だったら映画に出してやるのにな。

昔話このような砂? 土? ときにはだいぶ大きめの小石みたいな、そんなようなものがこのように山をなしている場所がたくさんあったのだけれど、そして今でもどこかにはあるのだろうけれど、これはなんですか? これからコンクリートにでもなるのですか? それとも夜な夜な狸たちがここで遊ぶのですか? とてもよいものなのでずっとこうしていてほしい。

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少し進んでまた横を見ると木の電柱があった。うちの近くにもまた一体残っているけれども、小さい頃は押したら倒れそうだなと思っていた。今は、押したら倒れるんじゃないか? ともっと真剣に思う。触ってみたが倒れそうになかった。でも押せばなんとか、と思った。斃れてほしくないので押さなかった。

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もう少し進んで横を見ると都会のような顔をした落書きがあった。と思ったけれど、このような落書きは都会には無いのかもしれない。今や国民は清らかな間違いのないまちづくりを目指している。別に韻を踏もうと思ったわけではない。洒脱に韻を踏めるような人間であれば私も今ごろふぁーすとていくでぶいぶい言わせてたのかな。

この前初めて見たんですよファーストテイク。正式名称はなんですか? THE FIRST TAKE? そうですか。DJ松永くんがかっこいいかったです。めっちゃ楽しい。そりゃみんな好きよなわかるわかる。

畦道を過ぎたらいつの間にかに家に近づいてきていた。なにをしていたのだろうか。歩いてきた道の記憶がない。あと大根が重い。リュックでしか行動しないので、手の平に重みがかかっていることがもうだいぶストレス。なんでこんなに重いのかしら。水? 水がこの中に入っている? これで撲殺して、畑に埋めれば完全犯罪だろうか。と考えるような時代はもうすぎて、私は早く起き上がって作業を始めなければ、と苦しみながら横目で「科捜研」をよく見ているので、逃れることはできない、と苦しくなったが殺してないのでセーフだった。

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桜が咲いている。これは桜か? 河津桜だと思うのだけれど、川に落ちるのが嫌でうまく写真が取れなかった。別に桜でなくてもいいのだ。桜は食べるものなので。食べるものだから桜でなくてもいいというのはこれいかに? だいぶ接続が悪くなってきた。写真もちょうどなくなってきたのでちょうどよい。

今日は労働から帰ってから何もできなかったので、これを書くことによりだいぶ罪が軽くなった。よかった。

そうだ、宣伝宣伝。
いまカクヨムコンというなんか大会をやっていて、星がもらえると読者選考を通るという辛いシステムなので、応援よろしくおねがいします。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429189507680

これはよくわからんけど多分青春小説。三人組が地方都市でだるい日常を過ごしたり過ごさなかったりするお話。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429278986724

こっちはエッセイ!
配膳人をやっていた時のことなどをつらつら書こうと思っていたけれど、おもった以上に文字数が足りなかったので、なんかよくわからんことになった。けど、思った50倍くらい読んでもらったのでありがとう。1万文字ないのですぐ読めるよ♡

そんな感じで、いつもよりちょい接続が悪い感じの日記でした。
それではまた次の機会にいつでも会いましょう~。


2021年が終わるって本当か?

そもそも2020年どこいった? 切実にわからんのだが。

そんな時のために日記を書いておくといいのだな。2020年のnoteを読み返したけれど、とりあえず辛かったんだろうなということがわかる。

緊急事態宣言と鬼滅の発売が重なり、かずかずのお客様が暴徒化した2020年の冬。そもそも冬だったかどうかさだかではない。春も夏も秋も暴徒化していたような気がする。2020年は暴徒と虚脱と諦観の年であった。

それでは2021年は? と考えると、え?2020年どこいったの?? となり、ここにひとつのループが完成するというわけ。

こういう時には写真フォルダーを見直してみようね!

と思って今みたんだけれど、わたしってなにわ男子だったのかな?? と思うくらいフォルダーになにわ男子しかいない。というのも、失われた2020年と供に約束された嵐の喪失が訪れ、7月くらいまで虚脱と諦観が続いており、そもそも2020年どこいった?? を繰り返すだけの日々を過ごしていたのだけれど、どんなに嘆いても最新の嵐は私の生活には訪れないのであった。

で、そんな虚脱と諦観の渦の中、7月の28日にバイト先の休憩所という名の長椅子とパイプ椅子があるだけのスペースでぼんやりツイッターランドを眺めていたところ、なにわ男子デビュー発表の映像が流れてきて、滂沱の涙を流したのでありました。

なにわちゃんは嵐の時代と違って、デビューに対しての気持ちが強く、というのも彼らは、え?!?!? この話ここでする? もっと他の同好の士に伝えたら良くない!?

と思ったので簡潔に述べますが、もうかれこれ15年くらいデビューできないでいる自分と、最長17年でデビューを掴み取った彼らの号泣が重なって、絶対デビューしたるねん! とエセ関西弁でもって固く誓ったのでした。関西弁が、本当に、あの、好きなので。

とりあえず嵐がいない間もジャニーズに金を落としたい、という気持ちがつよく、最初のころは嵐意外のグループを推すほど好きになったことがないので、めちゃくちゃ戸惑っていましたが、今は毎日楽しいです。嵐の喪失が埋まるということではなく、新しいまったく別の希望のような何かというような感じです。

なんの話だっけ、ああ、そうそう写真の話ですね。

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2021年1月の写真ですね。書き初めです。
そうだそうだった。新年に急に、というか生まれてからずっと思っていたのだけれど「教養がほしい!」と狂おしく思い、大学生になることを決めたのでした。経緯はこちら↓

https://note.com/eleinutiger/n/n7213f3f94d4d

で、無事に大学生になって、大学生になる前はちょう勉強して頭良くなってすげーいい感じになるんだろうな! と漠然と思ってたんですが、実際に大学になると勉強するのって自分なんですね。みんな知ってた?

私はなんか、大学生になるぞ! と思っている時には未来のわたしが勉強を頑張っているイメージしか抱いていませんので、大学生になって勉強するという事態が自分に降り掛かった時、ものすごく純粋な気持ちで「マジか」と思ったのでした。それは聞いてなかった。

しかも自分で本読んで勉強してレポート書いて、合格したら試験うけて、試験受かったら単位がもらえるというシステムなので、自分が何もしなければ永遠に何にもならないということに震えました。マジか。今も思っている。

勉強の具体についてもはっきり認識してなかったし、公募との兼ね合いも全然理解してなかったので、勉強の「マジか」と公募締め切りの「マジか」が交互に訪れるため、ほぼ毎日「マジか」という新鮮な驚きと供に過ごすになった。

結局公募は9月に一個なんとか出して、いまカクヨムコンに一個だしているので、なんとかかんとか、がんばったのではないでしょうか。

そうだ! カクヨムコン参加してるんで! これは読んでもらって、☆を押してくれることで読者選考というものに通るシステムなので、ともかく今は☆が欲しいっス(ワートリの帯島ちゃんかわいい)という人間として過ごしているのでみんな☆ちょうだいね! ☆ちょうだいとかあからさまに言うのよくないんでしょうが、でも☆ないと通らないからね、お話として優勝することはないだろうけど、読者選考通っているという夢のをみたまま次のものが書けるので、大事なんですわ。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429189507680

これでーす! よろぴこ☆

これもね2021年の3月くらいまで一所懸命書いてたのかな? もう記憶がさだかじゃないのですけれども、私小説っぽいものを初めて書いたので、思い出と現実と虚構が混ざって、毎日部活で責められる夢をみてましたこの頃。

あとこの頃、大学の受験のための書類を取りに、十数年ぶりに高校に行っていろいろな意味で吐いちゃうな! と思ったりなどした。高校時代を暗闇の中で過ごしたけれど、高1の冬までは、なんかもう人生で一番幸福だったような気もするので、まぁもろもろ相まって吐いちゃうなーでした。

この小説が面白いのかどうか自分ではまったく分からなかったのですが、読んでくださった方がめちゃ面白いと言ってくれたので、めっちゃ面白いんじゃーん! って思った。とはいえ、pvは10前後? だしフォローが多いわけでもないし、ちゃんと読者選考通るかどうかはわかんない! 結果をおたのしみに!

あとはなにかあったかな?

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姪が生まれたのだった。
同じ頃、高橋茂雄に激ハマりしてどうぶつの森の実況を毎日毎日なめるように見ていた。茂雄かわいい。

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茂雄に触発されてあつ森を買ったのだった。
昔から自分の街を作るとか、なんかそういう系のゲームに対して「なにが面白いんだ?」という気持ちと「絶対に飽きる」という気持ちがあったので、やったことなかったのだけれど、めちゃくちゃおもしろいゲームだった。

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おうちにゴジラみたいなのも置けてめちゃくちゃ楽しかった。

でも島にねずみが来たのが許せなくて急激にやりたくなくなって、一ヶ月くらいで売ってしまった。本当に許せなかった。なぜ、ねずみが、なぜ。でも今、ちょっとやりたいなという気持ちになっているので手放すまでしなくてもよかったんじゃないかと後悔しつつある。でも、ねずみが来たのが、本当に許せなくて。

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マシーン日記も観に来ました!
コロナ禍だったために取れた奇跡的なチケットであると考える。まーーじで、よかった。横山さんちのきみちゃんがマジで本当に、この世のものとは思えないくらいに美しくて、なんていうか、存在の美しさがあるよな、と思った。

マシーン日記はシナリオの学校行ってたときに、お姉さんお兄さんたちに囲まれて一番若かったですので、これが噂の姫ポジか!みたいな、そんな時期が私にもあったのですけれども、その仲間内の素敵な方の素敵なおうちでホットワインとかいう素敵なものを飲みながら、WOWOWかなんかでやってたマシーン日記を見たんですが、みなさんが教養たくましい(たくましいっていうか?)対話などをしている中で、私はすげーとか、さいこう!とか、ひゅー!とか、そんな血肉の感慨しか抱けなかったんですが、ともかくいいものはいいので、血肉の舞台というイメージがすごくある。よかったです。マシーン日記。

あと、センターステージだったんですけど、カーテンコールでステージぐるーって回りながら横山くんが手を振ってくれて「アイドル!!!」を感じてそのあと3日くらいは精神的失神をしてましたね。まじアイドル。私はアイドルが好きなんだよ!!!と強く思った。

あとこの頃だったかもっとあとだったかわからんけど、文學界に出していたものが三次まで残っていて、久しぶりに雑誌に自分の名前が載って興奮したりなどした。

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といっても、私は筆名がずっと決まらず、毎度違う名前で出していたので、この名前が載るのはもちろん初めてである。
絶対に誰でも読める筆名がいいとずっと思ってきたんですが、最近下の名前が読みづらいらしいということを知り、変えようかとわりと真剣に考えたんですが、もうなんか自分の中でも定着してしまったし、犬も寅も妖怪も象も好きなので(象は入ってないが)このままで行こうかと思います。いぬかいとらひこです。よろしくね☆

文學界新人賞、ちゃんと読まれてるんだ! っていう感想が一番でしたね。
15年くらいやってて、もうずっと一次に通ってなかったので、普通ならまー自分が悪いんだろうな、つまらないんだろうな!で終わるところを、私は業と自意識があれですので、本当に読まれてるのか!?誰かが間違って読まれてないんじゃないか!?みたいな陰謀論的な人間になりつつあったので、読まれていることがわかり元気になりました! ありがとう文學界

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そしてエヴァが終わりましたね。
これについてはまだ傷が言えていないので、なんというか、取り残されたな、というのが正直な今の気持ちです。映画としては、まじでまじでまじでこれ以上なく面白かったです。Qの方が好きではあるけれど、なんというか、ただしい、というか、もうだから成長して置いていかれた、この一言に付きます。

これがつらすぎたので、アスカという名前の女の子に癒やされる小説を書いてしまったのかもしれない。でも本当に、めちゃくちゃおもしろかったですね。すごくよかった。本当に、よかった、大好き。

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大学生が始まって、1ミクロンも興味のない本を読まねばならず、本当にこんなに大量な本を読めるのか?と思ったけれど、普通に読めなかった。何言ってるか一瞬もわからん。

でも不思議なもんで、一瞬もわからん本を一瞬もわからんと思いながら読んで、なんとかレポートにしようと苦労していると、なんか分かったような気になる一瞬があり、それはたいてい気の迷いでもある。

別に不思議でもなんでもなかった。懸命に書いたレポートにコメントがないのと「計算が間違っています」「理解していません」みたいなコメントがくるのは、本当に心が折れるのでやめてほしい。

もっと応援してほしい。今のところ単位は16で、永遠に落ち続けている地学(永遠に計算が間違っている)(なぜなら式の意味がわからないから)のレポートが通れば20単位になり、今やっている講義が受かっていたら24単位になり、次の試験がふたつとも受かったとしたら30単位になるはずだ。

卒業には134だか143だか、なんかそんな感じの単位が必要だったような気がする。数字なので覚えられない。

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あと欲しい物を買うために貯めようと思っていた金が、日常の買い物で消えていって、何もたまらなかった。スマホ(いいやつ)と書いてあるな。無理だ。ごめん。

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あと常に、パエリアってどういうこと?? と思っており、というのも、はるか昔にホテルで食べたパエリアが、なんぞ? という私には理由のわからない食べ物だったことがあり、パエリア=食べる必要のない食べ物、という図式が出来上がっていたのだけれど、いつかどこかで食べた時に「パエリア美味しいじゃん!」と思ったような気がして、今年またパエリアに挑戦したのだけれど、そしてこれはその写真なのだけれど、やっぱりよくわからなかったので、私は私のパエリアを探しています。

いつか美味しいパエリアを食べてみたい、という気持ちと、パエリアを食べてみよう、という気持ちが重なる瞬間が6年に一度くらいしか訪れないので、また6年後に誰かパエリアに誘ってください。

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横浜にも行きましたね。
果たして横浜の写真がこれでいいのか、という気持ちはありますが、noteのとかぶってるのでまぁいいでしょう。横浜には何もかもが揃っているので、なにせ港なのでね。外つ国からさまざまなものが訪れるという、そういうイメージ。中華街もあるし横浜はすごい。

https://note.com/eleinutiger/n/n7b12e9c3a380

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ここの所、毎年朝顔の観察日記をツイッターにあげたのだけれど、今年はほおずきにしたんですよ。そしたらなんか、私の想像しているほうずきの茎の5倍はあるもはや木みたいな育ち方をしてちょっと怖かったです。あとオレンジにならないやつだった。

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檸檬にも実が付きまして。

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今こんな感じ。
めっっちゃでかいんですわ! なにと比べれば分かりやすいかわからないんですけど、私の身近にあるものですが。今机の上にあるドラえもんのぬいぐるみくらい大きいです。どら焼きより大きいし、なんだろう、ちょっとしたうちわくらいあるかもしれない。大きさをどうやって伝えればいいのかわからない。数字が体の中にある人間なら、こういうとき数字で伝えるんだろうけど。

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あといちじくもなりました!
いちじくに花がないって知ってました? わたしは無花果という漢字は知ってましたけれど、まさか花がないとは思いませんでした。

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意図のつかめない写真。

あと中高の部活のエースが急に「滝に行くぞ」と言って滝に連れて行ってくれた。

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あとそう!一番くじで一発でステゴサウルスあてたんですよ!
これはかなりのよい思い出。クジのたぐいにあたったことが本当にほぼなく、思い出せるのは3歳か4歳のころ水族館に連れて行ってもらって、黒ひげ危機一発みたいなのをステージの上でやらされて、一発目で黒ひげが飛んだことくらいなので、でもたしかあれは今思い返すと、黒ひげ飛んだら駄目なやつだったんじゃないかな。

でもステゴサウルス、本当に、嬉しかったですあの時は。

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あと今年の一大ニュースといえばこれじゃないでしょうか。

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フリートちゃんなんでなくなった!?
そんで私はこれをどうしてちゃんとスクショしていたのだろう。えらいな。フリートちゃんとの思い出、ちょっとだけだけど見ていたら懐かしくなった。写真はっつけてつぶやくほどではないし、でもちょっと誰かにねえねえ!ってやりたいときに最適だったのにな。復活してほしいよ。さみしかった。ラインノベルくらい寿命が短かった。

ちなみに二三ヶ月うちにいたネズミは八月に捕まりまして殺しました。

あとはなんでしょう。大学にワクチンをうちに行ったり、レポートやったりしましたね。まじで、後半は写真フォルダーがぜんぶなにわちゃんなので、全然写真が発掘できない。それもそうだし、後半本当にレポートと自分の作業とですげー忙しかったんで、ほぼほぼ家にいましたね。

今日も大晦日だというのに、朝から夕方までずっと勉強してましたですからね!(ドラクエ一瞬やった)論理学が面白いということだけがわかる。あとは何もわからん。

あ、動物園に行ったんですけど、何もいませんでした。ほとんどなにも。トラを楽しみにしていましたのに、とらはいませんでした。

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キリンのご飯食べているところが面白すぎて、ずっときりんを見ていた。きりんすげーよな。なんかしらんけど首がめっちゃ長い。

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庵野秀明展行った!最高だった!
なんていうか、庵野秀明すげー好きなんだなって思った。

というわけで、総括をしようと思ったのですが、ただの写真日記になってしまいましたが、今年がどういう年だったかというと、やっぱりよく分からなかったのでした。

もしかしたらこの先五年くらい2020年どこいった?って感情で生き続けるのかもしれない。その間に、2020年どころか2021年も2022年も失い続けるのかもしれない。ちょっと怖い。

というのも、やっぱり実績がないからじゃないですかね!?そう思いますよ私は。とても思う。そういうわけなので2022年はデビューの年にしたいと思います。いや、もう毎年そう思ってやってますけれど、あまりはっきりとデビューという言葉を使ってはこなかったような気がするので、デビューしたいな! そう思っているよ私は。

できれば賞金がほしいんだよな。できればというか、絶対に。
どこの公募にだそうかな! どう思う!? 百合文芸出そうかと思ってたんだけど、賞金が10万?とか20万?とかでしかも書籍化確定じゃないんですよねあれ。もっとお金欲しいし、本だしたーい!

なのでもっと別のところに力を入れるべきなのではないだろうか、というようなことを考えています。といっても、実弾が今の所ないので、とりあえず1月の試験が終わったらしばらくは書く方に専念しようかと考えているけど、どうなるかわからん。

ともかく来年はなにかいいお知らせができるといいなと思っております。あとなんか、ツイキャスとかスペースとか一回やってみたいけど、自意識が邪魔をしてなかなかね。そもそも思っていることを喋ることができないので、あーとか、うーとか言うだけのやつになる予定ではあるけれども。

なんだろう。年末感がないな。もっとこうエモーショナルな日記になるはずだったのにな。残念です。みなさまには今年もお世話になりました。いつも応援ありがとう! 

応援ありがとう! とかいうのめっちゃ恥ずかしいじゃないですか、なぜならもうひとりの自分が「お前など誰からも応援されていない」とか「自意識がどうかしているのか?」とか言ってくるからさー。でも私はみなさまのことを信じることにして、これからも応援ありがと!って強く言っていくよ。来年もみなさまの生活に希望めいたものが訪れますように!

それでは! さようなら2021年! 

来年は!!!!

寅年だぞ!!!!!!!

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やったね!


神仏まざりて蛇と皮

 熱が出ると決まって仏の夢を見る。それは蛇であり神様であり伯母である。
 伯母は今では点鬼簿の中にいて、私はもう声を思い出せない。顔も思い出せない。匂いも思い出せない。ただ薄い皮の骨ばった指だけを思い出せるのであって、熱に魘されて夢にみるのは、その死んでいる人間のような、やけにつるりとした指だけなのだった。
 寺の門のそばで、私は伯母のその指に手を包まれながら、蛇であり神であり仏であるそれを見た。そうして、今でも夢に見る。
 私が通っていた保育園は寺の中にあり、赤い屋根の建物の中に入るまでには、六つの地蔵に会い、鈍い極大な青銅色の梵鐘に会い、渦のような竹やぶに会い、無数の墓に会わなければならなかった。そのころ私は、墓を人を燃やす場所なのだと思っていた。それは祖母の住む遠い家の、もう使われていない便所から墓が見えるためであった。昔は小便をしながらよくそこで人を燃やしているのを見てね、と、かりんとうを食べながら、いくつかいるうちの伯母の一人が言っていたからだ。あるいは、それは母だったのかもしれない。
「人の燃える匂いというのはなんとも」
 母は私の幼い記憶の中ではいつも臥せっており、自らの寝床か、あるいは明るい灰色の病院の中でヒューヒューと聞こえる息を繰り返していた。それは確かに生きている音であったのだろうが、私には死んでいく音に聞こえていた。そうしてそのころの私には、生きていることのほうが恐ろしかった。だから母の呼吸はさほど恐ろしいものではなかった。
 園長先生のいるお堂には、梵鐘と同じ青銅色の天水受けが二つあり、睡蓮の花弁のように口を広げるその中に、何が存在するのかを私は知りたかった。まだ幼い私の背の丈ではそれを覗き込むことが叶わなかった。私が想像していたものは夢のような何かで、具体を持たない、望外の喜びに似たものがそこに満ちているのだと思いこんでいた。そうして遠い日のいつか、私はそれを覗き込むのだろうと考えていた。そしてその願いは叶わなかった。想像だにしない速さで私の背は伸び、まったく遠くない未来において、私はそれをすることができるようになってしまったのだ。骨の伸びる音に怯えながら、あえぐような息苦しさで――あるいは人はそれを祈りと呼ぶのかもしれないが――覗いた先にあったのは蠢く無数のボウフラであった。
 私は途端に生きていることが恐ろしくなった。生きているという状態が恐ろしくなった。お堂の中には金色の阿弥陀如来がいて、その内部にも小さな阿弥陀如来がいて、私はその阿弥陀如来の薄暗い中に閉じ込められ、一本の蝋燭の火を消さないように、じっと息を殺して立っていたことがある。そこには私と蝋燭と阿弥陀如来と、それ以外にはたった一杯の牛乳があるだけだった。牛乳はやけに白く、発光しているように見えた。
 あれはシキテンの最中で、私は蝋燭を園長先生のいる場所まで運ぶ役目を与えられていた。その子供に選ばれることは名誉だと伯母は言った。ののさまが見ていると、いつも言っていた。たしかに、ののさまの目はいつでも私を向いていた。どこにいても、その目は私を見ていた。私にはそれが恐ろしかった。私にはそれが耐え難かった。
 じきにひとりで立っていることさえ、怖くてしかたがなくなっていた。
「なにがそんなに怖いのかねえ」
 私はもはや伯母の声を思い出せないが、伯母の声はいつも耳のそばで聞こえる。
 なんでも怖がるというので、家人は私に呆れ返っていた。なにしろ私には音が怖く、色が怖く、形が怖かった。伯母はよくそんな私の腕や足を撫でさすった。何も言わずに、ただ撫でさすった。
 その日、私は敷居を踏まぬよう、懸命になりながら園に入る寺門をくぐっていた。門の敷居や畳の縁を踏んではならぬという言いつけは、私にとっては呪いであった。いつも死んでしまうような気持ちで、敷居をまたいでいた。生きていることは恐ろしかったが、当然に死んでしまうことも恐ろしかった。敷居をまたぐときには、いつでも必死であった。
 私は懸命であったためにその気配には気が付かなかった。門をくぐって数歩足を進めたとき、伯母の足が止まった。私にはまたそれが恐ろしかった。伯母は頭上を見ていた。何か物音がして、私の体はびくりと震えた。しかし伯母はいつものように怖がる私の肌を撫でなかった。それどころか、私に音を見よと強く言った。
「ほれ」
 寺門の上を垂れる緑葉の中に、ぬるりとしたものがじっとしていた。じっとしているのに、それは動いているようであった。太い紐だと私は思った。太い紐が枝に絡まっているのだと思った。しかしその紐の先には黄色の目があるのだった。
「見えるか? なあ」
 太い紐は枝から寺門に移ろうと頭を上げていた。私は不思議と平然とした気持ちでそれを見ていた。その模様はずらずらと動き、枝に擦れる音がした。
「あれはおばちゃんの神様やけん。なんちゃ心配せんでええんで」
 私は伯母の声を思い出せないのだが。
「神様が守りにきた。なんちゃ心配いらん。なんちゃ心配せんでええ」
 耳の側にいつも声がある。
 蠢くものは、それは蛇であり、伯母であり仏であり神であり。
 熱を出すと、決まって私はその夢を見るのだった。恐ろしいような、安らかなような。死んでいるような、生きているような。
 目が覚めると、ずるずると体に汗をかいている。
 今産まれたような。

ついでの横濱おしゃれ街探検日記

ことある毎に「横浜にはこの世界のすべてのものがあるんで。横浜にないものはこの世界にないものなんで」というようなことを言っていた私が自分の勤めている店が横浜にないと知ったのは今回の話とはまた別のお話。

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念願の三浦哲郎展に行ってきたのである。なぜなら『白夜を旅する人々』がとてもべりー好きだから。大好きだから。本当に好きだぜ。

ここ昨今の例のあれで延期をしていた三浦哲郎展がついに開催されるのだ!と私が知ったのはもうかれこれどれくらい前? いやしらんけどって感じよな。私もしらん。覚えていない。ともかく「やったー!」と職場で大きな声をだしたことだけは覚えている。まさかうちの店が横浜にないとはね。

読書というのは不思議なもので(は?)ひどくしゃらくらい物言いに自分でイライラしてしまったので戒めのためそのまま文章を続けますが、読書のお導きで阿部昭の『天使が見たもの』を読んだあとに三浦哲郎の『白夜を旅する人々』にめぐりあった私はそれはもう興奮に興奮をかさね、踊り狂って毎日朝まで悪夢を見る生活を続けた。つまり何も変わらないのではあるが、大変につよく感銘を受け、これだから本を読むことはやめらんねぇぜ! ってなったのでした。この文章はまるっとまるまるわりとしゃらくさいので削除候補ですけれども戒めのために以下を略します。

ところで私は神奈川近代文学館が大好きなのでちょいちょい行っているのですけれども、一度もちゃんとたどり着いたことがなく、この前に行った時だか、その前の前だか忘れましたが、駅から10分もかからない神奈川近代文学館を目指して歩みを進め、進め続け、さらに歩き、その一時間後に外国語飛び交うインターナショナルなスクールの門の前で「もう帰ろうかしら」とノラよろしくつぶやいたのであった。太宰治の「葉」は最高なのでみんな読むとよい。

その時は諦めずになんとか裏門からたどり着き、やっとで寺山修司展を見ることが出来て、本当に本当に心底帰らないでよかった、よかった!!と泣きそうになりながらおしゃれケーキを食べたが予定していた横浜観光はできなかったのであった。

ともかく神奈川近代文学館の展示はいつも素晴らしく、私にとてもよいものばかりを与えてくれるので大変にありがとうというところなのです。今回は例のあれで事前予約制ということでしたので、一番最初の回に予約してはちゃめちゃ早起きをしてなんとはじめて迷わずにたどり着いたのでした。駅からめっちゃ近いよな。

ただみなとみらい駅? なんだっけ、駅の名前忘れましたが文学館の最寄りの駅は構内がまじでホラーなので相当精神が安定しているときでないとなかなか健康に通りすぎることが難しいのです。

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このようにずらりとかつて生きていて今死んでいるだろう人間の写真のようなものがエスカレーター横だったりなんだりいろんなところに貼ってあるのです。

こわくない!?!?!?!?!?

これを怖くないと思う人間いんの? いるんだとしたらごめんけども、本当に申し訳ないけれども私には正気とは思えない。わかんない。怖すぎてよくわからないけど、怖がらせるためじゃなければなんのためにこうしてあるのか全くわからないけれどもともかく正気じゃないし私が正気じゃなくなるのでやめてほしいけれど私にはそんな権限はないので、体を硬直させながらリュックを背中に押さえつけてエスカレーターに乗ったために登りきったときには全身から汗が流れて獣の匂いがしていたのであった。

で、三浦哲郎展がよかった話は私の中でとどめておきますのでその後の横浜散策の話をしようかと思います。

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例によって例のごとく全景がないのですが、神奈川近代文学館にはすてきなイングリッシュガーデン的庭がございまして、さすが横浜! これが横浜の実力! と思いながらめぐりめぐりました。

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階段を水が流れておる。横に無限の水彩画を楽しむ会の諸先輩がたがいた。

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なんでも起こりそうな庭建築物。ここの周辺にも水彩画を楽しむ諸先輩方が点在しており彼らが映らないように写真を取るのが大変だった。

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ごらん、むこうに見えるパラソルは横浜は山手111番館のものだよ。美味しい食べ物を優雅に食べることができる選ばれしものの憩いの場だよ。当然その周りにも水彩画を楽しむ諸先輩方がおる。

まっさかりよりすこし下ったくらいのバラの日々だったので、日々ってことはないけれども、お庭にはバラがたくさんあって別段バラを愛しているわけではないけれども、そらで薔薇という漢字がかけるくらいの知り合いではあるのでとても楽しかった。そこで私はみつけた。

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おわかりか?

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鳥だ。

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鳥。

まぁ鳥なんてのはどこにでもいる。望遠でとるほどのものではないが、そのときは大変に興奮して「鳥がいるじゃねえか、鳥がいるじゃねえか!」と急いで撮っていたら後ろのカップルに怪訝な顔をされた。鳥がいたんだよ。鳥はいるんだよ。

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鳥横のばらが可愛かった。

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私はこのような庭をつくりたいね!
特に一枚目のジューンベリーと白いあじさいは大正解だった。ジューンベリーという名前は去年の前に知った気がする。それを人は一昨年という。

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私は別にこのような造形を好んではいないが「フォロワーが喜ぶかも♡」みたいな邪な情感でもって急いでとった。受け取ってくれよな。

で、気がつくとなんだか腹が減っているような気がしたので庭園を出た。

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君はだれだ? と思って撮った。なんらかのキャラクターということはわかる。この状況だと犬かクマか判断がつかない。大穴でサイということもあるかもしれない。

http://www.gardenbear.jp/

ベアだったわ。かわいいね。

やはりどう考えても腹が減っており、なぜならば早くに目を覚ましたからで、でも心配することはないのだ、私にはもう今日食べるものの準備がある! という強い気持ちで中華街へ向かいました。目的は中華ではなくシンガポールチキンライスです。なぜならシンガポールチキンライスが好きだから。中華も好きなので二つの気配を感じられて私は実にハッピーになる予定が十分にあった。

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歩いていたらなんかよさげな門があったので入った。なぜならまだ焦るときではないから。私はシンガポールチキンライスを食べる場所を前日に調べていたから。excellent!!

フランス関係のなにかだったような気がする。領事館跡かな? ローズガーデンとは違った趣でなかなかよかった。鬱蒼としていて空間がなんかめっちゃでかい。

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なんてったって風車があるもんね。

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回ってたもんね風車。
なんとか女学院?だったかともかく女学院的な何かが関係している風車ということで、私にはとても感慨深かったのである。あじさいが枯れまくっていてとてもよかった。枯れているあじさいはよいね。枯れているひまわりの次によい。

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歩みをすすめていると突然、崩壊した建物が現れた。どこにもつながらない階段があって登りたかったけれど紳士が近くで写真を撮っていたので上りはしなかった。

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ラピュタだね。

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ラピュタだね!!!!

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ラピュタだ!!!!!!

強めの廃墟フェチの気があるので、紳士と場所を交換しながら、あー、いいね、いいよ、じつにいい! と思いながら写真をたくさん撮ったがそういう時の写真って興奮がまさっていて帰ってから見るとぜんぜんよくない。いい風景といい写真を撮るという行為はいつも同居しない。

外に出るといよいよ腹ペコだった。でも私には用意があったので歩いて中華街へ向かった。道に迷わないで生活できたことないのにさ、よく歩く気になるよね。なんなんだろうね、方向音痴の人ってさ、果敢だよね。たぶん心底では自分が方向音痴ではないと思ってるんだろうね。信じる気持ちが強すぎる。

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めっちゃいい壁が急にあるんだよ。なぜなら横浜は世界でいちばんおしゃれだから。

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いぬ。

この壁の中がはちゃめちゃにおしゃれな骨董屋さん? アンティークショップ? で、気がついたら店内に滑り込んでいて、あらあら、せっかくだしちょっとこの可愛らしいティーカップでもいただこうかしら、と思って値段見たら月給100万くらいないと気軽に変えない値段だった。マジでびっくりした。
私のバイト代で手の届くのは外国の古い古いキーホルダーだけだったけれども、さすがに安いだけあってすごくダサかったので三階までくまなく眺めて店を出た。

そろそろ本格的にシンガポールチキンライスを求める腹になっていたので、まっすぐにシンガポールチキンライスを食べさせてくれる場所に向かった。私にはグーグルさんがいるのだ。そう、たとえ、何度、裏切られようとも。

そうして私はシンガポールチキンライスを食べられなかった。

グーグルさんのいう「目的地です」の前には駐車場のような、免税店のような、なんだか曖昧なよくわからない建物があり、その店が潰れたことを私は諒解した。それを知ったときには当然の帰結だというような気もしたが、やはり私はシンガポールチキンライスが食べたかった。

目的を失ってしまい、なにを食べればいいのかてんでわからなくなった。中華街をさまようしかなかった。中華街はさまようには中華街すぎる。こういうことがあるので前日から食べるものを決めていたのだ。私は、自分の食べたいものがいつでもわからない。

お姉さんが熱心に「ここで食べればいい」というので、言われるままにそこに入った。入ったら横の席にいる用途不明の若者と中年の混合集団が大声で「ぎゃはは」と発声しており。「(ぎゃははって口で言ってる)」と思いながら、このような事態になってから飯屋でぎゃはぎゃは話すような人間をはじめて見た私はなんだかこの世のすべてが嘘らしくなってきて、マスクを外して水を飲んだが別になにも変わらなかったのであった。

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シンガポールチキンライスに似ていると思って食べた油淋鶏は何一つシンガポールチキンライスと同じところが見つからなかった。鶏であることすら差異に思えたし、前のお客さんがお会計をしたあとに「謝謝!」と言われているのを発見して、これでチャラだ! と思って「謝謝」を求めて元気に会計をすませたのに「ありがとうございました~」と言われて悲しかった。

もはや私にはなんらの目的もなく、ただ未練だけが残っていた。かといって、横浜に私の身のおきどころはない。横浜という地を楽しむためには、ガイドを買って目的を決めて、どこへ向かうという作業が必要なのだ。

さまよう私を完全に見抜いていろんな人間が「これ買うよろし!」とものをすすめる。私は未練だけがあるために、断る強い理由がなく、目の前で栗を二倍にされて、これをお前は買うんだ、と言われて買った。断るための特別な理由がないだけで、欲しいという気持ちも勿論なかった。栗は震えるほど高かった。

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でも美味しかったからチャラ! 皮をむくアクティビティーも楽しかったのでチャラチャラ!

そういうわけで変える前に東急ハンズに入った。もう東急ハンズくらいしか私の身の置きどころはない。というより東急ハンズも完全に観光なんだけれども、見知った文房具が置いてあるのでそわそわはしない。

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ずっとずっと欲しかったインクを買った。深い翠色がすきなのである。北斎に対して特別な情感は持ち合わせていないが、強いていうなら絵がうまいよね。絵心のない私が見てもびっくりするほど絵がうまいなと思う。とはいえ私はどんな人のどんな展覧会に言っても「絵がうまい」という衝撃だけ受けるタイプの人間なので絵のうまさの詳細というのは、ちょっと、よくわかんないですけど。まじで、あの、絵がうまいのだ。

思った以上に時間を食って、思った以上に散財をしてしまって「栗、高かったな」という悲しみをたずさえ、今月はもう一銭も使わないようにしよう、と思いながら電車に揺られて家に帰った。いつでもどんな楽しい旅でも家に変えるときにはぐったりして意識が保てない。脳がもっと強ければな、と思う。

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中華街にはこのパンダがたくさんあって、よっぽどやろうかと思ったのだけれどやなかったのは惜しかったなあと思いました。おわり。